クリスチャンの永遠の命とは?What is Eternal Life of Christian?
もしもあなたが、クリスチャンとして生活しているのであれば、おそらく、一度は、この言葉を聞いたことがあると思います。
「クリスチャンは、神様から永遠の命を与えれます。」
もしも今、私の記事を読んでくださっているあなたがノンクリスチャンである場合、もしかしたら、今まで他のクリスチャンたちから、
「クリスチャンは、神様から永遠の命を与えれます。」
という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
私は今まで、日本とアメリカとで、いくつもの教会に通い、たくさんの説教を聴いてきましたが、数多くの牧師の皆さんたちが共通で言うことの中に、
「クリスチャンは永遠に生きる。」
という言葉があります。
しかし、クリスチャンになったばかりの頃の私には、『永遠の命』の意味が、まったくわかりませんでした。
なぜかと言うと、私は、
『どのような仕組みで、どのような方法で、永遠の命を与えらえるのか?』
ということについて、教会の説教を通して、詳しく聞いたことがなかったからです。
さらには、私がクリスチャンになったばかりの頃、他の先輩クリスチャンの皆さんたちも、
「私たちクリスチャンは、天国に行って永遠に生きる。」
ということを言っておりましたが、そのことについても、その当時の私には、その話も、まったくピンと来ない話でした。
その当時の私は、
「永遠の命を与えられるってどういう意味?」
「人間が死んだら、肉体は滅びて無くなるのに、でも、クリスチャンになると、永遠の命が与えられるってどういうこと?」
と、不思議に思っていたものです。
多くの牧師の皆さんたちは、説教の中で、
「クリスチャンは、永遠の命を神様から与えれます。」
「クリスチャンは永遠に生きる。」
などといった『言葉』を言います。
しかし、
『じゃぁ、一体、どうやって永遠の命を与えらえるのか?』
という部分については、詳しく説明してくれていなかったのです。
「詳しく説明してくれていなかった。」というような言い方をしてしまいますと、なんだか、他力本願的な言い方に聞こえてしまいますので、あまり好ましくない言い方だとは思いまが、
ただ、クリスチャンになったばかりの私は、教会の説教だけに頼らず、自分自身で聖書を学ぶということをおこなっていなかったため、
その当時の私は、
ということを考えて、モヤっとしていたのです。
今は、その意味が完全にわかるようになりましたが、ただ、そのためには、教会の牧師の皆さんたちの説教だけに頼るのではなく、自分自身で聖書について詳しく学び、聖書を正しく理解するということが私には必要でした。
この世界では、神様を信じないという人たちが一定数おります。
残念なことに、日本という国は、世界的に見て、『神様を信じない人たちが多い国として第二位』だそうです。
おそらく、多くの神様を信じない人たちにとっては、仮に誰かが、神様に関する正しい情報を与えても、それを信じないことでしょう。
しかし、神様は、神様を信じない者がどのような結末を迎えるのかについて、非常に明確におっしゃっており、私は、神様を信じない者の結末を知れば知るほど恐ろしさを感じています。
実は、神様を信じない者の結末と、神様を信じた者の結末というのは、雲泥の差どころでは計りきれない違いがあります。
クリスチャンは皆、神様から永遠の命を与えられる。
と言われている『永遠の命』がどのようなものであるのかということを理解することができれば、それと同時に、神様を信じない者の結末というのが、いかに恐ろしいものであるかがよく理解できると私は思います。
また、神様を信じないノンクリスチャンの皆さんの多くは、神様と共に生きている本物のクリスチャンが、神様から『永遠の命』を与えられるということについて、嘘だと思っていることでしょう。
しかし、神様は嘘をつきません。
神様が言っていることは真実であり、それが真理なのです。
イエス様も、神様の真理を多くの民衆にお話されましたが、ほとんどの人たちは、イエス様の言葉を信じませんでした。
しかも、イエス様の場合は、イエス様ご自身が、何度も、奇跡的な神の御業を民衆にお見せしたのにも関わらず、
実際に、イエス様の奇跡を見た者でさえも、イエス様を否定し、イエス様を冒涜しました。
イエス様のお話を信じなかった者たちは、なんと愚かなのでしょうか。
もしもあなたが、過去の私のように、まだ、神様が与えてくださる『永遠の命』についての理解を深めていない場合は、もしかしたら、私がこれからお話することが、あなたがより一層、神様への信仰を深めるために役立つことかもしれません。
私のお話が、少しでも、あなたの役に立てることを切に願います。
神様から与えらえる『永遠の命』について、正しく理解したいと思うのであれば、まずはじめに、創世記の初めの章を理解する必要があります。
もしもあなたが、お手元に聖書をお持ちであるならば、創世記の1章を開いて下さい。
このことからも、神様が人間を創造された目的の中には、『神様の元で人間が幸せに暮らすこと』があったことがわかります。
しかし、それは、残念ながら、サタンの誘惑を受けたアダムとイヴの愚かな行動によって壊されてしまいます。
これが、人間の中に『シンネィチャーSin Nature(罪の根)』が入り込んだ瞬間です。
多くの皆さんは、
「生まれたばかりの赤ちゃんに罪があるなんて信じられない。」
「生まれたばかりの赤ちゃんは罪なんて持っていない。」
と言います。
しかし、サタンに誘惑されたアダムとイヴの愚かな行動によって、人間の中に入り込んだ『シンネィチャーSin Nature(罪の根)』は、
赤ちゃんが成長すると共に、大きく育っていき、その育った罪の根によって、人間は嘘をついたり、人を騙したり、人を妬んだり、悪の道に繋がることをするようになるのです。
人間が赤ちゃんの時には、『シンネィチャーSin Nature(罪の根)』は、まだ育っていないため、表面上は見えません。
しかし、人間が成長すると共に、『シンネィチャーSin Nature(罪の根)』も同時に成長して大きくなり、その後、表面化していくのです。
シンネイチャー Sin Nature (罪の根)について、もっと詳しく知りたい方は『あなたは何とつながっていますか?』をご覧になってみて下さい。
サタンの誘惑を受けたアダムとイヴの愚かな行動によって、人間の中にシンネィチャーSin Nature(罪の根)』が入り込みました。
その出来事があったからこそ、、神様はアダムとイヴを神様がいる国(エデンの園)から追放したのです。
創世記の3章22節を見て下さい。
この聖書箇所で着目していただきたい箇所は、
という部分です。
なぜ、神様がアダムとイヴが『いのちの木』に手を出してしまい、アダムとイヴが永遠に生きることを懸念されたのかについて、その理由を理解するためには、ヨハネの黙示録の最終章を読み解かなければいけません。
ヨハネの黙示録21章では、神の子供たちが暮らすことができる『新天新地/新しい天と新しい地』について語っています。
ヨハネの黙示録21:3では、神の子供たちは、神と一緒に住むということが明確に記載されています。
つまり、このことから『新天新地/新しい天と新しい地』は、神様の子供たちと神様が一緒に住む場所だということがわかります。
さらに、ヨハネの黙示録22:1-2 では、このように言われています。
ここで着目していただきたいことは『いのちの木』という言葉です。
創世記の中で、神様は『いのちの木』について、何とおっしゃっていましたか?
思い出してみて下さい。
さらに、ヨハネの黙示録22:14-15では、このように言っています。
この聖書箇所では、『いのちの木の実』が出てきます。
しかも、ここでは『いのちの木の実を食べる権利』と言っています。
これらのことを踏まえると、
このようなことがわかります。
神様は、『新天新地/新しい天と新しい地』での人々の暮らしはどのようになるとおっしゃっているのでしょうか?
ヨハネの黙示録21:4を見てみましょう。
神様と一緒の『新天新地/新しい天と新しい地』での暮らしには、死がないと神様は言っています。
『死がない』ということはどう意味かというと、『死』がなければ、人々は永遠に生きるという意味になるのではないでしょうか。
ヨハネの黙示録の最終章を読む限り、解釈できることは、
ということなのです。
神様は、『新天新地/新しい天と新しい地』に行ける者たちについて、明確に語っておられます。
つまり、誰もが皆、『新天新地/新しい天と新しい地』に行けるわけではないのです。
『新天新地/新しい天と新しい地』に行ける者たちは、神の子供として生き、イエスキリストを信じる私たちは、『子羊のいのちの書』に名前が記されている者たちです。
神様は、『子羊のいのちの書』に名前が記されている者たちを、『新天新地 / 新しい天と新しい地』に入れることを計画しております。
このことにつきましては、『あなたがこの世に存在している理由』の中で詳しくお話しておりますので、まだ、ご覧になっていらっしゃらない方は、ぜひ、ご覧になってみて下さい。
神様が、アダムとイヴに禁止していたことは、たったひとつです。
それは、『善悪を知ることができる善悪の実』を食べることです。
では、神様は、なぜ、アダムとイヴに『善悪を知ることができる善悪の実』を食べることを禁止していたのでしょうか。
もしかしたら、一般的な人たちにとっては、
「人間が、善悪を知ることは、良いことなのではないか?」
「善いことと、悪いことを知ることで、何か善くて、何が悪いか判断できるようになるのだから、むしろ、良いことなのではないか?」
と言うかもしれません。
しかし、この話は、そのような単純な話ではありません。
この『善悪を知ることができる善悪の実』というのは、
ということなのです。
つまり、これは、悪についての行為を知らなかった者が悪についての行為を知るということであり、悪そのものを知らなかった者が、悪を知ると言うことです。
そして、これは、今まで悪の存在を知らなかった者の世界に悪の存在が入り込むということです。
『善悪を知ることができる善悪の実』を食べたことは、今まで『何もなかったアダムとイヴの体の中』に、『悪』というものが発生した瞬間だったのです。
その『悪』の根源になるものが『シンネィチャー Sin Nature(罪の根)』ということなのです。
神様は、人間がそのようにならないために、『善悪を知ることができる善悪の実』を食べることを禁止していたのです。
だからこそ、神様は、『悪』を知ってしまったアダムとイヴが永遠の命を手に入れることによって、神様の国が、悪が永遠に増え続ける国にしたくなかったため、アダムとイヴを完全に追放し、『いのちの木』を力ある天使たち(ケルビム)に防衛させたのです。
しかし、『シンネィチャー Sin Nature(罪の根)』が入り込んだ人間ではありますが、神様はまだ、人間を愛していらして、人間を救いたいと思っていらしたので、神様は人間を救う計画を立てられました。
第一回目の人間救助計画は、大洪水とノアの方舟です。(創世記6章)
ノアだけが神様のお心にかなう者であったため、神様はノアとノアの家族だけを救い、その他の人間たちをすべて滅ぼされました。
しかし、残念ながら、ノアの子孫たちや、そのまた子孫たちは、『シンネィチャー Sin Nature(罪の根)』によって、神様を顧みない者たちになってしまい、結局のところ、人間はまた、悪の状態に戻ってしまったわけです。
ただ、それも当然といえば、当然かもしれません。
理由は、体が成長すると共に、巨大になっていく悪の根を、先祖代々、受け継ぎながら生きている人間なのですから、そもそも、その悪の根をすべて取り除くことができなければ、人間が悪の状態になることは当然だと思うのです。
そこで、神様は私たち人間を救うために、イエス様を派遣されたのです。
イエス様を派遣された後の神様の人間救助計画としては、
『子羊のいのちの書』に記されている者だけを救う。
というご計画なのです。
神の子供として生き、イエスキリストを信じる私たちは、『子羊のいのちの書』に記されておりますが、それ以外の者たちは、『子羊のいのちの書』には記されないという、非常に明確な分類基準です。
神様の人間救助計画によって救われる人間は、唯一、神様を信じ、神様に従う者だけです。
神様を信じず、神様に従わない者は、残念ながら、神様に救ってもらうことはできません。
『子羊のいのちの書』に記されている者は、神様の国である『新天新地/新しい天と新しい地』に入ることができますが、
『子羊のいのちの書』に記されていない者は、『新天新地/新しい天と新しい地』に入ることができません。
では、『子羊のいのちの書』に記されていない者たちは、一体、どこに行くのでしょうか?
ヨハネの黙示録21章の8節ではこのように言われています。
神様に従わない者は、当然のことながら、神の子供ではありません。
理由は、神様を愛する神の子供たちは、神様に忠実であり、神さまの言葉に従うからです。
火と硫黄が燃えさかる池に投げ込まれ、そこで永遠に苦しむ…。
これが、神様を信じず、神様に従わない者の末路です。
神の国である『新天新地/新しい天と新しい地』に入ることができる者は、子羊の命の書に名前が書いてある者だけです。
神様は、神の国である『新天新地/新しい天と新しい地』に入れる者は、神様を信じ、神様のみを礼拝する者だけを入れたいのです。
理由は、神様は、神様の国に、一切の悪を入れたくないからです。
もしも、たったひとつの悪が、神様の国に入り込んでしまったら、それは、アダムとイヴに入り込んだひとつの『悪』が、多くの人々に継承された状態と同じことを、再度、繰り返してしまうことをご存知だからです。
神様の国には、悪につながるようなのろわれたものは一つもないのです。
そして、神様の国は、神に仕える者たちが神様を礼拝している場所なのです。
神様の国は、そのような場所なのですから、神様が神の国に入れたい者は、この世での悪の誘惑に負けず、神様を信じ、神様と共に生き、神様に従い、神様を礼拝する者になることは、当然のことなのではないでしょうか。
もしもあなたがまだ、神の子供として生きていく決意をしていない場合は、今日、今から、神の子供として生きる決意をすることを私は強くお勧めさせていただきます。
神様の子供として生きる道を選ばない者は、子羊の命の書に名前は刻まれません。
神様は、あなたを救いたいと思っています。
神様は、あなたを神の国に連れて行きたいと思っています。
私は、あなたが神様の子供として生きていく道を選択することを切に願っています。
Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito
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