愛聴盤(23)ピレシュのモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集<旧盤>
マリア・ジョアン・ピレシュ(以前は「マリア・ジョアオ・ピリス」と表記されていました)さんのモーツァルトのピアノ・ソナタ全集(DENONの旧録音)を取り上げます。
解説書によると1974年1月~2月に東京のイイノホールにおける録音です。
いくら才能のあるピアニストとは言え、当時29歳の彼女が、慣れない東京の地で、ホテルとホールを往復する毎日を繰り返しながら、短期間にLPレコード8枚分のレコーディングに臨んだことを思うと、コンディションや集中力の維持など、かなりタフな仕事だったことと想像します。
故吉田秀和氏の著書「世界のピアニスト」に、正にこの録音について、詳しい評論が展開されています。同氏は、彼女のことを「テンペラメントに富んだ演奏家」と表現しています。このモーツァルト録音を聴いただけで、彼女の内面に「あまりにも激しい感性」、「強い感覚」があることを見抜いています。さすがの慧眼です。
同氏は、この著述の中で、モーツァルトのソナタ各楽曲の小節数を例示しながら、ピレシュの演奏を詳細に分析し、「まるでベートーヴェンの音楽をひいているようなダイナミックでモーツァルトを作り上げる」と評しています。彼女独自のクレッシェンド・デクレッシェンドを取り上げ、いわゆる「モーツァルト弾き」との違いを指摘しています。一方で、「およそモーツァルトのピアノ音楽にみられるpのあらゆるニュアンスを展開しているといっても過言ではない」と彼女のタッチの優しさにも触れています。
吉田氏の指摘する通り、ピレシュさんのピアノの音は硬く聴こえます。しかし、この点は録音会場の残響が少なく、デッドな環境だったことも関係しているのではないかと思っています。
モーツァルトの楽曲に対する知識・見識において、吉田秀和氏にに比べて大幅に劣る私は、あくまでも「感覚的」で「主観的」にピレシュさんのモーツァルトを聴いていますが、なぜでしょう。この演奏を聴くと心が安らぎます。わたしがうつ病で自宅療養している時期、何度もこの演奏を聴きました。心のひだに、ひたひたと沁みるように響きました。過度な感傷に陥ることなく、芯があるのに、どこか人懐っこさを感じさせるモーツァルトに思えます。
ドイツ・グラモフォンに録音した2度目のソナタ全集は未だ聴いたことがないのですが、もう少しこの旧盤を聴きこんでからでも良いかな、と思う今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございました。