私の履歴書(3)浪人時代
現役での大学受験は全敗。浪人することになりました。
昭和期においては、一浪、二浪は当たり前の時代であり、両親も寛容だったので、甘えることになりました。その頃、予備校と言えば駿台や河合塾が有名でしたが、不得意の英語を伸ばしたかったので、小規模で英語重視のところを選びました。
入ってみると、もともと英語の実力がハイレベルな上智大学志望者ばかり。ここでも圧倒されました。
その中で、一人のクラシック音楽を愛する友人と出会いました。彼はピアノの達人であり、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの鍵盤音楽に通暁する人でした。
彼から、バッハの偉大さを教えてもらいました。カセットテープにオススメの曲を録音してくれました。フランス風序曲などの鍵盤音楽や、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータなど、それまでロマン派音楽を中心に聴いてきた自分には、感動に次ぐ感動でした。
グレン・グールドのことを教えてくれたのも彼でした。コンサート出演を拒否し、レコーディング・スタジオにこもって音楽創作を行うスタイル。人の生き方の多様性を教えてくれました。
夏頃、とある予備校の模擬試験で、第一志望の大学の学部の合格予想判定が80%と出たことで、すっかり舞い上がってしまいました。手を抜いたわけではありませんが、その後、現役生の追撃にあい、二度目の大学受験で次々に志望校は不合格。
唯一合格できた都内の私立大学法学部に入学することになります。