知財創造教育を道徳の時間に! 講師:塩瀬隆之さん(第3回)
2020年2月21日(金) 東京・TIME SHARING秋葉原
知財学習プログラム報告セミナー「障害者アートと知的財産権」
第1回、第2回の記事はこちらにアーカイブされています ↓
これから先の文章は、塩瀬さんが「知財創造教育のすすめ」というタイトルでセミナー時に発言されたことを抜粋したものです。
第3回
コピペの罪悪感がない世代
いろいろな大学でここ10年くらい問題だと言われていることの一つに、レポート提出におけるコピペ問題があります。
コピペというのは、コピー&ペーストの略。右にある文章や写真をマウスでクリックして、ドラッグして左でもう一回マウスをクリックするだけで、パッとそのまま同じものが再生される。「レポートにコピー&ペーストをすることはいいことだと思いますか?」と学生に質問をすると、「いけないことだと思う」という回答と「いけないことだと思わない」という回答が拮抗していて、年々それをおかしいと思わない学生の比率が増えてきているのです。
これはどうしてかといえば、日常のなかで普段何かをする時にほぼほぼコピペから始まっているからです。例えば、みなさんも何かデーターを右から左に移したことが経験上あると思いますし、自分が文章を書く時にも、ほぼ必ず以前に書いたどこか文章の断片を次の文章にそのまま貼り付けて学校や仕事の資料づくりをすることがあると思います。
実際にあった学生のレポートを忠実に再現したダミーを紹介します。
例えば再生可能エネルギーという授業のレポートがあったとします。上の段落は全部「…である」で書いてあるのに、2段目の段落から急に「です」「ます」調に変わっている。これは違うサイトからそれぞれとってきた文章ですね。
(一同笑)
で、上の文章はゴシック体なのに、下の文章だけは明朝体になって、異なる人格が書いたとしか思えないレポートになっています。
さらに文章の一部が青字になって、リンクがそのまま貼ってあることもあります。これは紙に印刷されたレポートなので、どこにもページが飛んでいかないんですけど、何しているんだろうと思ったら、大体はWikipediaからとってきている。みんな身近な先生に聞かず、Google教授かWikipedia教授に相談したものがどんどんレポートに出てくる。
以前に出題したレポートで、上手にかけているなあ、よく分かってるなあと思ったら、だいぶ昔に私自身がどこかで書いた論文をそのまま写されていたこともあります。
そこで、最近私自身が課しているレポートでは、こういう風にできないように、たとえば「Wikipediaに書いてあるこの記事は本当か?」といった出し方をするなど、Wikipediaの貼り付けでは通用しない課題を出すように工夫しています。
こういう風にしてはいるんですが、やはりコピペへの罪悪感がない。
罪悪感があるうちは注意すれば反省できるんですけど、データーを右から左に写すことからスタートした世代にとっては、これ自身がいけないことの意味がわからない。
自分から生まれてくる言葉を書くのと、自分から生まれていない言葉を右から左に写すってことだと、そもそものレポートの生産過程が違うので、いくら注意しても、それが注意の機能を果たさない。
となると、もう少し早く知ってもらわないと困る。
昔と違って何が問題か。簡単にものを作り出せるようになったということは同時に、簡単に人のものを動かすことができるようになったという意味でもありますので、自分が何を生み出しているのか、よくわからなくなっている。
自分で写真を撮れば、自分が写真を撮ったとわかるんですけど、インターネット上で何か作っていると、どこかから調べたり、聞いたり。自分で考えたと思っていることも、そもそも自分で本当に考えたことなのかどうかもよくわからないくらい先に写真とか、文章とか、データーに触れる機会が多くなっている。
みなさんもゼロから百まで全部自分で考えた言葉だけで文章を考えたことがあるかというと、悩ましいと思います。
急にチラシの裏とか、原稿用紙に書き始めるのと違って、パソコン上で誰かにメールを書くときも以前のメールをひっくり返してきて、どこからかリンクを貼ったりする。その時点でゼロから自分でという機会は学生や子どもだけでなく、いまどき大人でもなかなかありません。
デジタルの一番怖いのは完コピできるということです。そのまま移せる。手紙だと間違えたり、写し忘れたり、覚えて書いていると少しづつかわってきて、そこが創作と忘却の区別がつかないくらいなんですけど、デジタルの世界は完コピできる。
完コピができるのでなにが問題かというと痕跡が残る。痕跡が残っていればこそ、オリジナルか借り物かの区別がつくので、必ずしも痕跡が残ることが悪いかどうかはわからないですけど、昔と今とで違う条件はここにあろうかと思います。
知的財産というときの「知的」を言い換えてみる
その上で、じゃあ知財創造教育をやろうと考えた時に、じゃあどの教科どの科目ですべきでしょう? 今座っている近くの人と、もし知財創造教育を小学校の授業で実施するならどの科目でやるか、相談してみてください。
(参加者が話し合いをする)
小学校なら何かを作り出す瞬間なので、それは図工なんじゃないか。中学生ならそれは技術なのでは。今プログラミング教育っていうと誰が担当しますか、と学校に降りてくると、「プログラムだから図工なんじゃないですか」、「算数の先生の仕事じゃないですか」、「理科の先生の仕事じゃないですか」と、いろんな科目間でたらい回しにされることもあるそうです。
知財創造教育はどこが受け持ったらいいのでしょう?というのを、今回作成したコラムの中で寄稿させていただきました。
私自身は、もし知的創造教育を小学校でするならば、特許の仕方や著作権を教えるというよりは、知的財産の「知的」という部分を生徒自身に言い換えてもらうとか、「知的財産権って何ぞや」っていうのを一緒に考える方が大事だと思います。
例えば知的財産権を「賢い」財産権って言い換えてみる。
いや、違うぞっていう意見も行ってもらえたらいいですよね。賢くないといかんのか? と。
じゃあ、「自分で考える」財産権。自分で考えたものだけが知的財産権になるのかどうかわからないですけど。
じゃあ、「誰も思いつかなかった」財産権。誰も思いつかなかったらいいんだろうか、とか。
「車輪の再発明」という言葉が工学系の中ではよく引用されます。車輪の再発明は、誰かがやった研究とか前の人のやったことを全然調べずに、新しいことを開発した気になっても、すでに誰かが開発していたものに出会うかもしれないということです。
「すげえのできたよ。ぐるっと丸くなって。コロコロ転がるんだよ。」っていうのを作ったとしても「それは車輪としてみんな知ってるよ」って言われる。
本人の中では、誰に頼りもせず本人が本当に作り出したっていう時に、その彼は創造的なのか。彼が生み出したものは知的創造なのかっていうのを考えた時に、教育の世界では「創造」と言って褒めてやりたいのだけど、社会的にはそれは知的創造とは呼ばれなくなってしまう。誰かが先にやっていることになるので。
だから知的財産権の知的っていうことと、財産という部分は割と相対的なことなのです。誰かがすでにやっているか否かに依存する。その中で誰かが頑張って早く考えついた大切な財産権っていう風に財産権に付随する言葉をどんどんどんどん足していった時に、みんながそれをどうしたいかっていうことが次に出てくるかなあという風に思います。
知財創造教育というのは、そういう意味でいうとぼくは、道徳の時間にしてほしいなあ、と。自分自身が考えたことを大切に、他の人が考えたことを大切に。必死で考えた独創的なこと、というのはその考えた人自身を大切にすることでもあるからです。
「まもって ひろげて」に込められた意味
一昨年(2018年度)、たんぽぽの家のみなさんと「知財でポン!」というカードゲームをつくりました。
このゲームをつくるに当たって、副題を何にしようか色々考えていました。結果、「まもって ひろげて」、になりました。これも副題をつくる途中では、「広げて、守って」、と順番をわざと変えてみたり、みんなでいろいろと考えました。
それは何かというと、知的財産権はみんなで金儲けをするためのものでも、莫大な財産の種子だけでもなかろうっていうのがあったからです。
知的財産、例えば、特許というのは独占するためのものと思われている節があります。その一つの狭い解釈だけからすると、「ぜったいにこれは渡さないぞ」という閉鎖的なことになるんですけど、今回、たんぽぽの家を中心にみんなで考えた「知財でポン!」というゲームを使った研修で狙っていることの一つは、「誰かが生み出したものをみんなで広げたい」、ということです。
広げたい時に、先ほどのパチモンとかオレノンがいっぱいいるとせっかく作ったのに、その一部の人たちの悪意で、どっかに持っていかれたりすると、「せっかく作ったのに」とげんなりするわけですよね。創作意欲が損なわれてしまう。
大切なものならば、それは誰かが作った大切なものとして、大切に、次の人に見せないといけないので、「守る」っていうことが大事で、その上で「広げて」いこうっていうのが知財創造教育において大事な二つのキ-ワードではなかろうか、と考えて決めた副題なのです。
なので、子ども達に著作権の権利失効までの時間を覚えてもらうのがテスト問題にするのではなくって、そのまま放っておくと本当に学校では「著作権は何年で切れるでしょう?」みたいな一問一答のテストになりかねないので、そうじゃなくて知的財産権、知財創造を別の言葉でいうと、「守って広げて」っていう言葉で覚えてもらえることが本来一番大事な知財創造教育だと思います。
ハンドブックの46ページにそんな想いを書いたので、もしご興味あれば読んでもらえたらと思います。(編集者注:こちらよりご購入いただけます。また、一部、こちらより試し読みができます。)
塩瀬隆之さんプロフィール 京都大学総合博物館准教授。博士(工学)。インクルーシブデザインならびに科学技術コミュニケーションのデザインワークショップに従事。京都大学デザイン学ユニット/宇宙総合学研究ユニット構成員。2017年科学技術分野の文部科学大臣賞(理解増進)ほか受賞多数。2012年から2014年にかけて経済産業省において技術戦略担当課長補佐にも従事。
(おわり)