見出し画像

GOOD PEOPLE TATSUYAさんインタビュー


こんにちは。インターン生の咸侑娜です。
現地活動中にヒューマンビートボックス日本チャンピオンのTATSUYAさんにインタビューをさせていただきました!その内容を紹介していきます。
 
TATSUYAさんは横浜市出身で2020年に郡山に移住されました。つまりIターン経験者です。音楽活動だけでなく、株式会社tentoTenの代表取締役として郡山市内でシーシャカフェ【e.n】も運営しています。今回はTATSUYAさんについて様々な角度から紹介していこうと思います!
 
プロフィール
神奈川県横浜市出身2020年に福島県郡山市に移住
20歳でビートボックスを始め,ヒューマンビートボックス日本一決定戦Japan Beatbox Championshipにてソロ,チーム合わせて日本唯一の4年連続優勝,2014年フランスで行われたLA CUPにて日本人初の世界4位を獲得。2016年にはシンガポールで開催された国際大会にて日本人初の優勝を獲得。その他、ももいろクローバーZやディズニーなどのスペシャルゲストとして出演。
 
2010年 一般社団法人日本ヒューマンビートボックス協会設立
2021年 「クリエイティブで未来をかえる」をミッションとする株式会社tentoTen設立
     
2022年 福島県郡山市を音楽やクリエイティブの活気で盛り上げていく場を作るためにクラウドファンディングに挑戦
  

ヒューマンビートボックスを始めたきっかけ

20歳からヒューマンビートボックスを始めたTATSUYAさん。そのきっかけは、高校時代に「死」について考えるようになったからだそう。「死」自体ではなく、時が経ち自分の存在が忘れられるのが怖い、それならば自分が生きた証を残そう。というのがヒューマンビートボックスを始めたきっかけだそうです。
ヒューマンビートボックスを始めてからのマインドの変化
意外なことに、TATSUYAさんは小学校、中学校、高校と、自分から率先して何かをすることはなかったとか。ヒューマンビートボックスを始めたころ、周りは大学進学後に就職しているのに対し、自分は大学に行かず音楽を始めるという状況に社会のズレを感じて苦しむ時期もあったそうです。
しかし、ヒューマンビートボックスは元々アメリカ貧困層が自分を表現し「自分らしく生きていいんだよ」というメッセージが込められているということを知り、「これが自分らしく生きること」だと感じ、周りの目が気にならなくなったそうです。
 

さまざまな国の人と関わって


TATSUYAさんにしかできない技があった時、日本では評価されなかったものの、世界大会で海外に行った時に「すごいじゃん!」と絶賛され、そこから、海外では自分自身を表現するクリエイティブな力が評価される文化があると感じ、様々な国でステージに立ったそうです。
 

福島移住を決意したワケ


そんな世界で活躍するTATSUYAさんが、福島県に移住したきっかけは、何だったのでしょうか?
TATSUYAさんは、「コロナ禍をきっかけに、それまで仕事中心だった生活から自分の幸せを優先する生き方にシフトしたかった」と話します。郡山市を移住先として選んだのは、東京から気軽に通える距離だった(新幹線で東京駅から1時間20分)ということ、また、震災後からずっと関わり続けてきたという2つの理由からでした。
 

コミュニティを作ろうと思ったきっかけ


郡山市に初めて来た時、学生が勉強できる場やおじいちゃん達が将棋などをする場所がない、集まれる場所が少ないと感じたTATSUYAさん。その中で若い人たちが交流する場所がないと新しい何かが生まれないと考えるようになりました。
TATSUYAさんは、シーシャはただ美味しいだけでなく人と人をつなぐきっかけにもなるとも考え、シーシャをきっかけに新たなコミュニティを作れる場所「e.n」をオープンしました。
 

インタビュー当日は「e.n」にお邪魔させていただきました!

好き×好き


音楽×シーシャはTATSUYAさんにとって好きなものだらけ。“好き”を集めて、ビジネスとして成り立つのでしょうか?
「ビジネスで考えると、もっと稼げる方法はあると思う。でも自分がやりたいことを信じ続けることに価値を感じる」というTATSUYAさん。
「お金を稼ぎたい!有名になりたい」という欲ではなく、自分が地域に還元できるものは何かを考えて、それに好きなものを当てはめたといいます。

ターゲット子供に


TATSUYAさんは、子どもたちの教育にも力を入れています。「周りに合わせる社会ではなく、自分らしくいる方が自分の価値を高められる」ということを子どもたちに伝えたいそうです。
 

やりたいことがいっぱい、優先順位をつけるコツは?


郡山に移住してから、「もっとこうしたらいいんじゃない?」とプラスに変えられる発見がたくさんある、というTATSUYAさん。やりたいことがたくさんある中で、どのように優先順位をつけているのでしょうか。
「全部同時にするのは難しいので、3年ごとに大きな目標を決めて過ごしています」。3年経ってまだもう少しやりたいなぁと思ったら次の3年間も同じ目標を立てているそうです。細かく目標設定をすることについて、60年後よりも3年後の方が見えやすく、時間を無駄にせずに進めることができるとおっしゃっていました。
 

今後福島・郡山への移住を考えている方に向けて


TATSUYAさんが感じる郡山市の課題感は、「大人たちが自分のことでいっぱいいっぱいで他人に還元する余裕がなく、コミュニティを作って趣味を楽しむ機会や子供たちが交流する場が少ない」という点だそうです。でも、それはTATSUYAさんにとってマイナスなことではなく、「まだまだこんなことができるじゃん!」というワクワク感に繋がっているそう。皆さんもTATSUYAさんと一緒にワクワクする街づくりをしてみませんか?
 
最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございます!
インタビュー中に、TATSUYAさんは、インタビュー中に「自分で経験したことしか語れない」と話していました。世界に飛び立ち、実際に都内で活躍していたことが今郡山でのアイディアや行動に繋がっているんだなと感じました。今後、私も直近のゴールのためだけに行動するのではなく、アクティブに行動しそれがいつかの発想に生かすことができたら良いなと思いました。
インタビューにご協力いただいたTATSUYAさん、ありがとうございました!
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?