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大人になってこそ

2日目にして早くもサボって寝ようとしてました。

多分毎日やろうとすると飽きて続かないので書きたいことが溜まったらにしていこうと思います。


ここしばらく中途覚醒せずに朝起きたことがなく、例に漏れず今日も少しだけ眠いまま起床しました。

こういう時は不器用なくせに持ち前の要領の良さで、最近楽しかったことを考えながら仕事をします。

そうすると見事に現実と夢の狭間が曖昧になり、部屋に靄がかかって漠然としてきます。

仕事をする自分と本当の自分が異なるのはメリハリがついていいことかもしれませんが、まだまだ切り替えがうまくいきません。

半年しか前じゃない、あの日常楽しかったなあ、なんて思ったりしますが、

別にこれからの人生、同じ場所に留まることができると感じ始めてるから余計に切り替わりません。

切り替えずにありのままで仕事ができる方がいいんだろうか、これに関しては答えはよくわかりません。

ライブができる飲食店をやってみたいとも思うし、色んな経験をさせてあげられる小さな託児所を営んでみたいとも思う。

仮に一心もブレずに仕事ができたとしたら、それはそれで逃げ場が無いんじゃないかと思ってしまう。


さあどうだろう、大人になるとは何か、結局ここにたどり着く。

一切揺らぐことのない自分自身を持つのか、それとも適度に言い訳をしつつ適度に諦める、その適度を適当に覚えていくのか。

車を買う、結婚する、子供を育てる、マイホームを持つ、などなど高度経済成長を支えたテンプレートの数々、どうしても小手先にしか思えない。

人にからかわれて怒らないのが大人、落ち着いたフリをしていれば大人、自分の事を喜ばすことだけ考えるのは子供?

ますます大人になるのがつまらなくなってきたので、オトナと呼ぼう。

いわゆるオトナは大人じゃないと信じたい、すくなくともこれからは。

大人は仕事をしている自分も、本当の自分も両方どこか高いところで見ていて、あぐらをかいてマクドナルド食ってるに違いない。

そうなったら胸を張って、家庭を持ちたいと言えたり子供が欲しいと言えたりするのだろう。


道の先は見えないが、とにかく明日も生活していくために働くしかない。

こんなこと言ってるのもオトナっぽくて、根っこがミーハーな僕は少しだけ嬉しかったりするのが悲しい。

自覚的なだけマシとしよう。
大人の一歩だ。


(朝まで寝れますように)

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