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今夜も召し上がれ 唐揚げパーリナイ

第22夜 唐揚げパーリナイ

 油に賞味期限があることを、切らして初めて知った。
 中身が半分以上残った容器の蓋に刻まれた「24/10」の文字をしげしけど眺める。
 そもそも俺の育った家では、お歳暮にもらう油の詰め合わせがあっても、米国風味漂う取っ手付きプラスチック容器を空にしていたのを見ていたから、ひとり暮らしになると人間は油を持て余すことを初めて知った。
「まあ、このフライパンあんまり焦げ付かねえからな……」
 油の出番も減るというものである。
 とはいえ、10月はまだついこの間。
 1回ぐらい使ってみてから捨てても怒られやしないだろう。

 というわけで、唐揚げパーティーの敢行が決定されたという次第である。
 現在時刻は26時。
 100グラムで120円の鶏もも肉2枚を大きめのひと口にちょんちょんと切り、どんぶりに入れる。下味は胡椒を振ってから、うまいと聞いたのでヒガシマルのうどんスープをまぶす。王道の醤油味にしようと思ったのだが、初めての揚げ物で焦げやすい醤油はちょっと腰が引けた。
 こいつを10分漬け込んでいる間に、まず狭いコンロの周りの物をどかすなり捨てるなりして安全を確保しつつ、ペーパータオルやウェットティッシュで綺麗に拭く。
 思っていたよりかなり汚かった。
 俺は面倒くさがりの横着者ではあるが、消費の癖があって、あるものはつい使いたくなる。簡単に使える掃除道具を置いておくのは手かもしれない。実際、ペーパータオルを置くようになってから、洗い物が済んだあとにシンクの周りを拭くようになったし。
 と言った具合でコンロの周りがすっきりしたところで、揚げの準備だ。フライパンに油を注ぐ。
 弱めの火で油を温めながら、鶏肉に片栗粉をまぶす。なぜ片栗粉だけかと言うと、そんなに小麦粉がないからだ。あとなんか小麦粉使うレシピが難しそうだったのである。
 なんだ「小麦粉をダマにする」って。ヴァスコはガマにすんのか。
 というわけで、片栗粉をまぶした鶏もも肉をお皿に並べ、下味に漬けるのに使ったどんぶりを洗う。
 このあとは茶碗に変身するので、念入りに。

 油に菜箸を入れると全体から泡が出てくるぐらいが170℃らしい。たぶん、全体から泡が出ているんだろう、こんな感じで。
 ちぎれた鶏肉をひと欠落としてみると、じゅわ……と揚げ物の音がした。もう揚げてもよかろう。
 粉をはたいた鶏肉の半分を熱した油に沈める。
 浅いフライパンに大したことのない量の油だ。半分しか浸かりようがないのだが、イメトレに見た料理のお兄さんの動画ではそれもなんやかんやがどうのこうのしてつまり良いとのことだった。
 じゅわじゅわと油は泡立ち、真っ白な片栗粉を洗う。パチパチと音を変えながら、柴犬の黄金色に色づいていく。
 めっちゃいい匂いするな。
 知っている唐揚げの匂いではないが、出汁と肉とが加熱される匂い……とにかく美味しいものの匂いが油が弾けるたびにわきあがる。
 熱い油の飛沫を喰らわない距離で、唐揚げが唐揚げになる様を見つめる。
 親戚や近所から届く山菜やらの天ぷらは時々出たが、母は滅多に揚げ物をしないひとだった。なにせ我が家は口が多く、胃袋がでかく、唐揚げなんて揚げた日には揚げっぱなしになるのだろう。スーパーで買うにしても、買い占める勢いで大きなパックをかごに入れる羽目になるし、ばあちゃんは大皿に山盛りのコロッケを芋から作った話を今でもするぐらいだ。
 居酒屋などに行くと何の気なしに頼む揚げ物だが、作るとなるとなにかと手間もかかるし気も使う。
 薄めの柴犬の背中ほどに色づいた鶏もも肉をひっくり返し、中までじっくり火を通す。
 ちなみに、パジャマにもしている、毛足の短いフリースの上着を着て揚げ物を始めてしまったが、フリースで揚げ物は危ないらしい。化繊は油はねで穴が開くしな。というわけで今のコーディネートは綿のTシャツに薄手のデニム地のエプロンなんてかけちゃってお洒落である。
 見た目だけなら料理のできるいい大人、少し引きのショットで見ると真夜中に唐揚げ揚げてる変な大学生。ちなみに唐揚げだったらもうちょっと揚げた方が良さげな髪の色で、伸びてきたところは焦げだろうか。
 そんなこんなしている間に、唐揚げは見事に唐揚げ然とした色になった。キッチンペーパーを重ねた白いお皿に、まずひとつ取ってキッチンバサミで一思いにぱつんと切る。
 咲くように肉汁があふれ、湯気が立つ。
 出汁と、加熱されたタンパク質の醸す香りがふわりと広がって、なるほどこれは揚げた者の特権だな。半ば乱暴なまでに食欲をそそる辺り、さすがは唐揚げだ……などと思った。俺には唐揚げのうまさに時々、電車を乗り継いで訪ねるコンカフェがある。
 フライパンの中の唐揚げをキッチンペーパーに取り出して、残りの鶏もも肉をフライパンへ入れる。割って火の通りを確かめたものは、猫舌と格闘しながらつまみ食いだ。
「いただきまーす」
 じゅわりと、出汁の効いた鶏の果汁的なものに舌を焼かれる美味。片栗粉の衣も歯ごたえが良い。
「あ、美味い、熱い、美味い」
 へふへふいいながら、人生初のお手製唐揚げを堪能する。
 揚げ物も人生初だっただろうか。家庭科の授業で作ったことがあったような、なかったような。 
 そういえば、昔目玉焼きサニーサイドダウンを半ば揚げ焼きにしてカリカリさせるのが好きだったような記憶がある。それはフライパンが焦げつくからだっけ。
 頭の中で思考を散らかしながら、水気の切れたどんぶりに、炊き上がったご飯をよそう。
 ちなみに、魚沼産のコシヒカリの新米である。
 この間始めて炊いた時は、おかずに作った生姜焼きを丸ごと余らせるほどの美味しさで、さすがはちょっと高かっただけある。これは余談なのだが、こういうご飯は炊きたても無論美味しい。しかし、実は食味の検査は冷めた状態でやる都合上、美味しいと触れ込みのお米は冷めているときの美味しさで折り紙をもらっているのだ。
 つまりだ。食いしん坊の皆様には朗報なのである。冷めても美味しいご飯ということは、おにぎりが美味しい。
 この唐揚げがもしも残ったら、唐揚げおむすびにするのもいいかもしれない。もし残ったら。
 こんがり柴犬の背中カラーに仕上がった唐揚げを引き上げ、火を止める。
 油を切った唐揚げを、もう1枚の白いお皿にキッチンペーパーを引いてきれいに盛り付ける。1枚目のお皿は、俺のお城のキッチンペーパーが薄いせいでもうぺしょぺしょである。これはちょっと写真に映えない。
 もう一度、火が消えていることを確かめてから、唐揚げのお皿とどんぶりを食卓を兼ねたローテーブルに持って行く。
 現在時刻はもうすぐ27時……つまり3時。草木も眠る丑三つ時、はちょっと過ぎたところだ。
 しかし明日は授業振替でお休み。

 マグカップに冷たい麦茶を注ぎ、どかりとテーブルの前に座る。
 只今より、唐揚げパーリナイを挙行する。

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