
聖書の内容をもう一度読んでみた/聖書を要約
今回は聖書の話になります。
子供の頃、聖書を読んだときの感想は「???」という感じでした。
大人になってから、もう一度読んで、読解してわかったことを健忘録として書きたいと思います・・・。良かった読んでみてください・・・。
ただし、これはあくまで私が読解した場合の解釈となります・・・。
あくまで個人的な解釈です・・・。
たとえば聖書には「天なる父」という神様が出てきますが
何か恐ろしい神様ということになっています。
洪水を起こしたりとか
あるいは人を試すようなこともします。
たとえば目上というと、王様というものも宗教に結びついていることがほとんどです。
例えば昔の時代、王様に逆らうと殺されるようなことが頻発したことがあります。
現代では王様は政治と切り離されてることも多いですが、
昔は王様というと絶大な権力を持っていました。
目上というと、聖書では「父、母を敬いなさい」という言葉も出てきます。
父、母、は子供にとって最初の「目上の人」となりますが、
それを敬えと書いてあるのです。
ちなみに、聖書では最上級の目上は神さまという世界観です。
聖書をかいつまんで言うと
「お上に逆らうな」というメッセージなのではないでしょうか。
主に、どういうことが書いてあるという趣旨を汲み取ると大体そんな感じのように感じます。
たとえば政治家とか王様とか
そういうのに逆らって殺された人って歴史上、たくさんいるんですね。
ようは聖書の内容って、そういうことが頻発した時代の産物なんです。
聖書は当時、「子供にとって教育に良い」という教育本のようなものだった時代もあります。
今も子供に読ませてる外国人もいますが・・・
聖書を読んだ上で考えると、
お上に逆らって殺されるような時代ではないと思う人もいるかもしれませんが、
現代でも、水面下ではそういう事件も実際に起きてるんですね。
聖書が書かれた当時は、お上に逆らって得した人は歴史上、ほとんどいないといえるでしょう。
大抵、無残な亡くなり方をしてます。
イメージとしては、会社でペコペコしているような人がいて、ああいう姿勢してないと殺されますから、従ってるんです。
最後に、聖書を良い捉え方をして要約すると以下のようになります。
もし天なる父のような神様が人を救うようなことがあればですが、
それは相当ハードルが高いことを成し遂げないと
助けてはくれないでは?と思いました。
そのため聖書に出てくる神様のご利益を得るには、相当な忠誠心がなくてはならないと読み解ける文章があります。
それは、アブラハムというくだりですが、
彼は不妊の妻、サラとの間に年老いてからできた一人息子イサクを
生贄にしなくてはならないと神から命じられる・・・という話があります。
つまり、イサクという息子を彼は殺して神に捧げなくてはならないのですが、
しかも具体的には、その息子を殺してから火で焼かなくてはならず、
さらに、流儀に習うと、その死体を真っ二つに裂かないといけない。
アブラハムは実際に息子を殺そうとすると
そこでようやく天からの使いに止められ、彼の神に対しての忠誠心が認められる・・・
というくだりがあります。
これを読み解くと、「そこまで神さまという「お上」に逆らわないと救われない」といった教えとも読み解ける・・・そんな内容になってます。
仮にそういう聖書に出てくる神様がいたとして、そういう神様は人を試すことがあるということも示しています。
そこでの読解でわかることは、「アブラハムは盲目的に神に従った・・・そのため認められた」ということが汲み取れる文章となっています。
以上のことから、聖書の神様に認められるためには
どんなことがあっても神様に盲目的に従わなくてはならない・・・という解釈ができます。
まぁ実際には神様に命令されても人殺しはしないほうが良いでしょうが・・・。
しかし、聖書から汲み取れることを要約すると
「お上に逆らうな」ということを説明している、ということが「メッセージ」と言えるでしょう。
逆らうと殺されますから・・・。
これはあくまで個人的な解釈でしかないことを付け加えて終わります。
以上です。
ここまで読んでいただきありがとうござました。
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