マラソンを好きになったきっかけ
気が付けばラン歴が10年以上になってしまっている私が、そもそもマラソンをなぜ好きになったのか。そのきっかけについて書いてみようと思う。
そもそも論でいうと、私はマラソンに対して良いイメージを持っていなかった。マラソンは学生生活における授業の一環だったし、なぜまたこんなに辛い思いをして何十分も走り続けなければならないのかと、授業中も卒業してからもずっと思っていた。
両親はマラソンをする人だったが、国内外(!!)の大会に出場している姿をそばで見ていても、「長い時間をかけて、よくあんな距離を走るよね」と思っていたので、自分がいかにマラソンに対し冷めた感情を抱いていたか分かっていただけると思う。
そんな斜に構えた思いが、コロッとひっくり返る出来事に出会ったのは20歳のころ。海外のマラソン大会に出場するという両親について、一緒にドイツに行った時の事だった。
それまで国内のマラソン大会で走る人の姿は見ていたけれど、あくまでおなじ国の人が走っているので、特に思うことはなく。
それが、多種多様な国籍と年齢が異なる数万人のランナーが同じゴールに向かって走る姿を目の前で見て、そして、その走る人々を心から応援している人々の姿を見て…。
なんだか、ものすごく感動しちゃったのである。
人はひとつの思い(ゴール)に向かって、同じ方向を向いてともに走ることが出来るんだ…。そんな人々をこんなに心を込めて応援してくれる人々が大勢いるんだ…と、そんなことを(勝手に)感じて泣けちゃったのである。
沿道で応援している人々のホスピタリティと、応援の上手さ、大会の盛り上げ方の良さもあり、その『お祭り感』にもすっかり魅せられてしまった。
自分もあのお祭りの中に入りたい、と強く思った。
それから、自分の中のマラソンに対するイメージが大きく変わった。
そこから実際に走り出すまではもう数年を要するのだが(笑)、このときの原風景がいまも自分がマラソンを続けている理由のひとつであることは間違いない。
いまだに練習は好きじゃないし、実際のところ42kmという距離は本当に長いので、『なぜこの大会に申し込んだんだ』と毎度スタートラインに立つたび恨めしい気持ちになるけれど(笑)。
走っているときの、あの「ひとり」だけれど「みんな」で走っている一体感と、手放しで『がんばれ』と応援してくれる多くの人々、そして駆け抜けた後の達成感は、今も昔も変わらずに好きでいる。