ただひとつ 確かなものがあれば ただひとつ 確かな愛があれば ただひとつ 確かな言葉があれば ただひとつ 確かな心があったなら 波が押し寄せては引き、揺れ動く どの景色を切り取っても 記憶の残像はフィルムのように浮かび上がり また上書きされてゆく そして 日々を繰り返す 繰り返して 繰り返すほど なにもかも 消えてゆく 忘れたくないものまで 波は全てを攫っていった 最期に残るものは 何なのだろう この胸にある心だけが 真実を教えてくれるのだろうか p.s. 海
久しぶりに眠れぬ夜を過ごしている いつぶりだろうか 瞬く間に、時は悠然として 目の前を通り過ぎていく かつて手にしていたもの 掌握できない程に溢れていた 今はその小さな輝きを ゆっくりと、丁寧に拾い集めている 信じる ということ これは 自分自身にとっての人生の課題 なのかもしれないと 常々思う 頭の中にぐるぐると邪魔をする 何かがいる その渦が次第に大きくなると 自分は何もかも分からなくなってしまう 渦の中に飲み込まれ、嵐が去った後 私の手には何も残っていない ただの
中村佳穂の「そのいのち」 この曲を聴くと、生きる気持ちを鼓舞されるような そんな感覚に陥る。 今年、私は生と死により深く触れた。 おばあちゃんが亡くなった。 私にとってのおばあちゃんは、一般的に考える おばあちゃんの像とは少し違った気がする。 私が生まれてから今まで同居していたこともあって 家族という枠の、またより深い存在であり 優しいだけじゃなく、おばあちゃんの 色んな側面を知っている気がした。 昔はよくテレビのチャンネル争いで喧嘩したり 小学校から帰ってくると、おばあち
あと時計の針が半周したら、私は二十一歳になる。 大人の仲間入りをしたような、ウキウキしていたあの時から もう一年が経ってしまった。 二十歳は余りにも強烈で鮮明だった。 身近な人の死、出逢いと別れ、癒えない傷、愛すること、音楽、本、、、、 色んな物事の「痛み」を初めて味わった一年だった。 しかし、今振り返って見れば、その痛みも強さに変えられるくらいに成長した自分がいる。 それまで「自分」という人間が、何を考え何に心を揺さぶられるのか、 自分自身を理解出来ていなかったように感じる
古き良きもの、についてよく考えることがある。 再開発や技術の進化によって変わりゆく街並みや文化、 そして人々の暮らし。 時代の流れに逆らえないまま、過去は消えていってしまう。 誰かが愛した風景や店が、消えてゆく現実。 老朽化によって変わらずに在りつづけることの難しさ。 時代と共に一色に塗り替えられてしまう 変化の恐ろしさも感じずにはいられない。 いくつもの「物」が形に残らず消えてゆくこの現代。 そこに果たして、本当の未来は在るのだろうか? 最近観た映画の「Perfect D