![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27736598/rectangle_large_type_2_e2d334081510c9549473c3cdeb3eca7d.jpeg?width=1200)
「自分らしく」が皆のためになる
個性で生きる時代がきた。例えばもしあるグラフに人をタイプ別で点在させていったとしたら。どこかに点が偏るよりも、あちこちに満遍なく点が行き渡る方が、地球全体で見たとき大きな力を発揮できる。ひとつでは弱いものも、それらをたくさんの点で支えた時にすごい力を発揮できる。むしろ偏るとバランスが崩れる。そしたら自分は他の誰でもなく自分でいる方が、地球全体にはプラスになれるのかも?しれない。
例えば、私はきっちり計画的に働くことができない。調子がいい時、やりたいと思った時に動きたい。朝でも夜でもバラバラ。例えば決まった時間に計画通りに動きたい人と生活したとしたら、私のやりかたはこんなふうに映るのか。
「だらだら働いてる。」「仕事と生活の境目がない。」「ちゃんとやってるように見えない。」「遊んでるのか仕事してるのかはっきりしろ。」
計画的に動きたい人、それが正しい人から見たら、感性や気分で自由に動いてるタイプの人の動きは意味不明でデタラメな世界が見えるに違いない。でもわたしにはすごく調子が良くてパフォーマンスがいい。何より働いてると言う意識がなくなる。やりたくてやってることになる。無心で集中もできる。仕事したり違うことに手を出したり、行ったり来たりしながらいろんな考えやアイデアを見つけ出してもいる。
タイプや個性にいいも悪いもない。
「個性が世界を豊かにする」という考えのもと、「自分はこうしたい」が人と合わないときに「自分と真反対の考えを持った人がいる」を想像するようになった。自分のやり方も認めて人のやり方も受け入れる。そして自分と違うタイプの人がいるおかげで世界はお互いが支え合って成長しているんだと思える。
だからわたしらしく生きることは大事。みんなにもみんならしく生きてもらうことが大事。個性を称賛する。(自分さえ良ければではなく、人に迷惑をかけないなどの思いやりや気遣いを踏まえてのこと。)
社会の決められたルールから外れることがいけないような風潮が続いてきたし、私も私をいろんな場面で否定し続けてきたけど、ここ数年で「私は私として生きたい」とか「私は私のままでいて良い」などの声が世の中にも多く聞こえるようになってきて、個性の時代とまで言われるようになった。
私は人の個性が大好きだ。個性的な人に会うとワクワクする。自分らしさを貫いてる人を尊敬する。明るくても静かでもいい。痩せてても大きくてもいい。外に出るのが好きでも家の中に篭るのが好きでもいい。怒りっぽい人も怒るのが苦手な人も。
生きてて努力してない人なんていない。動いてないように見えたとしても、なかなか変わることができなかったとしても、生きてるだけで努力の連続だ。人の努力に優劣をつけるのはやめよう。あらゆる人に感謝をしよう。自分のことのように人を大事にしよう。良い考えを教わりました。ありがとう。
おわり