神様にあなたの人生をゆだねていますか?Making Wise Decisions
もしかしたら、多くの皆さんは気づいていないかもしれませんが、今日の私たちの選択が私たちの明日につながっています。
つまり、今日のあなたの選択が、あなたの明日を作り、明日のあなたの選択が、あなたの明後日を作るということです。
人生は選択の連続です。
だからこそ、私たちは賢い選択をする必要があり、賢い選択をするために、私たちは計画を立てることも必要になるのです。
聖書というのは、神様のご意志や神様の言葉で埋め尽くされています。
もしも、私たち人間が、神様の言葉を基盤とし、神様のご計画に従えば、私たちは賢い選択をすることができ、困難な状況を避けることも可能になります。
また、私たちが神様を信じ、神様の言葉に忠実に従えば、間違った選択をすることを避けることができ、その結果として、間違った選択をした場合に発生する心の痛みやトラブルを避けることができることでしょう。
神様のガイダンス(指導・導き)は、神様を畏れる(おそれる)人々に約束されています。
聖書の詩編25:12では次のように言われています。
畏れる(おそれる)という言葉の意味は、恐怖や恐ろしいというような意味ではなく、“偉大な圧倒的な存在に対して慎んだ態度になる”という意味です。
つまり、神様を畏れる(おそれる)という言葉の意味は、神様という偉大で圧倒的な存在の方に対して、私たちが慎み深い態度を示すという意味なのです。
もっと、さらに詳しく言うと、神の子供である私たちは、偉大な存在である父なる神に対して、神を深く尊敬する気持ちを持ち、神に敬意を払い、神を崇敬(すうけい)し、神に頼ることが必要だということです。
※崇敬(すうけい)とは、あがめ敬うこと。
しかしながら、多くの場合、私たちは、自分たちが何かを決断するとき、神様のガイダンスや神様の導きに頼らず、自分たち自身の考えのみで決断してしまう傾向にあります。
その結果、私たちは非常に後悔する現実に直面してしまう場合があるのです。
神様は、私たちに進むべき方向と進むべき道を与えてくれ、さらには、私たちの要望やリクエストにも答えてれます。
しかし、それは、私たちのやり方とは同じではないかもしれませんし、私たちが期待するやり方でもないかもしれません。
さらには、もしかしたら、それは、私たちが期待する時期ではないかもしれませんし、私たちが願っているタイミングや時期でもないかもしれません。
おそらく、私たちの誰もが、自分たちが望むことが、すぐに早急に、神様に聞き届けられることを強く願うと思いますが、必ずしも、私たちが望むタイミングで、私たちの願いが聞き届けられるわけではありません。
聖書の伝道者の書(コヘレトの言葉)3:1では次のように言われています。
実は、英語の聖書では、”the time God chooses” と書かれてあり、これを日本語に訳すと、『神が選ぶ時(時期)』という意味になります。
そのため、『定められた時』という部分については、『神が選ぶ時』という意味になるのです。
もしも仮に、私たちがどんなに強く懇願していることがあったとしても、もしもそれが神様の目から見たときに、神様が定めるタイミングと違っていた場合は、私たちが望むタイミングでは叶わないこともあります。
しかし、神様は、神の子供たちの祈りを聞き届けてくれることを約束してくれています。
それは、ヨハネの福音書15:7の中で言っているとおりです。
※神様とつながるための方法についてはこちらの記事で詳しくお話しています。
神様はご自分の言葉に忠実な方です。
神様はご自分の子供たちとの約束を決して破ることはありません。
そのため、私たちには、神様に絶対的な信頼の気持ちを持ち、神様を強く信じることが必要です。
聖書の詩編27:14には、私たちに向けての神様の言葉が書かれています。
神様が私たちの願いを聞き届けてくれることを待っている間、もしかしたら、ときには、私たちにとって、神様の助けを忍耐強く、待ち望むことが難しく感じることがあるかもしれません。
しかし、神様は、私たちにとって、最善のことを、最善のタイミングで与えてくださる方ですから、私たちは絶望することなく、心を強く持ち、神様の助けを待つ必要があるのです。
私たちが、賢い選択をする際、私たちは神様の言葉を基盤とした計画に頼る必要があります。
では、一体、どのようにして、私たちは神様のご計画に頼ったらよいのでしょうか。
聖書の詩編37:5では、次のように言っています。
私たちは、つい、自分たちだけの力で何とかしようとしがちになります。
たとえば、自分たちが抱える問題や、自分たちが直面した困難な出来事について、「一体、どうしたらよいのだろうか。何か解決策はないのだろうか。」と、インターネットを検索し、必死になって答えを見つけようとしても、時間ばかりが無駄に過ぎていき、結局、解決策は見つからない。
もしかしたら、あなたにもこのような経験があったのではないでしょうか。
現代を生きる皆さんの多くは、インターネットで調べれば答えが見つかると思い込んでいるかもしれませんが、インターネットというのは、所詮、人間が作った物であり、
検索して表示される結果というのは、人間やAI(Artificial intelligence)によって設定されたアルゴリズムによって表示されているものですので、そのような答えに頼り過ぎることは非常に危険なことなのです。
それよりは、むしろ、私たちは、その都度、神様に自分たちの思いや自分がおこなおうとしている事柄をゆだねる必要があるのです。
さらに、聖書の第一ペテロの手紙5:7では、次のように言っています。
思い煩いとは、私たちの心の中に発生する、心配、不安、恐れなどです。
この世で生きている私たちにとっては、自分たちの力だけではどうすることもできないような事柄が多々あります。
そのような事柄について、私たちがどんなに心配しても現実が変わることはありません。
それどころか、心配は私たちを精神的に疲労させ、私たちの活力を奪い、さらには、私たちが生きている喜びさえも奪ってしまいます。
心配というのは、私たちの命を短くすることはあっても、私たちの命を長くすることはできません。
もしもあなたが、これからあなたがおこなおうとしている事柄について、神様に相談することもなく、神様にお話することもなく、
神様にお願いすることもせず、あなただけの独断で決定しているのであれば、それは神様にゆだねているとは言えません。
『ゆだねる』という言葉について、時々、誤解をしている方たちをお見受けしますが、
神様にゆだねるということは、『私たちが何もせず、神様の助けだけを待つ』という意味ではありません。
神様にゆだねるということは、神様にあなたの思いやあなたの考え、あなたがこれからおこなおうとしている事柄をお話し、
その上で、神様に助けやサポートをお願いしたり、あるいは、神様があなたを適した道に案内してくれるように神様にお願いし、
神様があなたにとって最善の道を示してくれることを強く信じ、今、あなたがやるべき事柄をあなたのベストを尽くしておこなうということです。
あなたがベストを尽くしている最中、あなたは不安な気持ちを持ったり、思い煩う気持ちを持つ必要はありません。
理由は、神様があなたにとって、必ず、最善の道を用意してくださるからです。
もしかしたら、ときには、あなたがおこなっていることが、神様のご意志やご計画にそぐわない場合があるかもしれません。
その場合は、もしかしたら、あなたがおこなっている事柄は、スムーズに進まず、なかなか、進展しない状況が続くかもしれません。
そのような場合は、神様に、「神様、もしも、私がおこなっていることが、あなたの目から見てあなたのご計画にそぐわないものである場合は、どうぞ、私に正しい道を示して下さい。どうぞ、私にあなたのご計画に沿ったことを教えて下さい。」と、お願いする必要があります。
私と主人が、常に私たち自身に言い聞かせている言葉があります。
それは、
です。
神様を信頼し、神様に私たちの人生をお任せする気持ちを常に持つ。
私たち自身ができる限りの、自分たちの最善を尽くす。
そして、毎日の生活の中で、私たち自身が少しでも楽しめる何かを見つける。
私たちが神様から与えていただいている物に感謝をして毎日を過ごす。
これが、神の子供として生きている私たちにとって大切なことです。
Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito
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