彼女が遺した後世への最大遺物~灯の歌~
歌にこめられた想い
滋賀の田舎の片隅にできあがった資本主義の世界のそれとは違うキリスト教をベースにした福祉のコミュニティ、止揚学園
今週の施設訪問直前に学園の方からメールをいただいた。それは、クリスチャンではない僕にも、職員の方の人生や仕事に向き合う想いが伝わってくる内容で学園が創り上げている文化そのもの
今回の訪問では真っ先に新館の2階に伺い、たくさんの花や写真、仲間からのメッセージに囲まれた〇〇さんが笑う遺影に手を合わせ、障碍とともに生きた○○さんの人生、ご家族の人生、50年以上の時間を一緒に過ごした施設の仲間の気持ちを想像する。きれいにアルバムに整理されたたくさんの写真から、施設での思い出を時間を超えて共有していただき、〇〇さんのことを教えてもらっていると前回ご披露いただいた灯の歌が、〇〇さんを思いながらみんなで作った曲だというエピソードを聞くことになった。
いつも、何気なく一緒に過ごさせてもらっているランチタイムも、学園からしてみたら、たくさんある来客の一人で、1週間のうちの時間の中のほんの数時間ではあるけれど、一緒に過ごす人生の時間の一コマだと思うと、ほんの少しでも何か残していけないかと愛おしくなる。
近所にある止揚学園と偶然出会い、夏から訪問させていただくようになった。その文化にふれることで、自分の価値観が大きく揺さぶられているのがわかる。はじめて海外に行った時のように、新しい文化を見て学び感動し、世界が広がったように、いまだに毎回の訪問では学ぶこと、感動すること、受け取ることが多い。
人が動く時とは、人を感動させるためには、社会で弱い立ち場にある人を「支援」をするというのはどういうことか、「人に寄り添う」というのはどういうことか、人を愛するということ何か? 信仰とはなにか? 仕事とは何か、資本主義経済とは?人の存在とは、認識とは?世界と宇宙の成り立ちとは?
学生時代に戻ったかのようにトリップしていると、ちょうど同時期に古希を迎えた母親からのLineの返信メッセージ。
両親がこの世を去るときに何をお返しできるだろうか、傍にいてあげられるだろうか、どんなお別れをするのだろうか。
ややもすれば他のLineのメッセージと同じように、忙しい毎日に流れていってしまいがちな人生の1つ1つの時間やそこに込められた想いを大切にしたい。