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クリスチャンとノンクリスチャンの結婚Marriage with Non Christian

私は、長年、夫婦関係の修復の仕事に従事しておりますが、その中で、

●私のクライアント様がクリスチャンであり、その方の配偶者はノンクリスチャンであるケース

●私のクライアント様はノンクリスチャンであり、その方の配偶者はクリスチャンであるケース

というご夫婦の皆さんをお見受けいたします。

いずれの場合も、私の元にご相談にいらしてくださる理由といたしましては、「配偶者側が離婚をしたい。」と言っているからという理由になります。

配偶者側が離婚したいと言っている理由には、それぞれの皆さんによってさまざまな理由がありますが、

多くのご夫婦の皆さんたちに共通している離婚したい理由は、

●価値観が違うから離婚したい

という理由です。

この『価値観の違い』ですが、当然のことながら、仮に、ご夫婦がクリスチャン同士であっても発生するでしょうし、

ご夫婦の両方がノンクリスチャン同士であっても、当然のことながら、価値観の違いというのは発生することでしょう。

しかし、神様を信じる立場として生きているクリスチャンたちと、神様を信じない立場として生きているノンクリスチャンとでは、一番重要で、一番決定的な部分の価値観が違うと思うのです。

一番重要で、一番決定的な違いは何かといいますと、

●神様を信じる(聖書を信じる)

●神様を信じない(聖書を信じない)

ということになります。

これによって、おそらく、毎日の生活の中での色々なことに対する考え方や行動指針というのも、クリスチャンの人たちと、ノンクリスチャンの人たちとでは違ってくることでしょう。

例えば、お互いの毎日の過ごし方にも違いが出てくる可能性があります。

神の子供として生きていることをきちんと自覚し、神様との関係性を重要視しているクリスチャンの人たちは、

毎日の生活の中で、神様との対話の時間(ソリテュード)を作り、聖書を学ぶデボーションの時間を持ち、神様を基盤にした生き方をするでしょうが、

神様を基盤にしていないノンクリスチャンの人たちの生活の中には、神様との関係性を構築するための時間の確保はなく、神様という非常に大切な存在を無視した毎日を送る状態になっているわけです。

その状況を、冷静に客観的に見てみますと、その段階で、最も決定的な大きな違いになると思うのです。

私のクライアント様がクリスチャンであり、その方の配偶者はノンクリスチャンであるケースで、非常によく発生していることは、配偶者側の不倫です。

不倫ということを例に取りますと、ノンクリスチャンの配偶者の方が、不倫している確率が高い傾向にあります。

これは、私の個人的な見解になってしまいますが、神の子供として生きていない者たちの『男女関係の倫理観』というのは非常に低く、おそらく、異性に対しての貞操観念というのも低いのではないかと思う部分があります。

特に現代は、映画やドラマ、ゲームや漫画、アニメ、You TubeやSNSなどを通して、多くの人間たちの貞操観念を乱すことがおこなわれております。

NetflixやAmazon プライムなどの、動画配信コンテンツでは、不倫やオープンマリッジ(結婚していても異性と恋愛や肉体関係を持てる結婚形式)を容認する映画やテレビドラマが溢れておりますし、

さらには、LGBTQの思想を正しいとする内容を盛り込んだドラマも、数多く、氾濫しており、最近では、子供たちが見るアニメや漫画にも、LGBTQの思想が盛り込まれている狂った世の中になっています。

それらの動画の中では、奔放な性を許容することを促すような思想を、人々に植え付ける試みが、数多く、おこなわれておりますので、

神様を基盤とし、神様の言葉である聖書に従って生きていない者たちというのは、非常に簡単に、性に対して乱れた思想に流されていってしまうわけです。

この世で生きている人間が、いかに簡単に流されていってしまうか、そして、この世で流されていくことの危険性については、

『この世の中で流されることに対する警告』の中で、詳しくお話しておりますので、まだ、ご覧になっていらっしゃらない方は、ぜひ、ご覧になってみて下さい。

不倫については、つい最近、始まったようなことではなく、たとえ、時代が変わっても、国が変わっても、はるか昔から発生していることです。

聖書の中でも、不倫をしていた者たちの例が見られますし、不倫をしたことによって、何が発生したかについても記載されてあります。

聖書は不貞が罪であることを明確にしています。

出エジプト記 20章14節で、神は「姦淫してはならない」と命じています。

姦淫とは不貞のことであり、これは神の律法に違反するものです。

結婚とは『一人の男性と一人の女性の間の生涯にわたる結合』であると定義されており、

不倫(不貞)を犯すということは、結婚における契約関係の違反であり、信頼関係の破壊であり、

さらには、夫婦の結婚生活やふたりの関係性に深刻なダメージを与えるものなのです。

箴言 6章32-33節にはこう書かれています。

人妻と関係する者は愚かな者で、自分で自分を滅ぼします。身も心も傷つき、取り返しのつかない恥をかくのです。(リビングバイブル/箴言6:32-33)

人妻と密通する者は意志力のない男。身の破滅を求める者。疫病と軽蔑に遭い、恥は決してそそがれない。(新共同訳/箴言6:32-33)

女と姦通(かんつう)する者は思慮に欠けている。これをおこなう者は自分自身を滅ぼす。彼は傷と恥辱とを受けて、そのそしりを消し取ることができない。(新改訳/箴言6:32-33)

A man who commits adultery doesn’t have any sense. He is just destroying himself. He will be dishonored and beaten up; he will be permanently disgraced.(Proverbs 6:32-33)

聖書では、不倫(不貞)が罪であり、重大な結果をもたらすことを明らかにしています。

その代表的な例が、旧約聖書に登場するダビデ王です。

ダビデ王は、自分の兵士の一人であるウリヤの妻バテ・シェバと姦淫(かんいん)を犯し、バテ・シェバが妊娠した後、自分の不倫の罪を隠すためにダビデ王は、自分の部下であるウリヤを殺させました。
(サムエル記第二11章)

これは、ダビデ王の生涯において、最大の過ちです。人妻との姦淫と姦淫を隠すための殺人…。

この後、ダビデ王に何が発生したかといいますと、ダビデ王の家族、王国の崩壊です。

神様はダビデ王を赦しましたが、しかしながら、神様はダビデ王に非常に恐ろしい宣告をしたのです。

「剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。(サムエル記第二12:10章)

この神様の言葉のとおり、その後、ダビデ王は、まさに自分が蒔いたもの以上の刈り取りをしなければいけなくなりました。

それは、ダビデ王にとって、非常に厳しい刈り取りになりました。

ダビデ王にとって、非常に厳しい刈取りになったことは次のようなことでした。

ダビデ王が不貞をおこなったバテ・シェバ(ダビデ王の部下のウリヤの妻)との間に生まれた子供は、神様によって重い病気にかかり、生まれてから7日後に息を引き取りました。

ダビデ王の娘・タマルは、その兄であるアムノンにレイプされ、アムノンは彼らの兄弟であるアブサロムに殺害され、そして、アブサロムは父であるダビデ王に反逆し、争いの中で殺されてしまいました。

ダビデ王は自分が犯した罪のために、幸せな家族関係を持つことができず、さらには、国には疫病が発生し、数多くの国民が亡くなりました。

これが、ダビデ王が自分で刈り取らなければいけなかったことの一部です。

ダビデ王は、神様が禁止していた『姦淫』と『殺人』という罪を犯しました。

そのため、神様はダビデ王に対して非常にご立腹だったため、ダビデ王には非常に厳しく恐ろしい宣告をし、それがすべて実行されたということなのです。

ダビデ王の例を見てもわかるとおり、人間というのは本当に愚かな生き物です。

自分の欲情を抑えることができず、他の女性との姦淫をおこなった結果がこの有様なのですから、これこそまさに、人間の中に『シンネイチャー(罪の根)』が巣食っていることの証拠なのではないでしょうか。

長年、私が夫婦関係の修復の仕事に従事していて、ご相談をいただくなかで、離婚問題と共に非常に多いご相談は『配偶者の不倫問題』についてですが、

大抵の場合、自分の配偶者の不倫を見つけた後、自分の配偶者の不倫相手に慰謝料請求をするというケースが多く、そのため、多くの皆さんは、配偶者の不倫調査というのを調査会社や探偵に依頼します。

そして、配偶者の不倫の証拠を入手し、不倫相手に対して慰謝料請求をするわけです。

もちろん、クリスチャンであるからといって、絶対に不倫がないとは言い切れません。

当然のことながら、たとえクリスチャンであっても、人間であるため、『シンネイチャー(罪の根)』が存在しておりますので、クリスチャンの人たちの中にも、結婚後に不倫をする人たちは一定数いることでしょう。

しかし、クリスチャンの中には、神の子供として、神様の言葉に忠実に従って生きている人たちがおり、おそらく、その人たちは、神様の言葉である『聖書』に真摯に向き合って生きているため、

不倫のことについても、その誘惑に飲み込まれないように、日々、神様の元に立ち帰り、生活していくことでしょう。

そのような理由により、もしもクリスチャンの人たちが結婚するのであれば、同じ神様の基盤に沿って生きているクリスチャンをパートナーとして選択する方が、おそらく、将来的な面を考慮すると適切なのではないかと、私は思います。

以前、たまたま、偶然、私は、ある一組の若いご夫婦の体験談を聞く機会がありました。

このご夫婦の場合、結婚した当時、妻はクリスチャンで、夫はノンクリスチャンでした。

しかし、結婚生活を続ける中で、ノンクリスチャンだった夫はクリスチャンになり、夫婦ふたりで神様を基盤にして生きていくということができるようになったのです。

このご夫婦のように、夫婦のどちらか一方がクリスチャンであり、もう片方はノンクリスチャンである場合、

結婚後、ノンクリスチャン側の者が神様を信じ、神様の基盤を持ち、生きていくクリスチャンになるのであれば、その後のふたりの結婚生活は神様からの指針に沿って進むものになりますが、

もしも、結婚後、ノンクリスチャン側の者が神様を信じず、神様を受け入れない状態で結婚生活が続くと、将来的に、そのふたりの結婚生活には、必ずといっていいほど、大きな問題が発生することでしょう。

もしも仮に、あなたの配偶者がノンクリスチャンであり、あなたがクリスチャンである場合、あなたがあなたの配偶者をクリスチャンに導くことができれば、それはとても素晴らしいことです。

しかしながら、配偶者がノンクリスチャンである場合、はたして、一体、どれだけの人たちが、自分の配偶者に向けて、神様の福音を伝えることができ、また、配偶者がクリスチャンになるための導きをおこなうことができるのか… ということを、私は疑問に思う部分があります。

コリント人への手紙第一の中で、結婚について、パウロはこのように言っています。

理由は、結局のところ、クリスチャンの妻にとって一緒にいれば夫がクリスチャンになるという保証はなく、夫にとっても、妻がクリスチャンになるという保証はないからということなのです。(コリント人への手紙第一7:16)

まさに、そのとおりだと私も思う部分があります。

つまり、結婚したからといって、ノンクリスチャンの配偶者が、クリスチャンになるという保証はひとつもないわけです。

もちろん、神様のお力によって、ノンクリスチャンの配偶者がクリスチャンになることはあると思います。

しかしながら、もしも、クリスチャンである夫、または、妻側が、神様の基盤に沿って生きているのではなく、この世のものに属したような生き方をしているのであれば、おそらく、ノンクリスチャンである配偶者がクリスチャンになることは、非常に難しいのではないかと私は思う次第です。

私のクライアントの皆さんたちの中には、配偶者側がクリスチャンであって、私にご相談にいらしてくださるクライアントの皆さんたちがノンクリスチャンというケースもありますが、

その場合、クリスチャン側の配偶者側が、なぜ、離婚したいのかというと、理由は、「ノンクリスチャンの配偶者が神様を受け入れてくれないから。」という理由だったりもするのです。

多くのクリスチャンの皆さんの場合、おそらく、定期的に教会に通い、神様への礼拝をおこなうない、教会の人々との交流を深めたりしていると思います。

もちろん、クリスチャンになったからといって、必ずしも、毎週、教会に通い、礼拝に出席しなければいけないというわけではありません。

神の子供として、神様と共に生きていくなかで、最も重要なことは、神様との個人的な関係性を深めることですので、

たとえ仮に、教会に行くことができなかったとしても、毎日、自分自身でデボーションをし、神様との対話(ソリテュード)を持つことをおこなうことができれば、神様との個人的な関係性を深めていくことは可能です。

しかしながら、教会に行くということは、礼拝に出席するだけが目的ではなく、自分と同じ神様の子である兄弟姉妹たちの様子をうかがったり、

もしも、兄弟姉妹に助けが必要であるならば、兄弟姉妹を助け、もしも、兄弟姉妹に何らかの支えが必要なのであれば支え、

もしも、兄弟姉妹に励ましや慈愛の行為が必要であるならば励まし、慈愛を与える、といったようなことをおこなう目的もあったりするのです。

神様の子供として生きている者たちは皆、神様の元にあって『兄弟姉妹』なのです。

だからこそ、お互いに助け合ったり、支え合ったり、励ましあったりしているのです。

聖書では、「兄弟姉妹はお互いに助け合いなさい」ということを明確に言っています。

神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。これは、神が命じておられることです。(リビングバイブル/ヨハネの手紙第一4:21)

神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟(おきて)です。(新共同訳/ヨハネの手紙第一4:21)

神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(新改訳/ヨハネの手紙第一4:21)

聖書で言及している『兄弟』というのは、この世での血縁の兄弟のことではありません。

もしかしたら、あなたにも血が繋がった兄弟姉妹がいるかもしれませんが、神様はこの世での血が繋がった兄弟姉妹のことを指しているわけではありません。

イエス様は、この『兄弟』について、明確に私たちに教えてくださっています。

天におられるわたしの父(神)にしたがう人はだれでも、わたし(イエス様)の母であり、兄弟であり、姉妹なのです。(リビングバイブル/マタイの福音書12:50)

“Anyone who obeys my Father in heaven is my brother, sister, and mother!”(Matthew12:50)

だれでも天におられるわたしの父の御心(みこころ)を行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母である。(新共同訳/マタイの福音書12:50)

天におられるわたしの父(神)のみこころを行う者はだれでも、わたし(イエス様)の兄弟、姉妹、また母なのです。(新改訳/マタイの福音書12:50)

神様の子供として生きている者は皆、兄弟姉妹です。

そのため、神の子供として生きているクリスチャンたちは、自分と同じ神の子供であるクリスチャンの兄弟姉妹を助け、支え、慈愛の行動を取り、励ますということをおこなうのです。

それは、私たちが、神様の言葉を忠実に守り、神の子供として生きていくからこそ発生することであり、神の子供として生きていないノンクリスチャンの皆さんにとっては、非常に理解しがたいことだと思うのです。

そのような部分でも、神様サイドで生きているクリスチャンの皆さんと、神様サイドで生きる道を選んでいないノンクリスチャンの皆さんとでは、大きな違いがあると私は思う次第です。

もちろん、ノンクリスチャンの皆さんたちの中にも、親切な人たちはいるとは思います。

しかしながら、ノンクリスチャンの皆さんの目から見れば、教会に来ている他の信徒の皆さんたちは他人という扱いになるでしょうし、

ノンクリスチャンの皆さんの目から見れば、教会に来ている信徒の皆さんたちよりも、血が繋がったご自分の血縁の家族の方が大切になることでしょう。

しかし、神の子供として生きている者たちにとっては、神の子供として生きている人たちが、神という偉大な父にあっての兄弟姉妹であり、家族なのです。

自分自身が本当に困っている時、自分自身だけではどうしようもないつらい時、神の子供として生きている人たちは、親身になって助けてくれるのです。

たとえ、自分のこの世での自分たちの血縁の身内が助けてくれなくても…。

そのため、そのようなことにおいても、クリスチャンの皆さんとノンクリスチャンの皆さんとの間には、違いがあるように思えます。

クリスチャンとして生きている者たちは、お互いに自分たちのパートナーに対して忠実を保ち、結婚の神聖さを尊重するよう努める必要があります。

そして、 神様との強い関係性を育みながら、自分のパートナーとの強い信頼関係を築き、この世のさまざまな誘惑を避けることによって、不貞を避けることができるのです。

ちなみに、聖書では、もしも自分の配偶者がノンクリスチャンであり、ノンクリスチャンの配偶者が離婚を希望する場合は、「離婚という選択肢を取ってあげなさい」と言っています。(コリント人への手紙第一7:15)

理由は、結局のところ、クリスチャンの妻にとって一緒にいれば夫がクリスチャンになるという保証はなく、夫にとっても、妻がクリスチャンになるという保証はないからということなのです。(コリント人への手紙第一7:16)

まさに、そのとおりだと私も思います。

コリント人への手紙第一の7章では、結婚についてのことが詳しく書かれています。

もしもあなたが、今後、ご自分のパートナーを選ぶ必要性がある場合は、ぜひ、結婚について聖書でどのように言われているかを学んでみて下さい。

しばらく前に、私が以前、通っていた日本のキリスト教会のクリスチャン仲間の女性から、ご主人を亡くされたというお話をうかがいました。

長年、一緒に連れ添ってきた自分の配偶者が亡くなるということは、多くの皆さんにとって、とても悲しいことだと思います。

その女性は、私にこのように言いました。

「夫は、クリスチャンじゃなかったの…。だから、亡くなった後、どこにいるのかわからないの…。」と。

その時の彼女の表情は、悲しみと寂しさと、今にも泣き出しそうになってしまうような表情が混ざった感じでした。

その彼女は、クリスチャン生活が長い方ですので、おそらく、ノンクリスチャンであったご自分の夫が亡くなった後、どうなってしまうのかについてはご存知だと思います。

でも、それを口にすることはできない…。

ノンクリスチャンであった夫が、亡くなった後、どうなってしまうのかについては、言葉にすることはできない…。

そのような葛藤が彼女の心の中にあるのではないかと私は思いました。

クリスチャンで聖書のことを深く学び、聖書について正しい理解を持っている人たちは、クリスチャンでない人たちが、この世での命を終えた後、どのような状態になるのかはご存知のことでしょう。

神の子として、神様に忠実に生きる道を選択して生きてきた者は、この世での命を終えた後、神の国へ行くことが約束されておりますが、

イエス様を救い主として受け入れず、神の子として生きていく道を選択しなかった人間が、この世での命を終えた後に何が起こるのかは、聖書を詳しく学べばわかるはずです。

この記事を読んでいらっしゃるあなたがクリスチャンであり、そして、もしもあなたの配偶者がクリスチャンでなかった場合、あなたはご自分の配偶者に神様を受け入れてもらいたいですか?

神の子供として生きていないあなたの配偶者がこの世での命を終えた後、あなたはあなたの配偶者がどのようになってしまうのかについて、本気で考えたことがありますか?

多くの教会や多くの牧師の説教の中では、神の子供ではないノンクリスチャンの人々が、この世での命を終えた後、どのようになるのかについて、詳しくお話しない傾向にありますが、なぜなのでしょうか。

このことは、とても重要なことであるのにも関わらず、なぜ、多くのクリスチャンたちは、このことを重要視していないのでしょうか。

聖書では、このように言っています。

しかし、わたしに従うのをやめるような臆病者、不忠実な者、堕落した者、人殺し、不道徳な者、魔術をおこなう者、偶像礼拝者、うそをつく者、このような者たちの行き着く先は、火と硫黄が燃えさかる池です。これが第二の死なのです。(リビングバイブル/ヨハネの黙示録21:8)

しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべての偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。
(新改訳/ヨハネの黙示録21:8)

しかし、おくびょう者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。(新共同訳/ヨハネの黙示録21:8)

この部分においては、リビングバイブルと新改訳、新共同訳とでは、若干、使用されている言葉が違います。

そのため、もしかしたら、今まで聖書を読んだ皆さんたちの中にも、誤解して解釈していらっしゃる方たちがおられるかもしれません。

リビングバイブルではわたしに従うのをやめるような臆病者と言っています。

新改訳聖書では、おくびょう者と言っています。

新共同訳聖書では、おくびょう者と言っています。

多くの日本の教会では、新改訳聖書と新共同訳聖書を使用しているようですので、もしかしたら、多くの日本人クリスチャンの皆さんたちは、新改訳聖書、または、新共同訳聖書のみしかお読みになっていらっしゃらないかもしれません。

そのため、この部分について、英語の聖書ではどのように言っているのかについて確認してみます。

But cowards who turn back from following me, and those who are unfaithful to me, and the corrupt, and murderers, and the immoral, and those conversing with demons, and idol worshipers and all liars—their doom is in the Lake that burns with fire and sulphur. This is the Second Death.”(Revelation21:8)

英語の聖書では、

cowards who turn back from following me

と言っています。

この言葉の意味は、

私についてくることをやめた臆病者たち

という意味になります。

ここで言っている『私』とは一体誰でしょうか?

もちろん、神様ですね。

つまり、この箇所で言っていることは、

神様についていくことを止めた者たちが、行き着く先は、火と硫黄が燃えさかる池である。

ということなのです。

神様についていかない者たちというのは、一体、どのような人たちなのでしょうか。

●ノンクリスチャンの人たちは、神様について行く人たちですか?

●神様を信じず、神様を受け入れていない人たちは、神様について行く人たちですか?

神様は、こんなにもはっきりと、神様に従わない者たちの未来を預言しておられるのです。

神の子供として生きている私たち全員が、このことについて、もっと真剣に考えるべきだと私は思っています。

もしもあなたの配偶者がノンクリスチャンである場合、そして、もしもあなたが、あなたの配偶者を大切に思っているとしたら、あなたは配偶者が亡くなった後、神様の預言どおりの道に進むことを願っていますか?

あなたには、大切に思っている家族がいますか?

もしもあなたに大切に思っている家族が、もしも今現在、神様に従わない道を選択しているとしたら、これからあなたにできることは何だと思いますか?

もしもあなたの配偶者が、今現在、神様に従わない道を選択しているとしたら、これからあなたにできることは何だと思いますか?

神様の預言は必ず、成し遂げられます。

神様がおっしゃっていることで、成し遂げられないことはひとつもないのです。

もしも、クリスチャンの皆さんすべてが、このことを真剣に受け止めているのであれば、日本という国でも、もっともっと、福音のための伝道が広がると私は思っています。

あなたはどう思いますか?

結婚は、誰もにとって、非常に重大な選択のひとつになります。

そのため、『今現在のあなたの感情』だけで決断してしまうと、結婚した後、何年か経って、私のクライアントの皆さんたちのように大きな問題になりますので、ぜひ、神様のお考えに沿って選択することをお勧めさせていただきます。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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