結果論ではなく目的論

現在高校2年生の知り合いから、「学校でクラスを落とされた。死にたい」と突然電話がかかってきた。

その学校は成績によってクラスが決まる。今日は来年度つまり高3のクラスが決まったらしい。高3は大学受験に一番力を入れないといけない学年でもある。その子は、下のクラスは受験勉強に対する意識の低くて成績が低いから、自分の大学受験は絶望的だとのこと。更に、クラスが落ちた原因は成績が悪かったのではなく出席が足りなかったからだそうで、体調不良で休んだだけなのにクラス落とされるなんて理不尽だと嘆いていた。

その子のクラスを落とした先生の心理も理解できる。精神的に弱くてすぐに熱を出し、学校を休む生徒が上のクラスに所属しながら受験期を乗り越えられないだろうと判断したことが目に見える。先生はその子に嫌がらせをしたわけではなく、その子に配慮した上での決断だったとも思う。

今までに死にたいなんて言われたことがなかった私が、その子のためになるようなことを落ち着いて考えた。その結果、私が人生で大事にしている2つの考え方を伝えることにした。

1. 社会の中で生きるということは理不尽なことも受け入れる必要がある。自分1人しかいない世界では理不尽は存在しない。

2. 過去の出来事が原因で今があるという考えた方ではなくて、今の状況をどう捉え、どう次に活かすのかを考える。学歴がなくてもめちゃくちゃ稼ぐ人もいるし、稼がない人もいる。稼がない原因は学歴という過去の成績ではない。

「どう思った?」「それで、何がしたいの?」

この二つの質問を繰り返したら、その子は今の状況を認めて前向きになりたいと発言していた。電話の最後には「先生たちを見返したい」と言っていた。

正直安心した。言葉で刺激してしまって本当に自殺してしまうことを恐れて慎重に言葉選びしたので、無事前向きになってくれて本当に安心した。

今までの人生でもがき苦しんで得た知恵が、ようやく他人のためになって単純に嬉しい。社会に生きてる限り、理不尽なことに必ずぶち当たる。そこにどのような意味を見出してどう行動するのか、そこの人間力が重要だと思う。

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