どうもこんにちは、予言者です。
どうやら私は予言者らしい。
今まで未来を読んで対策しながら生きてきた。
それこそ子供の頃から、未来や物事の流れや道理を読みながら人生において優先するべきものとそうでないものをトリアージして選択なりリスクヘッジなりをしてきた。
実際には一つの未来を読むのでなく、いくつかのコースを想定して対策してきたわけだが、それにしても重要な局面における私の予言(推察や先見)は確度が高い。
想定外だったことは「弟が発達障害だった」だけである。その影響で事業がうまくいかなくなった経緯もある。今では非常に有益な失敗だったと思っている。
とはいえ、確かに私は発達障害に無知だったので「発達障害」という要素は想定外だったものの、「何かしらの形で事業がうまくいかなくなるケース」に備えてはいたので、想定外に直面しても前後不覚には陥らなかった。
今もそうだ。人生に「想定外」がほとんどない。
想像力の賜物だと思う。
ところで、長男にはADHDの気があると私は思っている。
私は彼が1歳か2歳の頃に、彼の不注意性に気がついた。療育が必要になるかもしれないと妻に提言もした。当時は不注意特性がそこまで顕著ではなかったが、私の直感(観察眼?)はその傾向を見逃さなかった。
しかし妻は「子供なら注意力が散漫で忘れっぽくて当然」と取り合わなかった。
私は当時から息子の特性の可能性やその先にあるリスクなどを見据えていたが、妻には見えていなかったようだ。あるいは妻は無意識のうちに目を背けたかったのかもしれない。真実はわからんが。
そういえば私はだいぶ早めに日本の未来を悲観しており、我々世代は何とか逃げ切れるかもしれないが、子供たちにとっては今後いっそう生きにくい世の中になっていくと妻に予言した。ずいぶん昔の話である。
具体的に日本経済や政治がどうなるかまで読んでいた。なので妻に海外移住を提案したことがある。実際に最初に妻にその話をしたのは長男が生まれるか生まれないかの頃だったと思うが、日本の今後の動向についてはもっとずっと前から危惧していたのだった。
しかし妻は私の海外移住の提案を拒絶した。理由は「(自分自身が)外国で生きていく自信がないから」だった。
これには失望した。
先行きが見えている私からすれば「我々よりも子供達の人生の方が心配だし、俺達より子の方が負担のでかい人生を歩むことになるよ?親としては避けたくない?」という話である。
ところが未来が見えない妻からすれば、それこそ「〇月〇日に災害が訪れるよ、今すぐ引っ越しな!」と予言する占い師や予言者の妄言(のようなもの)と同質だったのかもしれない。
私としてはさすがにパートナーの意思を無視してまで海外移住を強行する気にはなれなかった。なので「日本経済は今後こういう形で悪化し、子供達世代はこういうふうに生きにくい世の中になるはずで、子供達が人生に苦しむ未来を避けるには親である俺達が今決断をしなければならないし、そのチャンスは今しかない。10~20年後に「やっぱ移住しとけばよかった」と後悔しても、その時に今の手札は失われているけどマジでそれでもいいの?」と、何度も説得したのだった。
妻の回答は変わらなかった。
それから数年後、日本の現状は私の予言通りに衰退の一途を辿り、やがてようやく妻は「ちこちゃんの言っていたことは正しかったのかもしれない」と言うようになった。
チキンレースで崖っぷちに立ってから「やっぱこのコースで進行したくない」と言われたような気分である。「いや最初から崖に向かってるコースだったじゃん何を今さら」だ。
さらに10年後には「あの時、ちこちゃんが言う通りにしておけば良かった」と妻は言うのだろう。
だからといって妻を責める気はない。
日本に留まるのであれば、私はBプランを発動するだけである。どういうプランかというと、息子達が食うに困らないよう"金銭的な資産"を遺すのではなく"金を生むシステムを資産として遺す"──である。
つまり相続する価値のある会社をつくり、やがて子に託すのだ。
創業者はどうやら普遍的に優秀あるいは有能でなければならんようだが、後継ぎは我欲に溺れて浪費さえしなければ、あるいは取り巻きさえ優秀であれば何とかやっていけるというセオリーというか様式美のようなものが世の中にはある。大企業であれば事業の資本力だけで生き残ることもできる。あいにく私には事業を大きくしたいという野心がない(むしろそれは悪手と思っている)ので、この選択は除外されるが。
創業者としてのセンスも危ういところだけども、そこは何とかクリアできそうな所感ではある。
とにもかくにも「安定的な収益を得るシステム」を作るのが、子供達の将来のために今の私にできる最善手だと思っている。
こんな感じで私はライフプランを、基本的に妻の意向に則り最適化してきた。夫婦だしパートナーだから。
不満がないといえば嘘になる。
しかし妻には私のように「未来を読む能力」があまりない。
これはもう仕方ない現実なので受け入れるしかない。実際、私には物事の行方を読む力があるが、それと「夫婦円満」「家庭円満」を実現したり維持したりする能力はまったく別物なのだ。
夫婦円満、家庭円満には予知能力以外のスキルが必要で、当然妻固有の能力も必要で、だからこそ私は妻の意思をむげにせずB案やC案に舵取りするのである。
ただやはり虚しさは残る。
「(私には)わかっているのにできない状況」はなかなかしんどい。このしんどさを克服するには多様なビジョンでさまざまなコースに舵取りする力が必要だ。そこは私が請け負うつもりである。というか私しか請け負えんし。
でも本来ならもっといいコース取りができたはずなのに──という未練はどうしてもある。
長男の不注意性についても同様である。
先述したように、仮に長男がADHDだとしても、環境さえ整備すれば彼の人生は何とかなるとは思う。その環境を私が創業者として事業者として親として整えておけばいいだけの話で。結局「収益性の高い事業においてそれなりのポストにあれば食いっぱぐれない」を実現するのが最適解だと思っているし、これは息子に限らず、程度はともかくこれから生きにくさに直面するかもしれない世の潜在的な発達児の救いにもなるのではないかと個人的に思っている。
直情的には息子のため。でも、その先にはより多くの子供達の未来のため。
我が子の人生を案じる親心が第一にあるのは確かだが、「我が子さえ安泰だったらそれでいい」とは思わん。それだけじゃ弱いんだよ。
社会はなんだかんだ人間関係で成り立っているし、利益を交換するシステムであることが前提だ。その前提を踏まえた上で、我が子だけでなく私や彼らに関わる人達の人権や尊厳や暮らしの安定性や安心や幸福に貢献してこそ土壌が強化されるってもんで。
もっといえば、もしかすると顕著な発達特性がない私より、不注意性の高い長男の方が私が構想している事業や現場への適性が高い──まであると思っている。
とにもかくにも私の予言は当たる。
私は予言者なのかもしれない。
ただしそれはスピリチュアルでなく、物事を合理的に考えたら(私的には「普通に考えたら」)そうなるじゃん──でしかないのだけど、妻をはじめ先読みが苦手な人からすればそれこそ超能力的な特殊能力に見えるのかもしれない。
予言者は無力である。予言できたからといって他人の意思や行動は変えられないのだから。
とはいえ「他人は変えられない」を前提とし、「他人が変わらなかった(たとえば他人が無自覚のままリスキーな選択をした)」場合に、そのリスクやデメリットを補うB案を早めに用意できるのは私の役得ではある。
予言と比喩される私の先見性や洞察力を、自分の予言の正しさを証明するために使おうと思ったことはない(ほら俺の言った通りじゃんと言いたくなることは往々にある)。
私の役割はおそらく、未来や物事の道理を読むのが苦手なせいでリスキーな選択をしがちな人らをリスクから遠ざけるために調整することなのだと思う。
その相手が愛する家族であればなおさら、「俺が正しいはずなんだから俺の言うことを聞け」でなく、相互の意思を尊重しながらうまく最適化するのが最適解であり、私が選択するべき道筋なのだろうなと思う今日この頃。
この予知能力のお陰で、私は人生をだいぶ得している。
だから結果的に私の予言が"今は"誰にも受け入れられなく認めてもらえなくとも大した不満はない。
私には見えているのだから、自分のことは自分で調整できる。
このスキルを自分のためだけでなく大切な人のために使いたいと思うし、大切な人の輪をできるだけ広げたいとも思う。
たぶんそれが私の使命というか、私自身がそれを「使命」として自覚したい部分なのだと思う。
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