【大絶賛】『ケイコ 目を澄ませて』感覚が研ぎ澄まされる映画三宅唱が捉える世界の美しさに触れた
グッドウォッチメンズの大ちゃんです。
今回取り上げる映画は私が普段行っている動画のレビューとブログ両方で紹介することに意義がある作品かと思い、久しぶりにこうして文章を書いている次第です。
その映画は、
『ケイコ 目を澄ませて』
公開 2022年12月16日
製作国 日本
監督 三宅唱
脚本 三宅唱、酒井雅秋
撮影 月永雄太
編集 大川景子
主演 岸井ゆきの
出演 三浦誠己
松浦慎一郎
佐藤緋美
三浦友和
『Play back』がロカルノ国際映画祭に選出され、『きみの鳥はうたえる』、Netflixドラマシリーズ『呪怨 呪いの家』など話題作を手がけ続けている三宅唱監督最新作となります。
ちなみに動画レビューはこちらから。
【新作映画レビュー】『ケイコ、目を澄ませて』三宅唱最新作!映画を知り尽くした先に見つめるドラマの美しさ
ということで今回は以下のように順序立てて今作の魅力をお伝えしていきたいです。
1.三宅唱監督の映画
2.音楽的な環境音使い
3.ケイコの物語
4.ケイコだけではない周囲の人物
1.三宅唱監督の映画
私が初めてリアルタイムで三宅唱監督の作品に触れた映画は『きみの鳥はうたえる』でした。
鑑賞当時は自分にとってそこまで重要な作品と感じることはありませんでしたが、映画とは不思議なことに初見時にピンとこなかったものが時間や経験を経て全く違った感慨を得られるようになったりすることがあります。
個人的にはその代表的な1本が『きみの鳥はうたえる』で三宅監督の作品は配信で観られるものが少ないためどこかの機会でもっと触れたいと思っていましたが、12月の日本映画専門チャンネルでかなりの本数を鑑賞できる機会を得られたので、簡単に特徴などを紹介していきます。
まず三宅監督は映画を本当に勉強されている方なんだろうなということがよく伝わってくる作品群でした。
基本的には作品ごとの上映時間は短いものが多く情報を足していくより、余分なものは削ぎ落としていく引き算型思考で映画を構成していくタイプかと。
そこは私が敬愛する濱口竜介監督とは異なる点ですね。(ちなみにお2人はとても親交が深くお互いを認め合っている映画作家です。)
三宅監督の映画を観ていると、映画とは撮影現場で記録された映像の積み重ねによって成り立つ映像作品なんだなと当たり前のことを実感させられます。
そしてこの記録された映像というものがとてつもなく美しい。
常日頃から鋭い観察眼を持たれているということなのか、我々は日頃見ているような何気ない景色をまるで別世界のように感じさせてくれます。
カメラの中に映っている俳優が歩くだけで、風に吹かれた草葉が揺れるだけでどうしようもなく感動させられてしまうのです。
これには一体どういう魔法がかけられているのかは撮影現場に行ってみないとわかりようもないのですが、映像自体は静謐なのに情報量は豊富に詰まっているということでしょうか。
『ケイコ 目を澄ませて』でも改めて感じましたが、どこにカメラを置いてどのタイミングで切り替え、また以前現れたショットと似たようで少し違うショットをどのタイミングで提示すれば最大の効果が得られるかを感覚的に理解しているということなのだと私は思っています。
『ケイコ〜』でも会長が座っていたあの椅子を引きのショットでもう一度映すだけで泣けてくるのです。
その感覚が備わっているからこそ短い上映時間でドラマの強度を成り立たせることができるのだと思います。
過去作と同様に本作でもケイコが普段暮らしている荒川区がとても魅力的な町に映っていました。
16mmフィルムで撮られた質感含め撮影の月永雄太さんのお仕事も素晴らしい。
細い路地や精緻に構成されたカメラアングルは成瀬巳喜男や小津安二郎をなんとなく思わせますね。
雑誌ユリイカの蓮實重彦さんとの対談で往年の古典映画について語っておられたりとても映画IQが高いことが窺えます。
ただ、頭でっかちというわけではないのが三宅監督のまた優れた感性なのかもしれません。
基本的には職人監督のようにオファーを受けて映画製作にとりかかるタイプなため、音楽ドキュメンタリー『THE COOKPIT』や中学生とのワークショップを経て製作された『ワイルドツアー』などフィルモグラフィーはとても多種多様です。
その意欲的な姿勢と柔軟性こそが三宅唱作品らしさを構成しているひとつの要素と言えるでしょう。
さて、音楽というフレーズが出たところでそろそろ次の章に進んでみます。
2.音楽的な環境音づかい
馬鹿みたいな感想を承知で書きますが、本作を鑑賞したときに1番最初に感じたことは「自分は耳が聞こえるんだ」ということでした。
バリアフリー上映で鑑賞したこともありますが、本作では通常の映画より意識的に環境音を取り入れていると思います。
ノートとボールペンが擦れる音、縄跳び、床の軋み、ミット打ちなどボクシングをしているケイコの周りにはさまざまな音で溢れています。
それらがとてもリズミカルで映画に乗せられていくような感覚になります。
『THE COOKPIT』という映画のタイトルが出ましたが、ここでラッパーOMSBさんがトラックを作るときの作業をひたすら繰り返すシーンを思い出しました。(ちなみに三宅唱監督に映画では繰り返しも重要なモチーフになります)
しかし、リズミカルな音の連鎖に心地よく感じているとそれらに微動だにしないケイコを目の当たりにして彼女が過ごす世界を実感させられるという逆説的な作りがとても巧みでした。
『コーダ あいのうた』や『silent』など聾者視点の世界を表現するために音声をミュートにするという演出が用いられますが、本作ではそれを行わず静けさと音を同時に意識できる作品になっていました。
このバランスが観客がケイコのことをある程度の領域までは理解しつつも完全にわかった気にさせない効果があります。
だからこそよりこのケイコの物語に没入させられ実在感を得られるのだと思います。
3.ケイコの物語
本作の主人公ケイコは生まれながらにして耳が聞こえない聾者ではありますが、それを殊更強調する映画ではないというのは前述の通りです。
聾者として生活し、ある程度の不便に遭遇しながらもそこで感傷的になるシーンはありません。
プロデビューも果たし、通常のボクシング映画では1番大きく感じされるカタルシスも通り越していてデビュー2戦目から3戦目にかけての数ヶ月を本作では描いています。
(2020年12月から2021年3月というコロナ禍が描かれていることも印象的です)
試合後に母から「もういいんじゃない?」と言われたことが直接のきっかけかはわかりませんが、自分はなぜボクシングをするのだろうと自問自答する日々をフィーチャーすることでより普遍的な映画になったと思います。
ボクシング選手=勇敢な人物と結びつきそうですが、ケイコ自身は痛いのは嫌いといい、会長へ一度休みたいと短い手紙を記したものを渡すことができずに思い悩んだりする様が描かれます。
このようにボクシング映画にありがちな大きなドラマではなく小さい日常の中から僅かなきっかけがもたらすその先の人生を表すような作品だったと感じました。
そのようなこの映画のテーマ性をさりげなく示していたのはジムがある路地に繋がる小さな階段なのかと思いました。
あの階段があることでケイコは仕事からボクシングへ気持ちが切り替わり、練習に行きたくないときは階段を見て引き返してしまうのではないでしょうか。
ケイコが今後のボクシング人生について考えを巡らす中でひとつの選択をするきっかけは決して大きな出来事ではなく小さな出来事の積み重ねでした。思えばこの作劇は三宅監督による正確なショットの積み重ねで語る映画と一致していると言えそうです。
普段の三宅監督の作品では緩やかで美しい長回しが多用されますが、今回はフィルム撮影ということもあり比較的短く引きのショットで着実に物語を語っていきます。
フィルムを無駄にできないという緊張感がボクシングシーンの緊張感とともにケイコの小さなドラマの強度を極限まで高める効果があったと思います。
3ヶ月間のトレーニング期間を経た岸井ゆきのさんの締まった体格やもの言わぬ静謐ながら葛藤も感じさせる佇まいも本当に素晴らしく、もはや他のキャスティングが思いつかないほどの存在感でした。
ただ、この企画が動き出した時点で岸井ゆきのさんの主役が決まっていたということもあり、聾者ではない非当事者のキャスティングになったという事実は個人的に否定しきるまではしなくとも忘れずにいなければと思います。
近年、聾者の俳優のキャスティングが目立ってきており、聾者の身体性は聾者が表現することが最適解という声が多く出ています。
(雇用機会の問題という側面も強くあります。)
ケイコのキャスティングに限らず、聾者の方々の批評は雑誌ユリイカの三宅唱特集がとても参考になるためそちらもぜひご覧いただきたいです。
多くの議論が交わされることで映画の表現がアップデートされると思うのでこのブログを読んでいる方にもそこは一度考えていただいてもいい問題かもしれません。
4.ケイコの周囲の人々
映画のタイトルに主人公の名前が入っている作品は主人公の主観で展開されほとんど出ずっぱりの映画が多い印象ですが、本作では意外なほど周囲の人物も描かれます。
群像劇というほどエピソードが割かれるわけではありませんが、何度も繰り返すように最小限の説明でその人の過去を類推させるような描写になっています。
劇中で具体的な過去のエピソードや関係性をセリフで説明したりすることはありませんが、役者の佇まいの素晴らしさもあって、この人物たちには当然のように過去と未来があると感じさせてくれます。
無条件に慕われるような懐の深さと茶目っ気漂わせる三浦友和さん演じる会長。
いかにもボクサー然とした振る舞いを見せながらも時には丁寧な口調で電話応対をしたり優しい微笑みを見せる三浦誠己さん演じる林さん。
ケイコのトレーニングパートナーとして心地よいコンビネーションミットに音を響かせ、筆談などのサポートを行う松浦慎一郎さん演じる松本さん。特に林さんと松本さんがケイコの移籍交渉をする際に仕事着を着用していたのも印象的でした。こういったセリフで語らず衣装で表現する演出も映画に奥行きが増しています。
このジムの閉鎖にまつわるエピソードだけでもスピンオフで作品が作れるくらい少ない描写で厚いドラマが描かれています。
映画的な技巧が圧倒的に優れていながら頭でっかりな映画に終わらず愛着が湧く作品になったのはケイコの他にも魅力的な人物が描かれていたからではないでしょうか。
最後になりますが、改めてボクシング映画ならではの試合の勝敗という大きなカタルシスに頼らず極限までにシンプルな演出にこだわった素晴らしい傑作でした。
細部の音使いや画作り、フィルムの粒子など細部にこだわり抜かれているためやはり映画館の鑑賞に適していると思います。
これから少しずつ地方にも拡大され長く愛される映画になるはずです。
もっと多くに方々にこの素晴らしい映画を観てほしいと心から思っています。
ではまた次の映画でお会いしましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。