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#11 『嫌いながら愛する』脚本の裏側

※今回の記事は、『嫌いながら愛する』の脚本の裏側を綴っていくので、人によっては鑑賞前に知りたくない情報に出くわす可能性があります。もちろん、物語の核心的な部分には触れませんが、ご注意くださいませ。
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『嫌いながら愛する』は、ぼんやりと浮かんでいた”若い男性の淡々とした日常を描く”ことと、”『夜が明ける』でできなかったことにトライする”がテーマでした。
2023年の秋ごろから脚本に着手していましたが、年末に鑑賞したある作品に触発され、日常描写に動きが出るように自分なりに取り組みました。
その作品とは、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』です。史上最高の映画とも呼ばれるこの映画は、シングルマザーが淡々と家事を行う様を、固定カメラで捉えています。

画面はほとんど動きませんが、映っている人物が常に動いていることが衝撃でした。静かな日常でも、映画的なアクションを描けるんだなと。
『嫌いながら愛する』では、極力画面の中の人物が止まることがないように、動作にこだわって物語を練っていきました。映画は動きによって、物語の躍動感と感情が芽生えていきます。題材としては地味かもしれませんが、動きにこだわっていけば、観客の関心は持続されるはずだと、主人公・加藤のルーテインを考えていったことを覚えています。

また、私は脚本のプロではないので自由自在に題材を扱うことができません。もっと言えば、当事者的な題材でないと、物語が膨らまないのです。簡単に言えば想像力の欠如ですね。それなら、自分が感じていること、男性としてこの社会を生きていくにはどうすればいいのだろうというテーマを突き詰めてみようと考えました。それで、加藤を相対化するような人物を描いていったという流れです。このあたりは、当初の構想と少し変わりましたが、ケリー・ライカートの『オールド・ジョイ』という作品を意識しました。

脚本を書くにあたって、『夜が明ける』との違いは、妻に内容を逐一チェックしてもらったということです。映画に限らず色々話していると、妻にはかなり鋭い視点があると思っていたので、頼ることにしました。すると、脚本が真っ赤になって返ってきました(笑)顔から火が出そうなほど恥ずかしく感じましたが、自分の脚本の落ち度に向き合い、少しずつクオリティの向上に努めました。妻の鋭い指摘により、作品の完成度が上がったことは間違いありません。本当にありがとう。

次回は、2024年5月から始まった撮影の裏話を書いていきます!楽しみにしていただければ嬉しいです。


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