今夜も召し上がれ ビーフストロガノフ
第21夜 ビーフストロガノフ
実はだいぶ前に成人を果たしている。
祭りで故郷に帰った折、お酒を何杯かと煙草を一本試してみたが、どっちも口に合わなかったのでもう進んでやることはないだろう。
で、この度俺は、成人したらやりたかったことのもうひとつを叶えようと近所のスーパーマーケットに向かっているところである。
そう、何を隠そう酒類の購入。
お祭りで口にしたのは、父や祖父の馴染みの飲み屋のカクテルやハイボールで、店主にも他のお客にも胎児の頃から知られていて誤魔化しようがないだけで年齢確認があるわけではない。
童顔でもなければ小柄でもない俺が、年齢確認をされることはまあないだろうが、法に触れずに料理酒が買える身分だぜ万歳!とやりに行こうとかねてから決めていた。
色々あってこんなに寒くなるまで放置していたわけだが、まあ寒くなるのも悪くない。
今日作るのはビーフストロガノフだ。
俺の父は酒豪だがワインには悪酔いするたちだからか、はたまた母の好みが和風だからか、実家にワインがあるのをみたことがない。
これは余談だが、日本酒は父がやたらに買い込むせいで、大吟醸を一升瓶からフライパンにぶち込む母の姿をよく見たものだ。
閑話休題。
ワイン、俺の調べたレシピでは赤ワインとひと口に言っても、色々あって壁がキラキラと美しい。だがまあ、俺は父に似ているし、ひとり住まいで慣れない酒をたくさん飲むのは危険だろうから、レシピに書いてある分はだいたいコップ1杯ぐらいで事足りる。
言い訳は先にしておくが、伝統料理のくせにと言ったらいいのか、伝統料理だからといったらいいのか、レシピが色々あって俺もよくわかっていないのである。こうやったほうがおいしい!と仰りたい食いしん坊さんがいらしたらぜひとも教えてほしい。
いちばん小さい瓶のなかで、いちばん柄が好みの赤ワインを選んで、玉ねぎとマッシュルームのパウチの入ったかごに入れる。大体ビーフストロガノフに入れて残りはグラス1杯といったところか。ちょうどいいぐらいだろう。
それから牛肉。実を言うと、牛肉を買うのもはじめてだ。豚肉でも代用できると聞いてはいるが、映像で見る限り豚肉と牛肉では煮込まれ方がだいぶ違う。多少値が張るとは言え、ある種の祭りみたいなものだ。はじめては豪勢な方が良い。
……とまあ、景気のいいことを言ったとて買うのは薄切り肉である。牛肉のなかではいちばん安いやつ。
最後に、生クリームをかごに入れ、材料の調達は完了だ。
えっちらおっちら坂を登り、台所のある俺の城に帰る。
ちなみに年確はされなかった。
フライパンに油を引いて、まずは薄切りの玉ねぎを炒め、塩コショウをした牛肉を焼く。
それだけでなんとも言えない香りが立ち上り、思わずつばを飲む。
「牛肉すげー……」
小麦粉を入れ、粉気がなくなったらワインだ。
ちなみにマッシュルームの水煮のスライスを入れ忘れていたので、ここでしれっと入れる。
計量カップに残った赤ワインを少し舐めてみる。
なんとも言えない苦味というか、なんというか……アルコール分のえぐみにワイン独特の朽ちた木のような香りが乗って、うーん、俺にはまだ早かった。
ワインは冷蔵庫にしまい、ケチャップだのソースだのを取り出すと、フライパンのなかではいい具合にとろみが出始めている。
これを鍋に移して、トマト缶と調味料で煮込むのだが、なんかフライパンでもいけそうな気がする。
「四人前のレシピなんだけどな……思ったより、少ねえのかな」
俺のフライパンは26cmの、大学の近くのスーパーマーケットで買ったやつである。深型とかではない。肉を焼いているときはやや手狭に感じたが、なんか、いけそう。
ガバガバな空間感覚でフライパンにトマト缶と、ソースだのケチャップだのを放り込む。
たぷたぷになったフライパンを見て、ギリギリなんとかなりそう!という甘々の見通しで調理を続行する俺。
コンソメは小さじ1とあって、俺の持っているのはキューブのコンソメだから、キッチンバサミの根元で半分に割って放り込む。
ちなみに、無精の俺の城に小麦粉がなぜあるかと言えば、この間振りかけるタイプの片栗粉と間違えて買ってきたからだ。バターはまだないので、先ほどもサラダ油で玉ねぎを炒めている。
ひとり住まいも二度目の年の瀬が迫りつつあり、調味料も増えてきた。
この間、久しぶりに使おうと思ったごま油がいやに臭くて、よくよく見ると賞味期限が切れていた。
調味料は少し割高でも、傷ませるより使い切った方が得である。
くつくつと煮立つフライパンの中身を、この間無印良品週間で買ってきたシリコン製の、スプーンの親玉みたいなのでかき回す。これがなかなか使い勝手がいい。
材料を放り込んでしまえば、あとは煮込むだけだ。それも5分か10分ぐらいとレシピにはある。
もう10分ぐらい経ったかと、ひと口味見をしてみる。
「熱ァ…………?」
不味いわけではないのだが、俺には少し酸味が強い。
「そういや、まだクリーム入れてねえな」
普段縁のない生クリームを入れてひと煮立ちさせれば、なんかこうまろやかになって、いい感じになるに違いない。
おもちゃみたいなパックの生クリームを入れ、蓋を閉めて火をとろ火にする。
その間に、冷凍していたごはんを電子レンジにかけ、牛肉のパックだの計量カップだのをさっさか洗う。
普段ならばどんぶりだが、せっかくおしゃれなメニューを作ったのだ。お皿にご飯を盛り付けて、煮上がったビーフストロガノフを優雅にかける。バターライスなるものを作ると美味いらしいが、それはまた今度。
残った半キューブのコンソメは、冷凍みじん玉ねぎと一緒にレンジでスープにしてある。
冷凍玉ねぎだけとなると、なんか他に具なかったんか、と言いたくもなるが、ファミレスのランチのスープバーみたいで悪くない。
作業台を兼ねる食卓のローテーブルの上を、アルコールのウエットティッシュで拭いて、食器を置く。
「それじゃ、いただきます」
木のスプーンが傷んできて、どうにも味を主張したがるので、このところ洋食はなんでもフォークに頼り切りだ。
ほろほろに煮崩れた牛肉と、辛うじて形の残るトマトをご飯に絡めて口へ運ぶ。
「熱……っァ………ん?」
変わらず酸っぱいな?
さっき味見したときもそうだったように、別に嫌な酸味ではないから、単に酸っぱいのだろう。生クリームには荷が重かったか。
「まあ、美味いからいいや」
美味しく食べられる範囲の広い舌をしていて良かったと思いながら、俺はその日の夕飯を平らげた。
「ごちそうさまでした」
レシピは四人前で、いくら俺がもりもり食べるとは言えども半分は残っている。翌日は朝からビーフストロガノフである。
俺は朝が弱いので、あんまり面倒はしたくない。
まず5歩かけて台所に向かい、フライパンごと冷蔵庫に突っ込んでいたビーフストロガノフを火にかける。それから、以前なぜか無性に欲しくなって買ってきたはいいものの、硬いわデカいわで冷凍庫行きになっていたフランスパンを三切れ取り出して、トースターがないので電子レンジにかける。
バタールやらパリジャンやらバゲットやら、時々無性に食べたくなるのだが、口の中がずたずたになるので数切れ、ないしは数センチで後悔する。性懲りもなく数ヶ月置きにやらかしているのだが、大学の近くのパン屋さんには、またこれが美味しそうなバタールを置いてあるのだ。パリッとしていてずっしりしていて、とてもよい。香ばしさとしっとり加減、紙袋とパンの芳しさが何ともいえず無性に思い出されるときがある。
口の中はやられるが。
冷凍してから電子レンジにかけると、パリパリさは失われ、中身のフワフワむちむちした噛み心地になる。これはこれでいいのだが、今度は冷めると何かの責め苦なのかと思うほどの噛み切れなさ加減になるので猫舌には辛い。
話が大分それたが、こいつをビーフストロガノフに漬けて食おうという話である。硬いパンをスープに浸すのは定石だ。
「ちょっと砂糖でも入れてくれようかな」
焦げ付かないようにフランスパンの中をかき回しつつ、ふつふつと煮立つビーフストロガノフをフォークでひと口すくってみる。
「……んん?」
不思議なことに酸っぱくない。
確かにトマトも玉ねぎも、加熱することで甘みが出ることで有名だが、そもそもトマトはカットトマト缶だし、昨日の時点で煮込んでいるのに今更甘くなるとはどういう理由だろう。
おでんは2日目の方が美味しいとかそういう類いの現象だろうか。
とはいえども大体3分経った辺りでフライパンをおろし、電子レンジから出したバタールと控えめに盛ったビーフストロガノフをローテーブルに持っていく。
「けど、これでだいぶ俺好みの甘さになったな……ワインまだあるし、もう1回作んのもありだな」
マグカップに牛乳を注ぎ、まだ夏用の粉でカフェオレを作る。
「さてと……」
今日は大学の授業の後にバイトもある、稼働の高い日だ。朝からしっかりエンジンをかけていかねばなるまい。
「いただきます」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?