#15 黒沢清監督からの影響
『嫌いながら愛する』は、黒沢清監督のあらゆる言葉に触発されて完成した作品です。
言わずもがな日本を代表する世界的な映画監督である黒沢監督は、後進の育成にも注力されています。東京藝大で講師をされていて、濱口竜介監督も教え子の1人です。そんな日本映画界の未来を見据えてきた黒沢監督の言葉に、いつも胸を打たれてきました。
特に印象に残った第4回大島渚賞の審査にて発した言葉を引用します。
「目の前にいる人間に対しては並々ならぬ関心と深い洞察力を以って把握することのできる日本の若い映画監督の方たちも、その人間を取り巻く社会に本気で目を向けることはなぜか避ける傾向にあるんですね。(中略)それは仕方のないことなのかもしれません。社会は、人と違ってカメラを向ければ映るものではありません。また、適格に演出しさえすればそれが浮かび上がるものでもないからです。つまり、社会というものは、どうも人間ほど簡単に描くことはできないということですね。それを描くには深く熟考し、構成を練り、ドラマという機能を疑い、気持ちのいい人間描写の裏に隠された無知からくる思い込みや古い因習、気付かぬうちに行使されている差別などを、露わにすることから始めなければなりません。大変だと思います。僕にもそんなことはなかなか簡単にできないのが現状です。(中略)しかし、若いみなさんには失敗する自由があります。完璧など目指さず、非難されることを恐れず、果敢に人間の外側にあるそう簡単にはカメラに映らないものを、引きずりだすことにチャレンジしてみてください。なんとなく把握している身の回りのものだけが世界ではありません。皆さんもとっくに知っているでしょうけども、日本はそんなに平穏な国ではありません。そこに踏み込むのは面倒だし、失敗しそうな気配を感じてしまうのはわかりますが、せっかく映画作りの技量を鍛えられたのですから、それを鋭い刃物のように使ってみることを切望しております。」
『嫌いながら愛する』が、この言葉の通り社会を描けたかは、自分でもわかりません。ただ、失敗してもいいというつもりでチャレンジはできました。
また、黒沢監督の著書『黒沢清、21世紀の映画を語る』では、映画の原始的な仕組みについて学びました。
「どこにカメラを置いて、いつカットを止めるか」
それが映画監督の仕事だと黒沢監督は言いました。
今後も映画を撮るとすれば、このふたつの言葉を胸に刻み続けていきます。