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Transformative Technologyと空性

考えたきっかけ

弊社の委員会組織であるLiberalArts委員会で、講師に湯川鶴章さんをお呼びしたイベントが去年開催されていました。

自分の中で咀嚼して考えていたのを社内のSlackには投稿していたのですが、それらをまとめてnoteにしてみました。

Transformative Technologyとは?

マズローの欲求5段階説から
人間の欲求は「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の5段階のピラミッドでできていて、人は衣食住に満足すると、人に認められたいという欲求や、好きな仕事で成功したいという欲求が出てくるというのは、有名な説です。

そして、マズローは死の直前に「自己実現欲求の上に自己超越欲求がある」と主張していたそうです。

自分の可能性に生きることを自己実現とするならば、
自己超越は自分の可能性を超えること、つまり
「人間は自分の生まれ持った身体的条件を超えるパフォーマンスを出すことが可能だし、そうすることを望むようになる」ということを言っています。

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これまでの「テクノロジー」は、
この6段階のうち下の「生理的欲求」「安全欲求」の2段階を満たすためのものが中心でした。

しかし最近では上の段階を満たすためのテクノロジーが増えてきています。さらに上の段階を満たそうとするためのテクノロジーが
Transformative Technologyと呼ばれています。

Jeffery A. Martin教授

この6段階めの自己超越欲求を満たすテクノロジーは具体的になんなのか?

①精神的な疾患(鬱やノイローゼ等)を持つ人たちを支援するための技術
②精神疾患ではないが社会の中で他の人とうまくやっていくための技術
③社会でうまくやっている人達が、さらに精神的能力を高めるための技術
と定義されています。

③は、精神的能力の拡張という意味で、仏教の「悟り」の境地に近いとも思われます。

自分に合った方法を数カ月実践すればほとんどの人がPNSEに入れること、誰でも望めば、「欠乏の感覚」から「満たされた感覚」へと移行できることが、調査からわかっています。
これを瞑想だけでなく、テクノロジー観点で移行できるようにしようという領域がTransformative Technologyです。

恐れが少なく「どんなことがあっても自分は大丈夫だ」という基本的幸福感(fundamental well being)を保つということは、どういう状態なのだろうか。米ソフィア大学のJeffery A. Martin教授が、悟っている人、基本的幸福感を持っている人を2500人以上調査した結果、前回の記事に書いたように、悟り(心理学用語では「継続的非記号経験=PNSE」)に達した人には共通の体験があり、悟りには一定の継続的な段階があることが分かった。同教授はまた、PNSEに入る前と入った後の変化を調べるために、オンラインの瞑想プログラムを開発。同プログラム受講者の7割が4カ月でPNSEに入ることができたという調査結果を発表している。悟りはごく少数の修行者だけが到達することのできる境地と思われがちだが、同教授は「自分に合った瞑想方法とさえ出会うことができれば、ほとんどの人が短期間にPNSEに入ることができる」と語っている。
https://aishinbun.com/clm/20190104/1905/

Jeffery A. Martin教授は、満たされた心に達した人のことをFinderと表現し、聞き取り調査からそれぞれの体験をLocation1〜5+に分類しました。

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ロケーション定義は以下の通り。

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Location1
・”恐れ”が妄想であることに気づき、恐れを感じにくくなっている
・過去や未来に興味がなくなっている
・心の平安が何よりも大事になっている
・それを守るために生活環境を変えようとする。

Location2
・脊髄反射的な感情が起こらなくなっている
・社会的承認を必要としなくなっている
・自分と自分以外の境界線が曖昧になっている
・宇宙との一体感を感じたり、ワンネスを感じる

Location3
・感じるのは愛、思いやり、喜びが混ざり合った一つの感情だけ
・雑念への察知能力が研ぎ澄まされる
・ワンネスが、神や大いなる何かとの一体感に変化していく
・全てが今のままで完璧
・社会を変えようという活動には積極的に参加しなくなる
※キリスト教徒的には最高の状態
※仏教徒は、さらにロケーション4を目指すケースが多い

Location4
・自分の口から出る言葉と相手の口から出る言葉は、同じ存在から出たものだという感覚を持つようになる
・人生が勝手に目の前に展開されていく感覚になる
・承認欲求から完全に解放され、社会の常識から離れ過ぎて、仙人のような生活になる
・そのときどきで、ロケーション2や3に自由自在に戻る人もいるという。
※仏教徒的な悟りの境地なるものと近いのかも

Location5以降
「到達した」という人もいるにはいるが、現在も調査中らしい

Jeffery A. Martin教授のサイトは以下にあります。


Transformative technologyについて思ったこと

Location2は真言宗でいう「空性」と理解しました。

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

の空(くう)です。

物事は、その働きも、存在も、いろいろな条件が重なってそうなっているんだ。だから、その条件が変われば、結果も変わってくる。その条件は刻々と変化しているんだ。世の中はすべてそういう具合になっているんだ。
般若心経 現代語超訳

それが
人は他人を動かすことはできないが、行動の波紋によって全体の意識を動かすことはでき、それが結果として他人を動かすことはあり得る
という概念とつながっています。

そこには個のいのちという存在よりも上位の集団意識、神や仏と呼ばれる存在の意識がありそうです。

その点で、大学時代に少し研究したソシオン理論(個体におけるニューロンのような働きをする、社会的な働きの単位があるとする理論)と繋がったのが嬉しかったところです。


Location3より上の意識は、その神を超越、ないしは神との合一が想定されていて、宇宙意識や全能感のようなものがそれに当たるのでしょうか。

またキリスト教やイスラム教が神の概念を植え付けることで、人をLocation3以上に到達することを抑えたという捉え方も興味深いです。

一方で、仏教における悟りや解脱、集団無意識は、Location3以上とも親和性が高かったのかもしれないです。曼荼羅とか、大仏殿などから受けるあの感じはそういうものなのだろうと思いますし、お経のビートとお香の化学物質による集団トランスも、手助けになったのだろうと思います。

最後に宇宙世紀とのつながり

悟りとは、ニュータイプ論ですね・・・
ジオン・ズム・ダイクンの唱えた人類の革新、
アムロやララァやシャアの感じた「人はわかりあえる」「暖かな光」
フル・フロンタルが、人の総意を受け止める器として行動したこと。

彼らはLocation4に達していたのかもしれないし、宇宙生活がそれを可能にしたのかもしれません。

フル・フロンタルが時の果てで見た「虚無」。ララァのみた「刻」。

「刻が、見える」
ーララァ・スン(U.C.0079)
「光なく、時間すら流れを止めた完全なる虚無。これがこの世の果て。刻の終わりに訪れる世界だ。人がどれだけあがこうと結末は変わらない。君にもわかるはずだ。希望も可能性もこの虚無の入り口で人が見る一時の夢。慰めにもならない幻だ。それが人を間違わせ、無用な争いを生みもする!この真理を知る者がニュータイプ。ただ存在し消えていくだけの命に過分な期待を持たせるべきではない。」
ーフル・フロンタル(U.C.0097)

という台詞は、般若心経のいう【空】や、Locationが無意識に意識されていように思いました。


参考記事

メンタルとエモーショナル、サイコロジカルな面において人間の進化を支援する技術である


この技術は、「将来の仕事や社会、技術は人間のマインド/精神の状態に依って左右される」という大前提を出発点として展開している。より具体的には「どうすれば人類は自らの認知的、感情的な能力を向上させ、潜在能力をフル活用できるようになるだろうか?」という問いである。


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