変換___abd2c55483e898652f638c2d2994711d_s

永遠のテンポエムチャイルド その1

今から

36年前

私が

某私立の薬学部に

通学していた頃のお話です。

(当時の男子が通える薬学部は

関西では一校しかありませんが、、)

私は大学に行く傍ら

南森町にある

伝統のある

某経理学校に通っていました。


健康診断に行ったとき

その経理学校の前を通って

懐かしく思いました。


今では

ダブルスクールは当たり前でしょうが

当時はどうだったんでしょうか。


私はその経理学校には

2年近く通っていました。


勉強は

古い校舎で

講義なんですが

ガッタンガッタンとやかましく音をたてる

エレベーターで

4階に上がります。


フロアーオイルと

トイレの匂いがする

教室で

先生のご講義を受けます。


別に取り立てて

大きな事件もなく過ぎていくのですが

私の人生で

はじめて大きな事件が起きます。

いや起きるというか

起きようとしたのですが

私の

判断で直ちに終わってしまいました。


事件の内容は

次のように簡単な事件です。

『ある日

某経理学校に行って

前からいつもの

3席目に座りました。

あまり前で

黒板を見ると

首が痛いので

いつも3席目でした。


さてその席に座って

講義を受けていると

前に座った

OLのふたりの内の

右側の女性が

「この目薬空かないわ」と言って

振り返って

私の机の上の

その目薬を置いたのです。


その振り返り方や

その声のトーンが

かなり緊張しているように見えます。

置かれた目薬を

最初は何か

理解できませんでした。


10分ばかし

考えたあげく

何も出来ませんでした。


少し時間が経過して

講義が終わる間近になって

前のOLは

躊躇しながら

振り返って

目薬を回収しました。』

と言う出来事です。


今でも

前の女性の

白い頬が

赤く染まった

様子を覚えています。


皆様もこのような経験覚えていますか?


35年前のつまらぬ私的な思い出を

書いて申し訳ございません。


でもその後何もなかったのですが

その時私が

目薬を開けていたらどうだったのだろうと思いました。


きっと何もないのだろうと考える方が

適切かも知れません。

でも人生はやり直せませんし

一度だけなので

想像の域を出ません。


しかし

少し想像をたくましく考えて

小説を書いてみます。


主人公は

目薬を渡した

女性です。

目薬を渡す場面のみ

事実ですが

もちろん

他の部分は

フィックションです。


次回から

「永遠のテンポエムチャイルド」を

不連続で連載します。




彼女の名前は

十詩子

昭和28年の生まれです。


昭和28年生まれは

後日「花のにっぱち生まれ」

と言われるのですが

十詩子もにっぱち生まれなのです。


彼女の生まれたのは

兵庫県の北部

但馬の豊岡の街の中です。

豊岡は

今はコウノトリで有名ですが

今もそうですが

鞄で有名な所です。


豊岡の柳ごおりは

全国的に有名です。


十詩子の父親も

柳ごおりの職人でした。

十詩子は子供の頃から

習い事をして

厳しく育てられました。


小学生の頃から

そろばん

中学生になってお茶やお花

高校になったらお琴なんかも習って

どれも相当な腕前になっていました。


特にそろばんは

中学を卒業する頃には

一段の腕前で

暗算なんかお手の物でした。


そんな十詩子も

高校を卒業時期になって

進学か就職かで悩みました。


家業が伸びずに

経済的に困っていた事を

十詩子は知っていました。


高校の先生は

大阪の国立大学はともかく

神戸の二期校なら確実に合格すると

強く勧められていたのに

就職を撰んでいたのです。


豊岡では

これっと言った就職先が

見つからないので

大阪へ行くことにしました。


そろばんが得意なのが

功を得たのか

日本では有名な大企業に

就職が決まりました。


十詩子は

尼崎の工場の

経理課勤務の内示を受けていました。


それで

三月の終わりに

両親と伴に

来阪して住居を決めました。


十詩子は

安い家賃で良いと言うことで

尼崎駅前の

古い洋館建ての

屋根裏部屋に

決めました。


職場に近いのと

お風呂屋さんに近いのが

表向きの決定の理由でしたが

本当は屋根裏部屋の窓から見える六甲の景色が

すばらしかったからです。


十詩子は

昭和47年の4月1日

鉄鋼会社の

尼崎工場の

経理課勤務が始まりました。始業時間は

9時からですが

十詩子は

8時には工場の門に着いてしまいました。


初めての仕事ですので

遅れてはいけないと思って

早く出たら

近くなので

早く着いてしまいました。


工場の門では

8時で退社する夜勤の工員さんが

帰って行きました。


十詩子は

守衛さんに

新入社員であることを告げると

守衛さんは

「早すぎるんじゃないの

まだ経理課の人はだれもいらしてませんよ

中に入って

待ってたら」と言って下さいました。


しばらくすると

経理課のひとりが

出社して

鍵を取りに来ました。


それで

守衛さんは

十詩子のことを告げると

経理課員は

十詩子を連れて

少し離れた

古いコンクリート造の

二階に案内されました。


そこの応接室でしばらく待っていると

係長が来て

十詩子を

まず課長に紹介した後

二十数名の課員に

挨拶させて回りました。


その後係長は

昨年入った敬子を

呼んだ後

仕事のことは

まず敬子の仕事を手伝うように言いました。


十詩子の先輩で

友達となる

敬子は

地元尼崎の出身です。


まず敬子は

お茶くみの仕事を

一緒にしました。


現代では

女子社員がお茶くみなどしませんが

当時は新入社員の女子社員がするのが当たり前です。


それぞれの湯飲み茶碗は

各個人のもので

誰がどの茶碗かを覚えるのが

まず仕事です。


敬子はこれを覚えるのに

一週間ぐらいかかったのですが

十詩子は

1日でほぼ完璧に覚えました。


お茶くみは

朝と十時それに昼と三時にあるのです。

4回もお茶を配れば

覚えるのは当然と思ってしまいました。


新入社員の仕事は

お茶くみ以外にも

もちろん仕事があります。

会計課に行って

山のような伝票をもらってきて

その科目ごとに

より分け

その総計を出すのです。


単調な仕事です。

会計が

伝票と帳簿と

そろばんだけで行われていた時代です。


一日が終わると

本当に疲れてしまいます。


間違いが許されない仕事ですから。


十詩子は

仕事が終わると

市場で買い物をして

お部屋に帰りました。

まじめとか言うことでもなく

お部屋に

まっすぐに帰るのは

当時では常識です。


帰ると

料理をします。

十詩子の部屋には

当時のアパートでは

珍しく

流しが付いていて

料理はお部屋で出来るのです。


でも

十詩子の部屋には

冷蔵庫がないので

その都度作らなければいけません。


十詩子は

疲れて帰ってきて

いろんな家事をこなして

やっと

ご飯が食べられました。


それから

少し読書して

何もすることもないので

寝てしまいました。


テレビや

ラジオがないので

そうしたのも無理はありません。


十詩子の部屋は

4畳半しかありませんでしたが

何もなかったので

ひとりでは広いお部屋でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?