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【半小説】レシートを捨てたい

 缶コーヒーの代金を支払おうと財布を開いて、ああ、これが千円札だったらな、とレシートの束を見つめながらため息を吐く。点々と灯る街灯だけが優しい夜、店員の間延びした「ありがとおざいやしたあ」と来店のメロディを背中で引き受けながら、俺はゆっくりと空中に散らばっていく白い吐息を見た。

 真冬の澄んだ空気は、俺に斉藤の結婚式を思い出させた。いや、正確には二次会だったか。その日に知り合った彼は、友達の友達だった。酒の勢いも手伝って意気投合した彼は俺の財布を見て「自営業なの?」と問いかけた。
 手元に視線を落とすと、レシートでぱんぱんに膨らんだ財布。ほんの少しの気恥ずかしさと、不要なものをため込んでしまう自分のだらしなさに嫌気が差して、無造作にレシートの束を掴み、一息に握りつぶすとそのままコンビニのごみ箱に捨てた。

 彼は、いったいどこの誰だったのかなあ、と、思い返すも名前すら思い出せなかった。

「おおい、そろそろ現場向かうぞう」
 頬がこけ、無精ひげを生やしたやせ型の現場リーダーが精いっぱい大きな声をあげた。皴の多い顔をしかめて、まるであと何本の皴を上乗せできるか挑戦しているみたいに周囲の男たちに睨みをきかせる。六十はとうに過ぎたであろう彼は、どれだけ凄んでみてもこのメンバーのなかで最弱だよな、と思う。
 リーダーよりも体格のいい面々は、うーとかいーとかマナーモード中のスマホみたいな返事をしながら各々ハイエースに乗り込む。俺が一番最後尾になった。

 凍結して視界の悪かったフロントガラスがすっかり暖まって、降り落ちる大粒の雪を溶かして水滴に変える。車が振動し続け、後部座席の後ろから、積まれた様々な道具が擦れあって細かな金属音を鳴らした。
「なに眺めてるすか」
 隣の座席に座った相沢君が俺に声をかける。
「ん、レシート。捨てちゃおうと思ってさ」
「なんでレシートなんて取っとくんすか。俺、受け取ったことないです」
 俺の手の中には、財布から取り出したレシートの束がきれいに収まっている。時々、ハイエースの振動で手の中から滑り落ちそうになるのをぐっと握りしめている。

 2022年12月7日 火曜日
 ブロッコリー 128円
 ナス     98円
 ビッグバッグシオ 195円
 エビス 350ml 208円

 ビッグバッグシオ、というのはたぶんポテトチップスの一番大きいやつだ。確かこの日は妻が子供と実家に出かけていた日。ビールを飲みながらYouTubeでライブ動画を深夜まで見続けた記憶がある。

 2022年12月23日 金曜日
 スターターセット  2,180円
 カードケース     448円
 ゾロ 500     1,280円

 クリスマスプレゼントを買い忘れて急いでドン・キホーテに走った日。長男にはポケモンのカードセット、長女にはロロノア・ゾロのパズルを買ったのに長女はサンジが良かったといって泣いた。泣きながらケーキを食べる長女の顔が鮮明によみがえってくる。

 2023年1月2日 月曜日
 アイスココア 3  546円
 チャイティーラテ  491円
 チョコレートチャンククッキー 3  382円

 俺の実家で年越しをして高速バスで帰ってきた日。大雪の渋滞で二時間で到着する道のりを六時間以上かけて辿り着いた駅のスターバックスで休憩をした。狭い狭い車内であんなに長時間、泣きもせずぐずりもしなかった子供たちの成長を感じた。四歳の次女は、隣の席の知らない乗客にキャラメルをもらうと振り向いて満面の笑みを俺に見せたのだ。


 ハイエースの窓から通り過ぎていく雪が見えて、時折、車内の誰かのスマホの明かりが反射する。降り積もりそうな雪を眺めながら、ぼんやりといろいろなことが頭のなかに浮かんでは消えていった。不倫をしたお笑い芸人、モデルが削除した不適切なツイート、来月から値上げされる五十品目、はるか頭上をいつの間にか通り過ぎていったミサイル。

「え、捨てないんすか」
 相沢君が笑いながら俺の手の中を指さした。
「捨てるよ、捨てたいんだけどさあ」
 だってゴミっすよ、と相沢君はシートに強く背中を預けて髪をかき上げた。いつの間にか俺は財布を開いて、レシートの束を再び戻していた。

 通り過ぎていった日常のかけらは、本当に取るに足らない。

 すぐ前の座席に座っていたリーダーがちらりと俺に視線を向けた後、作業着の胸ポケットを探ると、小さく丸められたレシートを取り出しおもむろに広げてから眺める。

「おとつい買ったコンドームのレシート出てきやがった」

 リーダーは、ハハハ、と高い声を出して笑う。俺のうしろの席で、強面の川崎君がガハっと噴き出すようにして笑った。



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