insomnia
とりまく空気の層を感じることができた。一枚一枚剥がして、身体を外気に預けた。コートの中の温度と、外の温度は違う。いつもそのようにして冬が始まる。何層にも重なる、肉体が沈んで、閉じられた中にいるようで、永遠に移動していく車内で身体の力が抜けていく。
もとには戻らない日々を生きている。でも、思い出すのは昔のことばかりで、それらの日々が懐かしくて恋しい。この選択をしなければもっと楽に生きられたのだろうか。もう生きることに疲れた気がする。何回も無理をして、もうだめだと思いながら、自分を良い方向へと運んだ。だけど、結局もう疲れている。既に過ぎ去った様々な日々がとても懐かしく感じる。何処にいても孤独だった。結局今も孤独だった。でも、今日気付いた。やっと認めることが出来る。人と関わると&人と付き合うと疲れる。体調が悪くなる。どんな
身体に力が入っていた。もうずっと、何年も前からそうだった。身動きが取れなくて、楽しくなくて、それでも、自殺はしないと決めていたから、(決めていたなどという大それたこともできなかった気がする、ただ、自殺するわけにはいかなかった)毎日笑顔で頑張った。頑張るというのは、気張るということで、自分の中ではそれだけで精一杯で、慣れない生活だと自覚しただけでも進歩だった。 逃げ場はなかったと思う。この生活しか残されていなかった。あの時の自分はそう感じていた。誰にも話さなかった。苦し
桐野夏生の小説は悪意をベースに書かれていることが多くて 今回の小説も悪意や怒りが強く心に「何か」を訴えかけてくることが多かった。 その「何か」とは。 ストーリーそのものがもつ熱量に応じて、言語化してみる。 最近よく人も自然という見方を使う。その中で最も人が(私が)手に負えないと感じる自然が感情だった。 人も自然とは、言い換えれば、私の中では感情も自然ということになった。論理はめちゃくちゃかもしれないが、構わない。直観的にそう出てくるのだからこの言葉を使う。 手に負
・ちょっと前までは、絶対こうしなければならない、自分とはこうで、こうだから、必ずこうしなければならないというのが強かったはず。でも昨日、嫌な事を思い出して、そういう時はどうしたらよいのかインターネットで少し検索して、調べてみたら、次のような感覚があることに気付いた。 →激しく変動する調子(ここでいう調子とは、エネルギーのようなもの。バイオリズムとかとも言われているのかもしれない。)に合わせた動き方ができれば、もっと楽になるかもしれない。それは世間とは大きくさようならをする生
今日気づいたこと。言葉の世界を抜け出したい。言葉に執着しているから、言葉によって傷つく。言葉にからめとられる。だから、一旦、言葉の世界を抜け出したい。言葉から自由になって、蠢く煩悩を停止させたい。 人と関わると疲れる。伝えたいことがあるとエネルギーをフルに使って伝えようとしてしまうからだと思う。そのような状況下でも関わらないスキルがあったら便利。
とにかく今の生活に馴染めていない。いつもこの季節になると、破滅的な考えが頭につきまとい、精神状態が不安定になる。何故?とにかく今はここから逃げ出したくて息苦しい。
寒い、と思ったら冬だった。冬にはおでんを作る。寒いけど、近所のスーパーまで出向いて材料を揃える。大根、たまご、揚げ、色々なもの。好きな中身を揃えたら帰る。しんとしていて、喧騒があたたかく響く。首にあるマフラーのなかに息を埋める。体温だけ感じられて猫になった気分だった。気ままに生きている。いつ死ぬとも分からないのだから、気楽に行くしかないとも思っている。そのおおきな流れのなかで、働き、食べて、風呂に入り、寝る。所々に生活の様々な所用をこなし、時々に休み、気分転換をし、だましだま
日記 9月20日火曜日の日記 朝。弁当を用意した。ピーマンを豚ロース肉で巻いて塩コショウで焼く。卵焼きも作った。甘くした。あとは夕食の残りのささみときゅうりを和えたもの。 夕方、梨を貰った。この梨は秋月というと教えてくれた。秋月は、皮を剥くと白く、つるりとしていた。少し陶器のようだ思った。口に入れるとみずみずしかった。弾けて、気もちのいい甘みが口いっぱいに広がり喉に落ちた。 この日の夕食を記しておく。ご飯。湯豆腐。ささみとエノキのバター焼きを和えたもの。梨。夜、気温が落
① 早朝の山のにおいは緑と水のさらさら流れていくような。そんな感じ。とにかく透き通っていて流れている。淀みがなくて気持ちがいい。日々の滞りがすっと溶けていくような感じがする。コーヒーを分厚いマグカップにじゃぶじゃぶと注いで外で飲む。夏の朝だ。緑は雑多で、生命力に満ちていた。朝ごはんにホットサンドを食べた。その後は眠ったりドラマを観たりして過ごした。 ② 知らない土地の道路を永遠と走っていた。 ③ ミネラルウォーターのラベルを剥がして捨てた。帰宅してすぐに珈琲を飲んだ
その小説に出てくる人物は皆、一様に憂鬱に沈んでいる気がして、私にはそれがとても癒しになった。ある女性はいつもお風呂に入ることを日常の愉しみにしていて、明るいうちのお風呂や、雨の日のお風呂、そしてその時々の窓から見える様々な光景が目に浮かぶようで静かに降りて行くことができた。記憶の底に。とても懐かしく、哀しいと感じた。忘れてしまった物事と、それに付随する感情を愛していた訳ではないけれど、何故だかとても懐かしくて、今ではそれらがもう既に記憶の底に在ることが哀しいのだった。 過
買い出しは週1、日曜日。仮に、次の日曜日までに使い切ってしまったものが発生しても、買い足さない。 買い出しに行く前に、買い物リストを作ろう。項目は三つ。①買わないもの。②肉の量。③その他買うもの。 買い出しから帰宅後に最優先で行うことは、肉を小分け冷凍すること。購入した肉が大きめな場合、一口大に切ってから小分け冷凍する。分け方は適宜決める。 献立は、事前に作らない。その代わり、食事の型はある程度決まっている。①ごはんと味噌汁。②とにかくシンプルに。③旬の野菜をたっぷり
誰かに認められたいという気持ちに中毒になっている状態を自覚できないままに行動を続けると、それは後から空虚なものになるよと言ってあげたい。いつかの自分に。今思えばそう自覚できるのに、問題の渦中にいる時は全くだめだというには何と不便なことだろう。全然使えないじゃん。 誰かに何かを認めて欲しい、という幻想に走らないこと。とにかくそれは捨てて、自分が没頭できるものを最優先事項とし、意味や価値など全く考えずに没頭すること。しかし、悪いものは悪いのでそこの判断を怠けないこと。
他人に話せた程薄まった状態 ある限定的な場面において、身体的に辛さが発生する。それを、どう感じているのか?実際のところ分からない。始めに来るものは、嫌だという感覚だ。多分。それを心地よさにするためには?
本を忘れてしまったので記録 春が段々と終わろうとしているなという朧気な感覚がある。とすると、春とは3月のあの寒さの中で朧気な春を感じ、段々と暖かい日が現れ、桜が咲くまでなのかなぁと思ったりする。寒い時は積極的に外に出て歩いていたけれど、さくらがさくころになると何だか疲れてしまって、家にこもる時間が増えた。いつもこの期間が苦手で、外の活動的なエネルギーと自分の閉じたエネルギーがぶつかり合ってジリジリしているような感じがするのだ。できれば、今年はさくらがさくまでの変化を歩きなが
新しい場所で新しい生活を始めたいと思う時、決まって人生に悩んでいる。行く道が分からず、すべきことも分からず、迷いと混乱の中にいる。そのことが分かる。 資源ゴミに出す段ボールを解体しながらこの段ボールは数年前のものだと気付いた。現在の意識が過去に結び付いていて、あの頃を終わらせることができない。私はそんな時、あの瞬間を後悔する。あの時点で、最適だと思う道を選んでいたら今とは違う暮しがあっただろうかと思う。しかし、あの頃は何もかもが分からなかった。日々の生活と労働に忙しく流