そのいのち
中村佳穂の「そのいのち」
この曲を聴くと、生きる気持ちを鼓舞されるような
そんな感覚に陥る。
今年、私は生と死により深く触れた。
おばあちゃんが亡くなった。
私にとってのおばあちゃんは、一般的に考える
おばあちゃんの像とは少し違った気がする。
私が生まれてから今まで同居していたこともあって
家族という枠の、またより深い存在であり
優しいだけじゃなく、おばあちゃんの
色んな側面を知っている気がした。
昔はよくテレビのチャンネル争いで喧嘩したり
小学校から帰ってくると、おばあちゃんは
絶対に相棒を見ながらお菓子を食べてたし
足が悪かったから、大抵は家に居るか
お花の先生をしていたから
家で花を生けてた記憶が多い。
自分にとっておばあちゃんは当たり前の存在
すぎて、優しくできない時もあった。
去年の9月におばあちゃんが骨折で入院した。
骨折で入院したはずが医療ミスで
おばあちゃんは目を覚まさなくなった。
心臓だけがゆり動く体になってしまった。
一命を取り留めてくれただけで
それで良かったはずなのに、
お見舞いにくる人達は
おばあちゃんを悲しい目で見ていた。
生きている人間、というより
死に近い人間として見ているような気がした。
そんな光景を見るのが哀しくて堪らなかった。
でも、私が会いに行くとたまに目を開けて
おばあちゃんの目から涙が溢れることが
度々あった。きっと分かってくれてたよね。
結局、生きる とはどういうことなのだろう。
心臓が止まるか否かで、決まるのか。
私は生きることの意味を、ある出来事
起きた時に猛烈に考えた。
このまま、全て自分も何もかも無くなれば
この悩みすらも考えなくて済む。
そうならば、早く消えたい。そう思った。
存在する意味がよく分からなくなった。
自分の存在意義をノートにぐしゃぐしゃに書きなぐった。それでも答えは出てこない。
死にたいと思った事なんて一度も無かった私が、
生きることに対して無力になった。
おばあちゃんが死と生の境を彷徨っている時に
私はそんなことをひたすら考えていた。
ごめんなさい。
糸のように大切に紡がれてきた私の命。
沢山の奇跡と偶然と必然で成り立っているこの世界。この痛みは、私の歴史に必要なものだった。
生きる いうことは、誰かの為に生きよう
とすることだと私は思う。
この地球が生まれた意味も
その中で人間が生まれた理由も
誰も分からない。そんな中で紡がれてきた
ひとつのいのち。それが自分。
分かっているようで分かっていなかった。
この世に人として生まれ、また人と関わり合う
中で色んな感情が芽生え、
苦しくなったり 嬉しくなったり
様々な感情や環境で日々が彩られる。
そんな中で上手く生きている人なんて
数少ない。
流した涙は自分の強さに変わり、
誰かを大切に想うことが生きる意味に繋がる。
誰かのことを想って息絶えることが出来たら
それでいい。
空の上であの手紙を読んでるかな。
おばあちゃん、命を紡いでくれてありがとう。