自分の内側にある【恐れ】を観る
北陸の地震が起きてから、しばらく無気力な状態が続いていました。
地震のあった翌日、2日に横浜に行ってきて、人混みによる疲れもあったのですが、この無気力感、最初は、自分でも、どう表現したらいいのかわからなくて、それが余計に無気力感を長引かせていたような気がします。
無気力感の原因を、地震関連のニュースで心を痛めているせい、人混みのなか出かけていって身体が疲れたから、という【もっともらしい理由】だけで片付けてしまいたかった。
本当は、この無気力感の奥にあるものが、なんなのかを私は分かっていました。でも、それを観たくないし、向き合いたくないから、「どう表現したらいいか分からない」と曖昧にして逃げていたのです。
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・どんなに心から望んでいた願いを叶えても、最後はみんな死んでしまう。
・死は、誰にでも平等に訪れるし、そこから逃げることはできない。
(お金をどれだけ持っていても、名声があっても)
…それなら、なぜ人間は生まれてくるの?
なにを頑張ろうと、なにを叶えようと、結局、死んでしまうなら、なんのために夢を叶えたり、なんのために生きるんだろう?という、考えても答えが出ない沼にハマり、絶望感でいっぱいになっていました。
そして、この絶望感の根源には、【恐れ】があり、その【恐れ】というのは、「両親、愛する人と死に別れること」だったのです。
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誰でも、肉親や愛する人と死に別れることは辛い、悲しい、恐いし、そんな日がやってこなければと願うと思います。
ただ、私は一人っ子で、人一倍、恐がりな性格のために、子どもの頃から、「両親と死に別れる」ということを、この世のなによりも恐れていました。
記憶にあるのは、戦争の映画(火垂るの墓だったかな?)を観たあとに、それはそれは、胸が締め付けられるような苦しさを覚えたことです。
「両親と死に別れる」というのは、どうやっても避けられません。
でも、子どもの私は、そのことをずっと心の奥に閉じ込めて、鍵をしました。そうやって、蓋をして、直視しないでおけば、現実にならないような気がしたから。
そして、別れたときのショックを軽減するために、両親を大好きになりたくない!とずっと抵抗してきました。
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でも、もう、その【恐れ】に蓋をしていても、どんなに見ないふりをしていても、「両親と死に別れる」、その日がいつか来るのは、避けることはできません。
だから、大人の私は、腹をくくって真正面から、その【恐れ】を観てみることにしました。
「あぁ、私は両親や愛する人と死に別れることを、恐れているんだ」
「ずっと、この恐さを観ないようにしてきたんだな」
「私のなかに、こんな恐れがあったんだな」
【恐れ】があることに抵抗しようしたり、「いい大人になっても、まだ親の死を恐れてるなんて、みっともない」とジャッジしようとしたり、そういうのを一切放棄して、ただただ、【恐れ】がある、ということを認めました。
すると、逆に、身体のなかから「ホッとした感じ」がして、少しずつ無気力感から抜け出すことができました。
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【恐れ】を観るときのコツ?ですが、私は【聖なる存在】に、「私のなかにある【恐れ】を一緒に観てください」とお祈りしました。
(ちょっとスピリチュアルなお話なので、スピリチュアルに抵抗がある方はスルーで大丈夫です!)
お祈りといっても、イメージ的には、夜中に1人でトイレに行くの怖いから、付いてきてもらっていい??とお友だちに頼む感じです。
「私一人で、この【恐れ】を観るのが恐いから、一緒に観てもらえますか?」と、心のなかでお願いしました。
お祈りをすることで、安心しながら【恐れ】を観ることができます。
北陸地震が起きて以降、私と同じように無気力感だったり、不安感などが強く出ていて、お辛い方がいらしたら、ぜひ【お祈り】をしてみてください。
※【聖なる存在】=神さま、ハイヤーセルフ、高次元の存在、天使…ご自身がしっくりくるもので大丈夫です。
※ちなみに私は、無宗教です。