【ジョン・カサヴェテス特集】ラブ・ストリームス アンバランスだが実直な愛について
1.はじめに
どうもグッドウォッチメンズの大ちゃんです。
今回はリバイバル上映で鑑賞した映画のご紹介をいたします。
取り上げるのは特集上映『ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ リプリーズ』から
『ラブ・ストリームス』です。
2.あらすじ
3.ジョン・カサヴェテスという作家について
なんにせよ本作を取り上げるには、監督と出演を兼ねているジョン・カサヴェテスの話をせざるを得ないでしょう。
娯楽作がメインストリームであった当時のアメリカ映画界で自由な映画作りに取り組み「インディペンデント映画の父」と呼ばれたカサヴェテス。
俳優としても活躍しており、そこで得たギャラを自身が監督する作品に投資して大手スタジオの介入を許さないスタンスで映画製作に取り組んでいたというのはもはや説明不要かもしれません。
ある時にはというよりほとんどのケースで自宅を抵当に入れてなんとか資金を調達し、映画を作っていたようです。
そんな状況でも協力する同志がいて、常連のキャストは複数人いたこともカサヴェテス作品の特徴と言えるでしょう。
ベン・ギャザラ、ピーター・フォークとジョン・カサヴェテス自身が出演することも多くあり、そして何より欠かせない存在は公私共に絶大なパートナーである、ジーナ・ローランズです。
中年期の女性がありのままの姿でスクリーンの中で躍動しており、年齢相応の魅力を解き放つジーナ・ローランズはカサヴェテス作品にまさしく象徴的な存在でした。
役柄的にかなり俳優へ負荷がかかる作品が多いですが、そのすべてをジーナ・ローランズはたくましく演じてみせます。
映画で描かれる愚かさを愚かだと感じさせない、傷付けば傷つくほど魅力が増していく不思議な魅力を持った俳優です。
プロデューサーと撮影を兼任することが多かったアル・ルーバンも自由な映画製作を叶える上で欠かせない存在だったはずです。
ちなみにキャストが複数の作品に渡って出演することは、カサヴェテスに限らず多くの映画監督でわりとある話ですが、自宅が何度も登場するなんてことはそうそうないはずです。
このカサヴェテスの自宅も映画の神に愛されているかのような設計なんですよね。
特にこれからカサヴェテスの作品を初めて観る方には階段を注目いただきたい。
一筋縄ではいかないカサヴェテスの映画製作だったようですが、やはりこれだけの同志達に支えられていたこともありそれの力が結集したときのパワーは他の作品とは比類ないパワーがあるという印象です。
4.『ラブ・ストリームス』のクオリティ
ここから少しずつ『ラブ・ストリームス』の話に入っていきます。
結論からいくと、カサヴェテス作品の最高傑作ではないかと。キャリアの実質的な遺作といえる本作はベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞するなど批評的にも大きな評価を受けました。
監督デビュー当初から続けてきた自由な作劇、撮影と熟練の演出術がかけ合わさった結果の高みに到達していると思います。
カサヴェテス作品に一貫して言えることは、とにかく俳優たちにフォーカスがあたっているということ。どうすれば、俳優たちの演技が魅力的に映り、役を超えてフィクション上のその人物を浮かび上がらせるかを考え抜いた映画作家なのではないでしょうか。
時に即興的な演技や荒々しいカメラアングルなどを使って俳優が全力で表現する感情を捉えていきます。作品によってはカメラのズームを多用したり、極端な顔へのアップを使用したり物理的に人物の内面に迫っていこうとする節がありましたが、『ラブ・ストリームス』に関してはその手法は若干抑制されていたように思います。
出演シーンの大半をジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズが占めているため、そのような手法に拘泥しなくとも人物や感情を映せるという確信があったのかもしれません。
5.人間へのフラットな目線
もはやジョン・カサヴェテス作品では定番の流れなのですが、見ていて居た堪れないシーンが頻出します。
ある日突然、離婚した元妻から出産に一度立ち会ったきりの息子を預かって欲しいと言われた挙句、いろいろあって元妻の現夫から暴力を振るわれたり、調停離婚の末に親権まで手放すことになったり。
ちょっとした会話のボタンの掛け違いで一瞬で空気が冷ややかに気まずいものになったりするのは序の口といったところでしょうか。
そんな上手く社会と折り合いがつけられない人物でも、カサヴェテス作品はどこか優しい眼差しが向けられます。
決してそのような人たちを可哀想には描きません。
どういうわけか常に体に怪我や傷を抱えながら、愛についての小説を綴るカサヴェテス演じるロバート。夫も子供も失い、絶望の淵に落とされながらも、懸命に生きる術を探るジーナ・ローランズ演じるサラ。
あまりにフラット過ぎるゆえにどうしても笑ってしまうこともあるのですが、なぜか本当に暗い気持ちになってしまうことはないのです。
動物を飼えば、何か解決するのではと思いついたサラが大量の動物を飼って帰るシーンでは思わず劇場で爆笑してしまいました。それを呆然とした表情でただ見ることしかできないロバートの表情も最高なのですが(笑)。
従来の作品よりも引いたカメラアングルが多いのもそのフラットな人間への目線が感じられます。
それと、基本的にはそのシーンを盛り上げるためだけの劇伴を使いません。
とはいえ、今作に関してはサラが夢を見るシーンなどかなり歪な音楽が挿入されます。
サラの感覚を客観的に表現したものなのかもしれませんが、余りにも歪で正直困惑しました。
夢や妄想を具体的に映像化するのもカサヴェテスとしては新境地と言えるかもしれません。
その場で起こる演技の奇跡や人物の感情の揺らぎをフォーカスする作家という認識でしたが、この辺りの描写は少し観客に対して意識が向いているような気がしました。
その挑発的な意識の屈折具合がどことなくカサヴェテスらしさを感じさせてくれて理解できるわけではないですが、個人的には好きでした。
6.愛について
言うまでないかもしれませんが、『ラブ・ストリームス』は愛についての映画です。
劇中で既存曲がいくつか使用されますが、エンドクレジットから確認するに「LOVE」という単語がタイトルにつく曲が多く使用されています。
これまでもカサヴェテスは『フェイシズ』で離婚の危機に陥る夫婦、『こわれゆく女』で精神的に病んでしまった妻とそれをなんとか支える夫などなど「LOVE」という単語を使わないまでも愛とは何かを問うてくるような作品が多いです。
今作は夫婦で共演していることもあって、よりそれが強調されています。
愛と絶えず流れるものというセリフが象徴するように、サラは愛を求めて右往左往していきます。
最も大切に想っていた家族を失ってしまうほどに。
ロバートは愛について綴ったベストセラーですが、人を愛することができません。
定義も曖昧で不定型な愛を語る映画となると、一筋縄ではいかないのがある意味当然なのかもしれません。自由な映画製作を取り組んできたカサヴェテス作品の中でもプロットは曖昧で歪で、バランスが重要と説くサラの言葉とは裏腹にどんどんアンバランスな作品になっていきます。
実際の夫婦が姉弟を演じて、その弟が異常なほどに姉を渇望しているというのもなかなか不思議な設定ですよね。サラがロバートの自宅を訪ねてきた時にそれまでのロバートでは考えられないくらい喜びをストレートに表現したことにとても驚きました。
この作品では愛の定義を単純な恋愛関係や家族関係だけに落とし込まないことにまた深さを感じさせるなと思います。
ロバートの実の息子であるアルビーには去り際に「愛してる」と告げられますが、そのシチュエーションはあまりに残酷です。
愛ゆえに、大量に動物を飼っていたサラも夢の世界からお告げのようなものを感じ取り結局ロバートの自宅を出ていきました。
大雨に降られ脱走していた動物たちを、探しに行っていたロバートには目も触れずです。
ここでボソッとロバートが「人の気も知らずに」とボヤくのも絶妙なユーモアがあるのですが、唯一愛をはっきり示せていた姉のサラも目の前からいなくなり、はっきりとこの作品の中では愛が成就することはありませんでした。
まさしく流れていく愛の不定型さを象徴するような結末ですが、それでいいのかと聞かれたらわかりません。
そのわからなさこそが愛なんだと言いたいのでしょうか。
ただ、愛のために実直に行動していく人物たちを映画の中では倫理を超えて愛さずにはいられません。
そんな映画だからこそ伝えられる歪な愛の形をカサヴェテスは表現したかったのかなと強引な解釈でまとめさせていただきます。
7.最後に
この記事を最後までご覧いただきありがとうございました。
改めて今作のことを綴っていると、ジョン・カサヴェテスはキャリアを通して連続性の高い映画作家だったなと感じます。
『ラブ・ストリームス』だけを鑑賞しても十分に面白いのですが、その魅力にさらに迫るには他の作品群も鑑賞していった方がよりよいかもしれません。
幸運なことに、U-NEXTでは7作品が配信中です。『ラブ・ストリームス』に関しては配信されていないため、特集上映で今作を鑑賞し他の作品は配信で鑑賞するというのもひとつの手かもしれません。
カサヴェテス作品の魅力が少しでも多くの人に伝わることを願って本記事を結ばせていただきます。