指揮者ヘルベルト・ケーゲルと東ドイツ(2)~マーラーの交響曲2番を聴く~

前回、ヘルベルト・ケーゲルの記事を投稿したところ、複数の方からコメントをいただきました。素直に嬉しいです。ありがとうございます。

あらかじめお断りしなければなりません。私すえきちは、ヘルベルト・ケーゲルのコアなファンではないかもしれません。私より、この指揮者について詳しい方はたくさんいらっしゃるでしょう。その上で、私のコレクションの中から、以下のCDをレビューいたします。

マーラー:交響曲第1番ニ長調、第2番ハ短調「復活」
ヘルベルト・ケーゲル指揮/ライプチヒ放送交響楽団ほか
レーベル :Weitblick CD2枚組

今回は、第2交響曲を聴いてみます。

1975年4月15日、ライプチヒでのライブ録音。

ケーゲルのアプローチは、きわめて純音楽的です。また、ブルックナーで感じられた彫りの深い音楽作りは全く同じです。

第一楽章。指揮者が音楽にのめりこむことなく、突き放したような解釈。乾いた音色の弦とほの暗い金管の響きは、ブルックナーの時と変わりません。

クライマックスで、時折テンポが速くなるのに驚きますが、説得力があります。聴き手は緊張感を強いられたかと思いきや、弦楽器が美しいメロディーを奏でるのを聴き安らぎを得る。このコントラストは、印象深いものです。

明晰な音楽と情緒に流れない厳しい解釈。バイオリンのポルタメントも、奏者は主情的な演奏になるのを避け、あくまでも楽譜に忠実にメロディーラインを描いているように聞こえます。人によっては「冷たい」と感じるかも知れません。

第二楽章。意外にもテンポは遅め。音楽の骨格をレントゲン画像のように明らかにします。ソロを吹く管楽器奏者の緊張感は相当なものだったでしょう。テンポが上がり、楽器が増えていっても、解像度が低くなることなく、整然としています。マーラー好きが聞いたら、「この部分は、もっと歌って!」と思うような箇所も、ことごとく客観的に、整然と演奏するケーゲル。

第三楽章。冒頭のティンパニの硬質な音にハッとします。ここでも、贅肉を削ぎ落したかのようなケーゲルの音楽に心奪われます。マーラーはこの楽章で、自作の歌曲集「子供の不思議な角笛」の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」という歌曲のメロディーを主題に使っているのですが、この歌詞を理解していると、まさにこの楽章が、「スケルツォ(元の意味は「おふざけ」)」であることがよくわかります。

真面目に説教する偉大な聖職者。その高尚な話を熱心に聞く魚たち。良い話を聞いたと満足して水に戻った魚たちは、ほどなくして、すっかり話の内容を忘れてしまい、元の木阿弥。

こんな諧謔性を、指揮者はケーゲルはグロテスクに描くのです。

第四楽章。前楽章からガラリと変わって静謐な音楽です。ケーゲルの明晰な音楽は、この曲の透明な世界観を見事に描きます。ソリストA.Burmeisterは、重心が低く堅実な歌唱で好ましいものです。

第五楽章。ケーゲルに派手な演出を期待してはいけません。冒頭を派手に鳴らして、聴衆を驚かせようなどという低俗な発想は無いようです。

神経質なピアニシモも無ければ、妙にテンポを動かすこともありません。大規模な編成なオーケストラの統率は見事です。ライブゆえに、管楽器のソロで、細かいミスはあります。それは小さいことでしょう。

特筆すべきは、ライプチヒ放送合唱団(MDR Chor)の優秀さです。ベースに(おそらく一人)オクタビストがいるように聞こえます。復活のテーマが静かに歌われ、ソプラノ・ソロに引き継がれるあたり、実に素晴らしい。ケーゲルは、オルフの「カルミナ・ブラーナ」の演奏でも見事な演奏を聞かせていたことを思い出しました。

メジャーレーベルなら、ソリストに有名歌手を起用するところでしょうが、この演奏はそうではないことが奏功し、ソリストの声が、オーケストラの一員のように、合唱団のトーンと程よくブレンドされて心地よいのです。

クライマックスでは、実に息の長い音楽が奏でられます。これ以上ゆっくり演奏されたら、管楽器奏者が過呼吸になって倒れてしまうくらい、ギリギリのテンポ。ライプチヒ放送交響楽団は、ウィーン、ベルリン、シカゴのようなスーパープレイヤー集団ではなさそうで、最後はかなりしんどそうに吹いているのがわかるのですが、それでも共感できる。聴いている側が熱くなる演奏です。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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