【レポート】CAST:かげのダンスとVR|振り返りミーティング|2023年5月30日
2022年度に実施した、デザインエンジニア緒方壽人さんと、たんぽぽの家のひるのダンスによる[CAST:かげのダンスとVR]。
3月の展覧会、京都での報告会を経て、緒方さん、ひるのダンスに長年かかわってきた佐久間さん、そしてArt for Well-beingプロジェクト監修の小林茂さん、事務局が集まり、小林茂さんの進行のもと、[CAST:かげのダンスとVR]を振り返りました。
5月30日(火)17時〜19時@zoom
・緒方壽人さん(デザインエンジニア、Takramディレクター)
・佐久間新さん(ダンサー、ジャワ舞踊家)
・小林茂さん(情報科学芸術大学院大学[IAMAS]教授)
・事務局:大井卓也、岡部太郎、後安美紀、小林大祐、森下静香
・オブザーバー:井尻貴子
◼️ワークショップの振り返り
小林(大):[CAST:かげのダンスとVR]のワークショップに参加した、たんぽぽの家のメンバー4人と、4月末にアンケート形式で振り返りをしました。
・山口広子さん(車いすを利用している)の回答
① 1
② 2
③自分が何をしているのか最後までわからなかった、みんなと踊れたという感じも特になかった。
小林(大):やまひろさん(山口広子さん)は「自分が何をしているのか最後までわからなかった」とおっしゃっていたんですね。
傍から見ると踊っている感がとてもあったにも関わらず、本人のなかでは戸惑いがあったみたいです。
その理由としては、1つには我々の説明不足があると思います。
もう1つには、11月に緒方さんがいらっしゃった時のVR体験ワークショップとの違いがあったようです。
やまひろさんは、その時のイメージを今回のワークショップにも持っていたみたいで、それとの違いに対応できなかったところが大きいのかなと思います。
VRゴーグル(HMD)をつけた状態で光を見ても、自分がどの光で、相手がどの光なのかわからない状態でダンスを踊られていたそうなので、そこがわかっていたら楽しめたのかもしれないという話をしていました。
あとは道具に関する問題で、手の動きがなかなか認識されないというハード的な使いにくさも大きな要因としてあったかと思います。
・永富太郎さん
①5
②4
③満足度が高い理由については、単純に楽しかったから、というのが一番大きいようです。
VRできれいな画像と音を楽しめたということや、彼がVRの中でも他者を感じながらダンスをできていたことが楽しさを感じられた要因なのかなと思います。
・河口彰吾さん
①5
②2
③「新しいことを体験できた」という点で満足度は高かったようですが、達成度の低さに関してはHMDを着けるのがつらかったようです。
途中で疲れて、自分で外したりもしていました。
・松田洋子さん
①5
②5
③「よかった」とおっしゃっていました。
小林(茂):ワークショップを実施したのが2月頃で、メンバーのみなさんとの振り返りを実施されたのが4月末かと思いますが、振り返りの時は、映像などを見ましたか?
それとも記憶から振り返る感じでしたか?
小林(大):アンケートの際は、各々が頭の中で思い出しながらの回答でした。
ダンスの直後に佐久間さんが振り返りをされた時には、ビデオを見返しながら振り返りました。
小林(茂):佐久間さんが振り返りをされた時にはどのようなお話がでましたか?
■課題:デバイスの使いにくさ
佐久間:いろいろと色々複雑な要素が絡み合っていたので、とにかく、さまざまな映像を見返しながら話をしました。
デバイスが使いにくかったよねという話はよく出ていましたね。特にやまひろさん(山口広子さん)は手の麻痺のために着けにくさを感じていたようですし、今回の操作には使用しないコントローラーがある操作に要らないコントローラーがある、といったような問題もありました。
1日目は、インターネットやHMDの位置設定が難しく、見えるべき表示がされないとか立体に接近しても表示されないなど、いろいろな不具合が発生していました。僕はおもしろかったのですけど、混乱の要因にはなりますよね。
新しいものをトライする時に、自分がしたアプローチに対して起こる変化や応答の積み重ねによって経験値を積み上げ、新しいディバイスを理解していきます。しかし、自分がしたアプローチに対して変化が起こっていれば、簡単に経験値が組み立てられていきますけど、その変化が人によって起こったり起こらなかったりと不規則で未知なものだったので、そこに対してやりにくさを感じた。感じる。
だから、小林(大)さんが3月の展覧会「Art for Well-being表現とケアとテクノロジーのこれから」展(*注1)の会場で操作している様子の動画を見たときは、「こんなスムーズに動いてるの!?」とびっくりしました(笑)。
僕が操作したときはこんなんちゃうやんかー、と。
注1:「Art for Well-being表現とケアとテクノロジーのこれから」展(2023年3月4日―12日開催 会場:シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT] スタジオB)
小林(茂):たんぽぽの家でのワークショップ1日目と2日目、さらに展覧会でのバージョンはだいぶ違いますよね。ネット環境の良し悪しも関係しているかもしれませんが、回を追うごとにアップデートされて、最後はかなりスムーズなものになっていたと思います。
■参加の仕方と満足度
小林(茂):フィードバックの中で、永富さんが達成度も満足度も高かったのが印象的でした。確か2日目の最後に十数分間に渡ってダンスがうまくいく時間がありましたが、その時に永富さんはHMDを着けない側で参加されていたと思うんですよ。
それで、もしかしたら不満に感じられていたのかなと思っていたのですが、そういうこともなく楽しかったと言われていましたので。それは取り組み自体の新しさを主に評価されたんでしょうか?
佐久間: 永富さんはこの場所で起こっていることのおもしろさを彼なりに見つけて良いコメントをしていたと思います。
大井:永富さんは、普段のダンスに参加されているときはどんな感じなんですか?
佐久間:もともとダンスを積極的にやるというタイプではなかったんですが、何年かかけて興味を持ち出したという感じですね。それでも、90分の中で、自分の興味のあることはやって、興味のないことはしないという感じです。そういうところは正直な方ですね。彼はVRとか流行のものが好きなので、それに興味を持ってパッとおもしろい視点を見つけた、という感じなのでしょうかね。
■触るという動作の中にたくさんの要素が含まれている
小林(茂):佐久間さんは、緒方さんに聞いてみたいことがいろいろあったと京都で報告会(*注2)を開催したときにおっしゃっていましたよね。
注2:「Art for Well-being 表現とケアとテクノロジーのこれから」報告会 in Kyoto(2023年3月22日(水)開催、会場:FabCafe Kyoto(MTRL KYOTO))
佐久間:ダンスのやりとりをする時に、触り方のバリエーションによって相手がどのような反応を起こすかとか、その反応に対して自分がさらにどう応答するかの積み重ねが、ダンス的なやりとりを生み出していきます。
なので、装置をつけた時に、触り方のどの要素が選択されて、装置に影響を与えていくか、という選択がこちらの動き方に影響を与えます。たとえば、つつくには反応するけど、なぜるには反応しなければ、なぜる動きをしなくなる。ある動作的なアプローチをした時に、それが相手に伝わらず自分の身体にだけその動きの記憶が残っている場合がある。
それをどう受け取るかですよね。
別にそれでいいじゃないという気持ちもあれば、相手に届けたくて必死に踊った動きが意図の通り伝わらないというもどかしさもある。装置にとっては無駄である。ダンスには無駄でも楽しめる動きもある。というところは興味深いですね。
装置が選択をするということで、実はものに対する動きのアプローチにも、非常に複雑な要素があることを再認識しました。
■どの動きを切り捨てて、どの動きを使うのか
緒方:触ってる、触っていないの判定については、こちらが触れると音が鳴る、というふうに「触る」という行為をトリガーとして利用したプログラムで、触るまでの段階についての視点にありませんでした。
どのように場のルールを設定するのかは、全てプログラマーに委ねられているのですが、どの動きを切り捨てて、どの動きを使うのかという選択は無限にあります。
なので、今回のような実験を繰り返しながらその選択肢を厳選していけると、もっと可能性が広がるだろうなと思います。
例えば、試してみながら、その時々でフィードバックをもらってやりとりをしていったら、それを反映したプログラムにできるかもしれません。今回は選択肢をへらす方向で、かなりシンプルなインタラクションでやったので、特に使いにくさを感じるタイミングは多かったですよね。
ただ、だからといって現実空間とほぼ変わらないプログラムのVRを作るべきかというと、それはそれでおもしろくないんです。
影のダンスの空間は、触ったら反応があるという「現実の世界と重ねた時にある程度予想できる動き」と、球が浮いている、とか光に近づくと音がする、というような「非現実的で予想できない動き」とのバランスを考えながら作ってあります。
これは今回に限らず、僕自身が作品を作るときに気を付けていることでもあります。
佐久間:そもそも影は、動いている人の実体に比べたら平面的で解像度の低い情報だけど、なぜか実際の人間より影の方がより集中して見られたり、動いてる側もより楽しく動けるようになったりするんですよね。
最近の<ひるのダンス>(*注3)は仮面をつけて行っているんです。
仮面をつけることで表情から得られる情報はぐっと減るはずなのに、ダンスがすごくおもしろくなるんですよ。
注3:月に2回、たんぽぽの家で行っているワークショップ。講師:佐久間新。
■声はダンスの邪魔になる?
あと、<かげのダンス>の時の話なんですが、僕は普段のダンスの時に何かを禁止することはないんですが、<かげのダンス>の時に、脇でスタッフの佐藤さんや是永さんが実況のような感じでよくしゃべっていた時は、本当に珍しく「しゃべらんといて」と言いましたね。引
き裂かれるような思いでしたけど、言葉、意味ではなく、動きや音に集中しないと見えないことがあったのでやむなく。
ただ、その直後に僕は言葉を出しているという(笑)。
つけている側は周りが見えなくなるので、声を出して誰かの存在を確認したくなるんですよね。
僕が声を出して声が返ってくると、そこに人がいるということが実態を持って感じ取れるので、周囲の説明するような声とは意味が違っていたとは思います。
緒方:普段の<ひるのダンス>の時は、みんな喋らないんですか?
佐久間:ダンスを始める前に、僕は何か説明をすることはありません。以前は、ダンスの日は終わるまで一言も話さないこともありました。今はすこし変わりました。人によると思いますね。自分自身の体験でいうと、ダンスをしていて声を出せるようになったのは、はじめてからだいぶ後でした。
ほとんどのダンサーがそうだと思います。
周りの環境を感じたり、自分の動きに集中したりしているときには、声はなかなか出てこないんですよ。
ある時期から声を出すようになりましたけど、声が出すことによって動きへの集中度が落ちているような気がして、葛藤したこともありました。今ではある程度の折り合いがついて、自分の表現の引き出しに声も動きも入っていて、その時にやりたい表現にふさわしい方が飛び出てくるような感じになってきました。
■<かげのダンス>と戸惑い
緒方:<かげのダンス>をはじめるときには戸惑いはありましたか?
佐久間:<かげのダンス>は、いきなりはじまった企画というわけでもないんですよね。僕はよく思いつきで、水で踊ってみよう、床に映る影で遊ぼう、というようなワークショップをやっているので、特に戸惑いはなかったです。影のダンスについて本格的に興味を持ち始めたのが3〜4年前で、その時ははじめるにあたって色々な説明をしましたね。以前から影というトピックには関心があったんです。僕が踊りをはじめるきっかけになった先生が、若い時に「鏡を見て踊ることはしなかったけれど、影を見て踊りの練習をしていた」ということをおっしゃっていて。鏡を見て稽古する人は視覚だけで体をコントロールしたり、見られる自分を意識しすぎたりする。それで影でやったのだろうか、と印象的でした。
緒方:そういう意味では、めちゃくちゃ難しいことをしようとしていたということがわかりました。VRで仮想空間に視覚と聴覚が移行するということ自体イレギュラーなことですし、その上で影という、意識しないと読み取れない解像度の情報、しかも現実空間の影ともまた違う形をしたCASTにフォーカスするという……。
日常とは違う要素が多かったので、経験知を増やすための準備時間を増やしたら、また変わってくるのかなと思います。
佐久間:僕がダンスをする時に、自分が働きかけた動きに対する反応があるかどうかが怪しい時がたくさんあるんです。障害のある人に向かって何か働きかけた時に、相手が反応したかしてないかはっきりしないけど、なんとなく反応した気がする時がある。あるいは、思い思いに演奏する人々の音が混じり合って音楽のように聞こえてくる時に、一人ひとりがお互いに聞き合って演奏しているようにも、自由な演奏が偶然音楽のように聞こえているようにも思える時とかがあって。
ダンスに関わらず、集団で表現をしている場ではこういったことがよく起こります。メンバーたちも、自分が表現したことが本当に伝わっているのかわからないという状態には慣れていると思います。なので、僕も混乱した装置を前にした時に、「まぁいいや」という感じになったんです。自分の動きが伝わらずにバグっていたとしても、それをひっくるめてやりとりを楽しもう、と面白がるほうに気持ちをシフトしていました。
唯一VRの仕様に戸惑っていた方がやまひろさんでしたけど、やまひろさんの認識の仕方はたまに謎な時があるんですよね。ものすごく理路整然としている時や、人の心の中まで分かっているんじゃないかと思える時もたくさんあるんですけど、たまにこちらがあれこれ手を尽くして説明したことや、あるいは1+1=2くらいの絶対共有できそうな事象について「わからん」と返されることもあるんです。もしかしたら、彼女だけが気づくやりにくさがあったのかもしれません。
もう一つ、思い出したんですけど、やまひろさんが今回のダンスのなかで、こちらには見えていない何か一点を目指してぐーっと前のめりで前進していった瞬間があって、その動きは「よいな」と思いました。
もう一人、松田陽子さんも大きくゆったりとした腕の動きをしていたんですけど、それもよかったです。普段、彼女は小さく手を動かすくらいのことはあっても、大きく動かすことはなかったんですよね。
大井:ゆっくり動くとかもあんまりしないですよね。
佐久間:うんうん。彼女もきっとゴーグルの中に何かを見ているんだろうなと思って。松田さんは仮面の時にも普段と違う動きをしていました。仮面を被ることによって何かから開放されたり、普段とは違う感覚を得たりして、そのような動きがでてきたんでしょうね。松田さんも、はじめからダンスを楽しめるタイプではなかったんですけど、数年かけて動けるようになっていった感じです。
■プレーヤーが、パフォーマーにもなるおもしろさ
緒方:今、佐久間さんがやまひろさんや松田さんの動きを「よい」と評されていましたが、その「よい」というのは、佐久間さんの主観的な体験として感じた「よい」なのか、それとも外から見た表現としての「よい」なのかが気になります。
佐久間:両方ですけど、どちらかというと外から表現として見た時に、よい動きしてるなと思いましたね。
緒方:なるほど。今回のプロジェクトで他のクライアントワークと比べて特異的だったのは、プレーヤーがやっているところを誰かが見ていて、その人も共に作っていくパフォーマーとなる構図が描けるところですよね。通常はプレーヤーが楽しいかどうかということのみに意識を向けているので。
展覧会で作品を作るとか、その他のクライアントワークと違うなと思いながら作っていたのは、ゲームだったらプレーヤーが楽しんでいるかどうかっていうことでつくっていくことになるんですけど、プレーヤーがプレイしてるのを誰かが見ているという関係がある時に、その人も一緒に作っていくパフォーマーとなる構図がおもしろいなと思って。それをどれぐらい考えたらいいのかというところは、明確な答えがあるわけではないですけど、「いかに楽しんでもらうか」ということとは違うアプローチだなと思います。
今後発展させていくときに、HMDを皆さんにつけてもらってパフォーマンスしているのを作品として見てもらうとして、鑑賞する人たちがまっさらなステージ上でVRパフォーマンスしている人の動きを見るのか、背景にVRを投映したステージ上でVRパフォーマンスしている人々を見るのか、もしくは鑑賞者の人々にも一緒にVR空間に入ってもらうのか、という風にいろいろなパターンがあるなと思って。今回はどこを狙っていくのか曖昧だったなと。
佐久間:そうですね、まぁ、ひるのダンスも自分たちが楽しいダンス、それを人にも見てもらいたい、見ても楽しいだろうと両方考えています。ワークショップであるような、作品でもあるような。舞台作品ではないと批判されることもあります。すでにあるような舞台作品を作りたいわけではないのですが、一見エンターテイメント性がないように見える動きが、とても魅力的なダンスに見えるしかけを作ることができると思うんです。
小林:佐久間さんは先ほど仮面をつけて踊るという話をされていましたが、通常の身体で踊るのと、仮面をつけて踊るのと、影で踊るのと、VRにキャストされた影で踊るので、それが抽象化された身体なのか、引き算された身体なのか、あるいは全く違う身体なのか、どうとらえるのかわからないですけど……。
たとえば仮面をつけるとおもしろくなるのは、どうしてでしょうか? 何かつけることによって身体が変化するんでしょうか?
佐久間:見た時に楽しみやすいというのが一つ。いくらでも見ていられる。
仮面をつけて踊る時、つけている本人には、どれだけ仮面がフィットしているのかが見えないんですよね。
でも、傍から見ていると本人がその仮面の表情を客観視してキャラクターを演じているようにしか思えない動きが出てきて、それがおもしろいことがあるんです。どうしてそんなに仮面にハマった動きが出てくるんだろう?という動きで。
◼️自分の姿をどう認識しながら踊るのか
小林(大):佐久間さんがHMDを被った際に、自分が光の球として表示されることを意識してダンスをされていたのか、そこは意識せずに自分の身体の動きを意識されていたのかが気になります。
佐久間:視界の中で手はボールになっていたので、ボールを動かしているという感じでした。しかし、自分たちの動きのリプレイを見て、球が集まったり離れたりしているドラマチックな様子を見た後には、動くときにボール自体になっている意識に近づいてる感じがありましたね。「人にはこうやって見えているだろう」という想像をしながら。
僕自身、ダンスでいろいろな役柄になったり、蛇や獅子舞のようなものの中に入って動く時には長細いものが空間の中で描く軌跡を想像しながら動いたりするので、その経験もあって、HMDをつけた生身の人間が動いてる面白さと、VR空間にいる球体としての動きの面白さを行ったり来たりしながら意識していました。
緒方:アバターはVRでしか作れない非現実的な動きをする物体にするためにあの形になったところもありますが、複数の動きをミラーリングするという制約を満たすために抽象的な形になったというところもあるので……。人間や何かの生き物のようにしていたらどうなっていたのか、それはそれで興味があります。その時に障害みたいなことをどれくらい考えるのか、というのもあったかなと思います。抽象的なかたちにしていることで、誰もが同じような表現になるんですけど、人に近づければ近づけるほど、VR空間といえど障害の有無が見えてくる可能性が出てくると思うので、それが良いのか悪いのか……。どういう影響が出てくるのかなと気になります。
佐久間:それは、実験後のランチタイムのときにも少し話しましたよね。球体になることで障害が関係なくなるという。CGであれアバターであれ、人間の身体の動きというのがある種の足枷になる場合があると思う。
自由にどんな形も作れるとはいえ、人間に近いような造形を持つものが人間らしからぬ動きをしたり、あるいはどこかが極端に大きい/小さいというような造形だったりするときに、それを美しいと思えるか、というところはあると思うし。
その反面、パラリンピックでいろんな身体の人が踊る姿が取り上げられると、こういう美しさもあるんだ、となったり。いろんなアバターを作る時に、男性らしさとか女性らしさとかを追求してもいいけど、もうちょっとそこから外れた美しさを追求できるとすれば、それはダンスを拡張することにもあるように思います。
■鏡を見て踊ることと、影を見て踊ることに、どんな違いがある?
小林(茂):さきほど佐久間さんが、インドネシアの先生が「鏡ではなく影を見て踊っていた」と話されていましたけど、鏡を見て踊るのと影を見て踊るのってどう違うんですかね?
佐久間:色んな意味がありますね。これ、喋らすと5分以上かかりますよ(笑)。
まず、ジャワには昔はそんなに大きな鏡がなかったんですよね。日本でも能とかはそうだったと思いますけど。あと、すごくフィジカルなことを言うと、ジャワ舞踊というのはやや下を向いて踊らないといけないので、鏡の自分の姿を見ている時点でそれはもう、アウトなわけです。あと、ビルのガラスを見て踊っている人たちがいますけど、あの人たちはずっと鏡を見ながら踊っている。
いろんな方向を向き、頭をダイナミックに動かすか、脳があるので難しいんですが、ずっと鏡を見ていると、なかなかカッコいいダンスは生まれないんですよ。ダンスを教える時に、生徒の前に立って、彼の右手は私の左手でそれを左方向へ動かして。というように考えてやろうとすると、なかなかうまくいかないんですよ。やってたこともありますけど。なので、自分と相手との間に線が繋がっているようなイメージで、「その右手を動かせ!」という感じで念じながらその前にある手を動かすほうが、相手が動いてくれるんですよね。あと、ダンスにおいては右左ということよりも、内とか外とか、何かの中心に対して動く方が大事だと思います。
その先生がどういうシチュエーションで影をみたのか、というところまではわからなくて、自分の影なのか、他の誰かの影なのかはわからないんですけど、なんとなく自分の影を見てやってたような気もするんです。
自分がちょうどうまくなりかけくらいの時があって、その時にジャワ舞踊の先生と踊りながら先生の中に自分がパッと入り込んでいくような感覚を得ることがあって、その時は身体のパーツが同期ということでもなく全部が入り込んでいるような感覚になったんですよね。
それで、その先生がいなくなるとまた踊れなくなるという感じで。それは影というより、人の背中を見ながら踊っていたことなのかもしれませんが。
緒方:めちゃくちゃおもしろいですね。自分の姿をどう認識しながら踊るのかっていうのがすごく影響するんだなというのと。
VRの世界だと、鏡なんだけど反転した像が映るとか、幽体離脱したようになるとか、ある動きの軸の位置を可視化したりとかできてくるので、そうすると大量に動きが変わりそうだなと思いますよね。
■HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を仮面と捉えると?!
佐久間:仮面をつけて踊るときに、ああ仮面をつけるときは、ものすごく人に見られていることを意識するんだと思ったことがあります。
ただ、ジャワだと、仮面舞踊にはトランス系の踊りが多いんですよね。
周りや自分の正気を忘れて踊り狂うという。それは憑依みたいなことだと思うんですけど。
普通のジャワ舞踊は、儀式の舞踊に近い部分もあって見られること、あるいは見せることを意識しすぎるのはよくないんです。ところが数少ないんですが仮面舞踊になると、何かが憑依されて踊るような感覚になります。普段よりタガを外してもいい感じになります。
小林(茂):そこだけでも探究のしがいがあるなと思います。例えば「シン・ゴジラ」という映画では、ゴジラのモーションは野村萬斎さんが担当されているんですけど、モーションキャプチャをする際に、なぜか仮面もつけていたんですよね。しっぽをつけるのは動きの感覚をわかりやすくするためにというので納得がいくんですけど。
仮面はゴジラの仮面ではなくてただの丸いものだったんですけど、あれだけでも相当意識が変わるんだろうなということを思うと、HMDもわりと邪魔なものと言われがちなんですけど、仮面だと思うと意外とアリなんじゃないかなと。
緒方:そうですよね、仮面ですよね。何で仮面にならないのか……(笑)。
佐久間:それを言えば、コロナ期間の、マスクも不思議な感覚です。ずっとマスクをしてダンスしてた期間がありましたけど、ダンス的にはマスクをしている方が踊りやすいと感じた人も多かったと思います。自分を覆いつつ、見られることに意識を向ける。
■音楽について
小林:たんぽぽの家の岡部さんから質問をいただいています。「いろいろな音楽家がいらっしゃる中で緒方さんが松井さんを選ばれた理由は?」
緒方:松井さんは、古くからいろんな作品作りで関わってきた方なので、一緒にやる信頼感があるというのが一番大きいですかね。
プロジェクトを着地させようとするときに、音楽も鑑賞として良い体験にしたかったので、ただ音楽を流すのではなくてインタラクティブにそれぞれのいる場所や動きに連動したり、音を分解して配置したり、という音作りにしたかったんです。
松井さんはそういった音作りができる方だったので今回もお願いしました。
佐久間:この間のVRも、最後の方は音を出すところまで楽しめました。
■今後に向けて
小林(茂):同じ空間にいる複数の人がVR空間にも存在して、それを行ったり来たりしながら踊るっていうのはすごい可能性がありそうだなと思います。
鏡と影の話だったり、アバターも選べた方が良いのかどうかとか、かなり色々な変えようがあると思うし、あの時はみなさんぶっつけ本番だったと思うんですけど、今後練習する時にさっき佐久間さんがおっしゃっていたような色々なやりとりをしてみたらどうだろうとも思うので、可能性の入口だけ見たところで昨年度は終わっていたと思うんですよね。
いろいろなトライアルをするための土台ができてきたところというか。佐久間さんにも緒方さんにも、ぜひ継続していただきたいなと思いますね。
小林(大):事務局としても、引き続きお二人と何かできるとよいなと考えています。引き続きダンスというものもありますし、演劇や他のパフォーミングアーツとの可能性などもありますので、アートセンターHANAだけでなく他の舞台芸術をやっている団体なども巻き込むといった展開の仕方なども考えていきたいと思います。
緒方:いろいろやり残したことがあるなと思いますし、今日も色々なアイディアができたので、何かやりたいなと思います。VRも今年またクエスト3が出るという話で、軽くなりそうですし。
できたら、何度かオペレーションを回しながら色々発見するようなプロセスを踏めたらいいなと思います。今回は仕上げに行くという感じだったので(笑)。
小林(茂):そのあたりで、やりようがあるかなと思ったのは、前回は緒方さんが奈良に滞在できる時間が限られていたんですけど、アプリもあるなら、緒方さんは長野にいてそこからアップデートを行うようなかたちで3~4回くらいオペレーションをしても良いと思います。
緒方:あのVR空間の中でミーティングを行ったり。
佐久間:僕自身はあのVR空間の中での表現の可能性を探りたいですね。新たな表現が生まれるとか、今までダンスと思われなかったものがダンスとして力を持ってくるというのがあると思う。本当に何気ないことが仮面をつけることで違って見えるというようなことがVRでもあると思う。ダンスが変わることもあれば、ダンスの見方が変わるということもあると思うし。
緒方:VRのゴールをどこに置くのかというのはありますよね。今日ここで決められるものではないと思いますが……。より良いパフォーマンスのためなのか、ケアのためなのか、みたいな感じでゴールが絞れるといいですよね。そのために色々やりたいことを試行錯誤しながら。
小林(茂):佐久間さんと緒方さんのやりとりから、いくつか次につながるようなものが見えたのがよかったです。
物理的に一緒にやった方よいところと、VR空間でできることをうまく両立できたらいいなと思いますね。あとは、先ほど緒方さんもおっしゃっていましたが、昨年度はゴールがうやむやのまま走って行って最後なんとかうまく着地したみたいなところがあるので、今年はじっくりゴールを設定した上で、そこに皆で向かっていく、というのが良いんじゃないかなと思います。どういうところに届けようかな、という時にブレずにできると思うので。
■わかりにくいダンスがわかりやすくなることだけを目指してるわけではない
佐久間:VRをやることで、わかりにくいダンスがわかりやすくなるだけだったらあまり面白くないと思うんで、それだけをめざしてるわけではない、というのを言っておきたいです。
大井:ダンスもVRもエンターテイメント性に焦点が充てられがちなので、このプロジェクトはそうではない部分に重きを置いていきたいですよね。
まとめ:井尻貴子