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あなたは誰かからの優しさを求めていますか? Kindness is One of Our Most Desirable Qualities

優しさは、私たち人間が最も強く求める願望のひとつです。

私たちの誰もが、自分たちに優しくしてくれる人や親切にしてくれる人を好むのではないでしょうか。

私は長年、夫婦関係の修復の仕事に従事しており、今まで述べ、10,000件以上のセッションを通して、多くのクライアントの皆さんたちとお話してきましたが、

「優しくない人が大好き。」
「親切にしてくれない人が大好き。」
「不親切な人を好む。」

などといった話を、今まで、一度も、誰からも聞いたことがありません。

むしろ、逆に、その反対のことは、頻繁に聞きます。

例えば、

「配偶者が優しい態度で接してくれないのが嫌だ。」

「配偶者が優しい言葉をかけてくれないのが嫌だ。」

「○○さんの不親切な態度に苛立った。」

「○○さんの心ない発言が嫌だ。」

などといったように、相手が自分に対して優しくしてくれないことに関する不満については、数多くの皆さんたちから、頻繁に聞きます。

あなた自身は、ご自分のことをどのような人間だと思いますか?

あなたは、ご自分のことを客観的に見た場合、自分自身をどのような人間だと思いますか?

●自分の家族に対して、優しい言葉をかけたり、優しい態度で接してあげることができる人ですか?

●他者に対して、親切にしてあげたり、思いやりがある行動を取ってあげれる人ですか?

優しさに溢れる行動や、親切な行動というのは、私たち人間が人を惹きつける魅力的な側面のひとつです。

理由は、私たち人間は、自分の家族や他者を大切に扱い、人に対して優しさと思いやりを持って親切に接することができる人に対して、自然と無意識のうちに惹かれるからです。

聖書の中で、パウロはエフェソにいるクリスチャン(Ephesians)に向けて、このような手紙を出しました。

※パウロは、英語ではPaul(ポール)と呼ばれています。

無慈悲、憤り、怒りなどを捨てなさい。とげのあることばやえこひいきをなくしなさい。むしろ、互いに親切にし、心の優しい人になりなさい。そして、神がキリストにあってあなたがたを赦(ゆる)してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4:31-32)

Stop being mean, bad-tempered and angry. Quarreling, harsh words, and dislike of others should have no place in your lives. Instead, be kind to each other, tenderhearted, forgiving one another, just as God has forgiven you because you belong to God.(Ephesians 4:31-32)

パウロは、この手紙を投獄されている獄中からエフェソにいるクリスチャン(Ephesians)に向けて送っています。

パウロは、自分自身は獄中にいて、不当な扱いを受けているのにも関わらず、自分の仲間であるクリスチャンたちに向けて、

「無慈悲、憤り、怒りなどを捨て、互いに親切にし合い、心の優しい人になりなさい。」

というメッセージを送っているのです。

エペソ人への手紙4:26-27では、このように言われています。

腹を立てることがあっても、恨みをいだいて罪を犯してはなりません。いつまでも怒ったままでいないで、すぐに怒りを収めなさい。 悪魔につけ込むすきを与えないためです。

If you are angry, don’t sin by nursing your grudge. Don’t let the sun go down with you still angry—get over it quickly; for when you are angry, you give a mighty foothold to the devil.

あなたは、もし、私たち人間が、怒りの感情を持ち、その怒りを収めない状態を続けていると、どのようなことが起こるかご存知ですか?

私は、夫婦関係の修復の仕事に、長年、従事しておりますが、配偶者の過去の過ちや、配偶者の発言や行動を許せないことによって、配偶者に対して強い憤りや強い怒りを持ち続けている人たちを、頻繁にお見かけします。

その結果として、その方たちの夫婦関係には愛はなく、ただ単に、経済的な理由や、その他の打算的な理由によってのみ、結婚生活が成り立っている状態です。

私は、仕事上、今まで、数多くの男性と女性の皆さんたちとお話をさせていただいておりますが、

今までの私の経験上では、相手に対して怒りの感情を持っているのと同時に、相手に愛を差し出すことができている人は見たことがありません。

怒りというのは、愛とは正反対のものです。

怒りがあるところに、愛は発生しません。

愛というのは、多くの皆さんが考える『男女の愛』だけの話ではないのです。

愛というのは、人間愛であったり、家族愛であったり、他者へ向けての思いやりや優しさや親切心でもあるのです。

ヤコブの手紙2:12では、

「キリストの命令を守る者にふさわしく語り、行動しなさい。思いやりのない人には、思いやりがないさばきがくだります。しかし、あわれみ深い人には、神のあわれみがあるのです。」

と言われています。

あわれみ深いことや、慈悲深いことを、英語では『Mercy/マーシイ』と言います。

愛とは慈愛の心です。

神様は、私たちに慈愛の心を持つことの大切さを教えてくださっています。

神の子供として生きる私たちは、神様が言うとおり、他者に向けて『あわれみ深い人』Mercy/マーシーの気持ちを持った人として行動していくことがとても大切なのです。

私たちのイエス様は、私たちにこのようにおっしゃいます。

自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。(ルカの福音書15:27)
Love your neighbor as yourself.(Luke15:27)

イエス様がおっしゃっている『隣人』とは、多くの皆さんが考える『あなたの家の近所に住む隣人』ではありません。

『隣人』とは、文字どおり『あなたの隣りにいる人』です。

たとえば、あなたが道を歩いている際、もしもあなたの隣りを通り過ぎた人がいるならば、その人は『その時のあなたの隣人』であり、

もしもあなたが、道端で困っている人を見かけたら、その人は『その時のあなたの隣人』です。

『隣人を愛する』ということは、あなたが出会う人たちに対して、優しく、親切に接してあげる、という意味になります。

イエス様は、聖書の中で、隣人についての良いたとえ話として、“善きサマリア人”のお話をしてくださっています。

“善きサマリア人”のお話を要約しますと、内容としては、

強盗に襲われて死にかけているユダヤ人を、当時ユダヤ人に嫌われていたサマリア人だけが助けた。

ということです。

話を正しく理解するために、“善きサマリア人”のお話に出てくる登場人物を、先に理解しておきましょう。

(1)ユダヤ人の旅人
(2)ユダヤ人の祭司
(3)レビ人
(4)サマリア人

です。

イエス様がお話してくださった“善きサマリア人”のたとえを、聖書のルカの福音書10:29から抜粋します。

聖書には、いくつかのバージョンがあるのですが、ここでは、最もわかりやすいリビングバイブルの一説を記載します。

【ルカの福音書10:29から37まで】

しかし律法の専門家は、自分がある人々を愛していないことを正当化しようと、「隣人とはだれのことですか?」と聞き返しました。
イエスは直接答える代わりに、たとえを話されました。
「エルサレムからエリコへ旅をしていたユダヤ人が、強盗に襲われました。強盗どもは、身ぐるみはぎ取り、あり金全部を奪うと、その人を殴ったり、蹴ったりして半殺しにし、道ばたに放り出して逃げて行きました。

ちょうどそこへ、ユダヤの祭司が通りかかりました。ふと見ると、旅人(ユダヤ人)が倒れています。でも、めんどうに巻き込まれたくなかったので、道の反対側へ回り、何くわぬ顔で通り過ぎてしまいました。
しばらくすると、今度はレビ人(神殿で奉仕する人)が通りかかりましたが、彼も、倒れている旅人(ユダヤ人)を横目でちらりとながめただけで行ってしまいました。

ところが、常日頃、ユダヤ人に軽蔑されていたサマリヤ人がたまたま通りかかり、旅人(ユダヤ人)を見つけました。
その人(旅人=ユダヤ人)をかわいそうに思ったサマリヤ人は、急いでそばに近づいて、傷口に薬をぬり、包帯を巻いて応急手当をしました。
それから自分のろばに乗せ、宿屋まで運んで、一晩中、看病してあげました。
翌日、宿屋の主人にデナリ銀貨二枚を渡し、『あの人を介抱してあげてください。足りない分は、私が帰りに寄って払いますから』と頼みました。

この三人のうちだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
律法の専門家は答えました。「もちろん、親切にしてやった人です。」
この答えを聞くと、イエスは言われました。「そのとおりです。あなたも同じようにしなさい。」

あなたは、この“善きサマリア人”のたとえ話を聞いて、どう思われましたか?

もしもあなたが、同じような状況に直面した時、あなたはどの人になることを選びますか?

●ユダヤ人の旅人を、見て見ぬフリをしたユダヤ人の祭司ですか?

●ユダヤ人の旅人を、見て見ぬフリをしたレビ人ですか?

●それとも、ユダヤ人の旅人を助けたサマリア人ですか?

私自身は、私が自分の人生で出会う人はすべて、自分の隣人だと考えています。

そのため、私自身は、私が自分の人生で出会う人たちには、丁寧に親切に接するということをおこない、

もしも、その人たちに、何らかの助けが必要であるならば、私自身ができる限りのお手伝いをすることをおこなうようにしています。

理由は、それが、神の子供として生きる者の在り方だと私は思うからです。

近年は、益々、世の中が荒廃しており、他者に対して優しくできない人たちや、心ない言葉や態度によって、他者を傷つける人たちが、増える方向に向かっています。

今の時代は、残念ながら、自分自身の私利私欲のことだけを考え、他者がどうなってもよいというような自己中心的な生き方をしている人たちが増えている時代です。

私は、仕事上、他者の心ない発言や行動によって、傷つけられ、精神面や肉体面でも疲労困憊し、燃え尽きる状態になっていらっしゃる方たちを、多数、お見受けしております。

それは、結局のところ、他者を思いやり、他者に優しさを示す人たちが減っているから発生していることであり、

さらには、人間性を失ってしまった”人のカタチをした慈愛を持ち合わせていない者”たちが、横行している世の中になっているからだと思う次第なのです。

もしかしたら、今、この記事を読んでいらっしゃるあなたにも、他者から不当に扱われたり、他者から傷つけられた体験をしたことがあるかもしれません。

私自身も、幼少時代に、意味もなく、他の子供たちから仲間外れにされたことや、いじめ(その当時は”いびり”という言葉でした)のような対応をされた経験があります。

その当時の私は、こう思いました。

「どうして、皆で仲良くできないのだろう…。」と。

「どうして、こんな意地悪をするのだろう…。」と。

さらに、大人になってからも、職場では、意味もなく、私に意地悪をしてくる人たちにも出会いました。

その背景には、人間が持っている悪の性質のひとつである、”嫉妬心や妬みや僻み”という思いが、私に対して意地悪をしてくる人たちの心の中にあったようです。

嫉妬心や妬みや僻みという感情は、怒りの感情につながります。

聖書の創世記の4章では、カインは激しく怒った後、弟のアベルを殺してしまったという出来事について書かれています。

その背景には、弟アベルに対してのカインの嫉妬、妬み、僻みの醜い感情が、カインの心の奥底に隠れていたに違いありません。

怒りの感情を持った後、私たち人間というのは、何らかの方法で『人を傷つける』という行動に出る場合が多いのです。

私の元にご相談にいらしてくださる方たちの中にも、怒りの感情を持った結果、自分の配偶者や自分の子供を傷つけるという行動を取ってしまう方たちが一定数おります。

しかし、残念ながら、怒りの感情が発生した後に、愛が発生することはないのです。

世の中には、人の心や思いやりという気持ちを無くしてしまった人たちが一定数おります。

そのような時代で生きていくことは、決して簡単ではないかもしれません。

しかし、だからこそ、私たちは、逆に『心ある優しい人たち』と一緒に生きていく必要があるのです。

あなたの周りには、心ある優しい人たちがいらっしゃいますか?

もしもいらっしゃらないのであれば、あなたはまだ、心ある優しい人たちに出会っていないのかもしれません。

では、『心ある優しい人たち』とは一体、誰なのでしょうか。

私の答えは、神の子供として生きている人たちです。

私たちのイエス様は、このようにおっしゃいます。

そこで今、新しい戒め(掟)を与えましょう。私があなたがたを愛するように、互いに愛し合いなさい。互いに心から愛し合うなら、わたしの弟子であることをすべての人が認めるのです。(ヨハネの福音書13:34-35)

I give you a new commandment; love one another. As I have loved you, so you must love one another.(John13:34-35)

神の子供として生きている人たちは、神さまのお言葉・イエス様のお言葉を守って生きている人たちです。

私は、自分自身がクリスチャンになってから、同じクリスチャンの仲間たちに、たくさん助けてもらいました。

私たちは、神さまのお言葉・イエス様のお言葉を守って生きている人たちとつながり、神の子供として生きている人たちと交流を深め、私たちが安心して存在できる場所を確保する必要があるのです。

イエス様は、このようにおっしゃっておられます。

人からしてほしいと思うことを、そのとおり人にもしてあげなさい。(ルカの福音書6:31)
Do to others as you would like them to do to you.(Luke6:31)

イエス様がお話してくださった“善きサマリア人”のお話を思い出してみて下さい。

私が知っている限りでは、神の子供として生きている『本当の意味でのクリスチャン』の皆さんは、イエス様がおっしゃった“善きサマリア人”のような生き方をしておられます。

もしも今、あなたが心ない人たちから傷つけられ、つらい状況に陥っていらっしゃる場合、おそらく、あなたには神様の助けが必要です。

主は、敬虔な心で信頼を寄せる人々の願いを、かなえてくださいます。助けを呼び求める声を聞いてくださいます。(詩編145:19)

He fulfills the desires of those who reverence and trust him; he hears their cries for help and rescues them.(Psalm145:19)

神様は、助けを呼び求める声を聞いてくださいます。

神様からの助けをいただきたい方は、こちらをご覧になってみてください。

神さまは、あなたが神様に心の底から助けを求めれば、必ず、こたえてくれます。

私たちにとっては、神の子供として生きている人たちは、神の元にあって兄弟姉妹です。

兄弟姉妹であるのですから、お互いに助け合い、お互いに親切にし合い、優しい心を持って接してあげる必要があるのです。

私も、クリスチャンである兄弟姉妹から、今までたくさん、支えていただいたり、助けていただきました。

そして、他者に向けても、イエス様がおっしゃるとおり、自分が出会った人たちに対しては、“善きサマリア人”のように接してあげることが大切だと思う次第です。

それが、神さまが私たちに求めていることであり、イエス様の弟子として生きていく私たちにとって必要なことです。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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