海を渡った小学生:イギリス留学から新たな未来へ
小学4年生の秋から正式にイギリスのボーディングスクールに転校した息子は、毎週末のように地元の友人宅にお泊りに誘われ、留学生活を満喫していた。学期が終わるたびに寮が閉鎖されるため、日本に帰国する必要があったが、学期の中間にも1週間の休みがあり、その間の過ごし方をどうするか考えていた。電話で息子にどうしたいか相談すると、仲の良い友だちの家に泊まりに行きたいという。しかも、その友だちは姉妹であると……。早速その友だちの母親からメールが届き、本当に息子を1週間預かってくれることになった。現実問題として、この1週間をどう乗り切るか思案していたところだったので、この申し出にありがたく甘えさせてもらうことにした。1学期が終わり、クリスマス前に帰国した際には、お礼としてたくさんのキティちゃんグッズを買い込み、新学期学校に戻る息子に持たせることにした。
年が明け、2学期が始まってしばらくしたころ、学校のPTA委員から突然衝撃的な内容のメールが届いた。なんと!学校が倒産したというのだ。これにより、現在のオーナーが今年度いっぱいでの閉校を検討しており、地元生徒の親たちで構成されるPTA委員会が反対交渉をしているという。これにはさすがに驚かされた。学校が倒産するなど、これまでに聞いたことも考えたこともなかった。そんなことがあり得るのだ。しかも入学したばかりの学校で……。いきなり息子に降り掛かった災難に、親としてなんとか対処しなければいけなくなった。
秋の中間休暇でお世話になった息子の友人(ガールフレンド姉妹)の母親に連絡を取り、詳しい経緯を教えてもらった。どうやら学校のオーナーの会社が別の事業で大きな負債を抱えており、学校を手放さざるを得ない状況になっているとのことだった。現在、南アフリカの学校法人への売却交渉が進められているという。もしその交渉がまとまったとしても、校長をはじめとした現在の先生方は皆いなくなり、生徒も南アフリカからの留学生が多く入ってきて、学校の雰囲気は大きく変わる可能性があるらしい。元々この学校は13歳までの学校であるため、その後は次の学校に進学する必要があった。息子のガールフレンド姉妹も、予定より少し早くではあるが、来年度からの進学を検討しているとのことだった。
ガールフレンドの母親は非常に親切な方で、息子にも同じ学校への進学を勧めてくれた。校長ともやり取りして推薦状を取り、新しい学校との交渉を進め、息子を面接にまで連れて行ってくれたのだ。その学校は今の学校からそれほど遠くなく、18歳まで通える立派なボーディングスクールであった。他にも2,3校良いと思われる学校を紹介してくれたが、息子はガールフレンドと同じ学校に進学したいと言う。さらにその母親は、自分が息子のガーディアンになることも引き受けてくれたため、何から何までお世話になることになった。学校の倒産と閉校はまだ確定していなかったが、ひとまずこれで何があっても息子はイギリスでの勉強を続けられそうだとひと安心できた。
一方その頃、日本では私自身に海外企業からオファーがあり、春からオーストリアの企業に転職することが決まった。新しい勤務地はウィーンではなく、田舎町のグラーツであった。当然日本人学校はないが、いろいろ調べてみると公立のインターナショナル校があることがわかった。イギリスでの進学先検討と並行して、オーストリアのインターナショナル校にも問い合わせを行い、入学の可能性を探っていた。
3月末に2学期を終えた息子が帰国したタイミングで準備を整え、4月始めに家族全員で日本からオーストリアへ引っ越しを行った。その足で現地のインターナショナル校に息子を連れて行き、校長と面接をした。その学校は「ギムナジウム」と呼ばれる10歳から18歳までの地元の子どもが通うための公立校で、授業は基本的に英語で行われていた。息子は1年弱ではあったがイギリスで英語漬けの生活を送っていたため、校長との英語面接をなんとかクリアし、実年齢より1歳下の学年にあたる9月からの新入生クラスへの編入を許可された。
せっかくガールフレンドの母親が親身なって息子の転校先を探してくれたが、私の海外転職が決まり、オーストリアの学校への入学も許可されたことで、再び家族一緒に暮らすチャンスが訪れることになった。その母親と合格したイギリスの新しい学校には丁寧に事情を説明し、入学は辞退することになった。災い転じて福となす。すべてが片付いた後、息子はイギリスでの最後の学期を過ごすため、ウィーンからロンドンへと一人旅立っていった。
わずか1年間の短いイギリス留学となったが、息子の人生にとっては非常に意義の深い1年であった。この短期間で、先輩たちにいじめられながらも歯を食いしばって習得した英語は、その後の息子の人生にとても大きな影響を与えた。オーストリアのインターナショナル校に英語ネイティブ扱いで特別入学できたのもその成果の一つであり、その後も良い影響が続くことになった。一般サラリーマン家庭である我が家にとって、イギリスのボーディングスクールに留学させることは金銭的に大きな負担であったが、今振り返っても、あのとき留学させて本当に良かったと言える。