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#5 『夜が明ける』脚本制作過程

前回と話が重なるところがありますが、初めての短編『半壊』を経て、『夜が明ける』の脚本を書いていきました。
当初は、30分から45分くらいの中編をイメージしていて、映画を撮ることを諦めた人が再び映画を撮り始めるという構造でした。
仮タイトルは、『映画物語』。
なんといういい加減さというか実直さというか。

まだ小津安二郎もまともに観ていなかった頃だったので、こんないい加減なタイトルを思いつけたのかもしれません。
きっかけは思い出せませんが、とにかくどこかで正気に戻り、タイトルはこれじゃないものにしようと思いました。

まだ長編2作しか撮っていないので、自分の方法論など展開することは滑稽かもしれませんが、私はオープニングとエンディングを最初に思いつき、うまい具合に円環構造になったらいいなと願望を抱きながら書く傾向があるようです。
今のところ、『夜が明ける』も『嫌いながら愛する』も同じような方法で書いています。

それゆえに、物語が逆算で進んでしまうので、フィクション的には飛躍が少ないのがやや弱点なのかなとも。
ただ、『夜が明ける』については、そういう物語の”狭さ”がいい方向に進んだようにも思えます。
狭い話だという自覚があるので、時系列を交差させたり、色々小細工を試行錯誤しました。
『ブルーバレンタイン』みたいなイメージです。

過去と現在が行き来して、ギャップを感じさせながらどこかで時間が融合するようにできたらと思いました。
結局、そんな技量はないのであのような形式に落ち着いています。

ここ数年で色々映画を観ていき、回想シーンの多用は映画の”瞬間”を捉えた記録性を損ねるなと今は考えています。
また一方で、時間をコントロールできるのも映画の特性だと思ってもいます。
今後、映画の制作にどれだけ取り組めるかはわかりませんが、いずれそういう時間のうねりのようなものをテーマにできたらいいなと。

今のところ2作の長編を書きましたが、時間と社会は通底するテーマのような気がしています。
そんな、グネグネ考えて書いた『夜が明ける』はYoutubeで本編を公開中です。

ここまで書いていると、入店した喫茶店が満席になったので、唐突かつ不器用な宣伝をしてこの文章を締めるとしましょうか。
それでは次回は、『夜が明ける』が完成した時の話を書いてみます。




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