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愛聴盤(10)プラハ室内管によるハイドン「ザロモン・セット」

プラハ室内管弦楽団のことを強く意識するようなったのは、チャールズ・マッケラスが指揮したモーツァルト交響曲全集の演奏が強烈なインパクトがあってからだ。

1951年活動開始したこの団体。普段は指揮者無しで演奏するそうだ。アメリカ発祥のオルフェウス室内管弦楽団より前から、こうしたスタイルで演奏する団体があったとは長らく知らなかった。そこで、今更ながら彼らのハイドンのロンドン交響曲のCDを入手し聴いてみた。

指揮者が独自のテンポや強弱を強いないせいか、実にのびのびと演奏している。全てが自然だ。メンバー同士の息もピッタリだ。例えば93番の第二楽章。遅めのテンポで奏者が同じ呼吸で弾いている。彼らが互いにアイコンタクトを取りながら演奏している様を想像しながら聴く爽やかで瑞々しい音楽はとても心地よい。指揮者がいないことのネガを全く感じない。

94番「驚愕」の第一楽章のアダージョ。実に深い呼吸を感じる。アレグロに入るタイミングもピタッと合っていて、テンポも奏者の設定なので、とても自然。それがとても心地よい。

ハイドンの時代の音楽は基本的にイン・テンポなので、指揮者無しでも演奏しやすいのかもしれないが、彼らの演奏はアンサンブルをとても楽しんでいるように聴こえる。有名な「時計」の第2楽章。木管がハッキリと正確にリズムを刻む上に、ヴァイオリンが対話するようにメロディを奏でる。この呼吸を合わせる感じは室内楽のようだ。

深刻な音楽を心身が受け付けないとき、こうした微笑ましい音楽は心地よく心に響く。エステルパージ家で壮年期を過ごし、退職後の晩年に大きな成功を手にした作曲家ハイドンの残した12曲の交響曲は、単にその時代のロンドンの人々の好みに合わせることに終始せず、現代の我々の心も豊かにする。

かつて、アインシュタインは、「死とは、モーツァルトが聴けなくなることだ」と言った。僕はこう言おう。「幸せとは、ハイドンが楽しめる状態のことだ」。

スプラフォンの録音も優秀。解像度が高く、楽器の音色が美しく収録されている。

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