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幸福な人生に必要なもの

我々クリエイターやビジネスマンが今の新時代をどのようにして生き残っていくべきか、現状のビジネスマーケットをどのように解釈し、どこまで適応し、先手を打つために何をすべきか──みたいな考察やビジョンやロードマップを詰め込んだ有料記事を、近々この場(note)でリリースしようと思っている。

主にはクリエイティブ界隈のフリーランスや個人事業主とシェアしたい内容だが、もっと言えば「ベンチャーや中小の事業者にとりわけ訴求したい内容」でもある。

飼い殺しの社畜エリートはいいや。

別にマネタイズしたいわけでなく、正直「あまり多くの人に読んでもらいたくない(なぜなら競合を増やしたくないから)」という個人的動機で有料設定するのだけど、「だけど書きたい」という直情的な欲求に従い、ひまわりの種をほおばるハムスターみてぇな目つきで筆を進めている。

別にその記事を読んだからといっていきなり誰かが覚醒して脅威的な存在感を発揮する孫悟飯やカカロットなんていないだろうけど(いたらそれはもはや私の力でなくあなた自身の才能である)。

とはいえね、書きたいから書くが「多くの人に読んで欲しいか?」と問われれば「No」だ。

そんな感じで「生成AIに依存するクリエイターはやがて駆逐されます~じゃあどうすればいい?~」という記事を近々リリースする予定である。

AIというグローバルなメガトレンドとクリエイティブの相関性や、クリエイティブ界隈の未来を予測するのに一役買う内容だと思う。

クリエイティブといっても幅は広いが。まぁほぼ全域に通用する内容だと思う。

クリエイティブ&ビジネス界隈で生きている人間にはそれなりに有益だと思うので、気になる方はどうぞお待ちください。

さて、そんな経緯で、最近私は当該原稿と毎日のように向き合っている。公益性がそれなりに高そうだから、読者とはちゃんと情報共有してちゃんと(少なくとも私が知る範囲での)現状を理解してもらいたい。もしご意見や知見があれば、私もそれをシェアさせていただければ嬉しいかもしれないし。いややっぱ別にコミュニケーションはいいや。勝手に咀嚼してもろて。

で、最近は当該原稿と真剣に向き合っているもんで、「原稿と真剣に向き合わない余暇が欲しい」と思い、本日は「直近で感じる日本のビジネスマーケットや、それ以前に日本人のビジネスリテラシーに基づく倫理観やモラルの残念さ」に思うところを雑記として書き殴りたくなった。

ストレス発散である。

あまり考えず、今の思いを率直に書きたい。

日本人のビジネスリテラシーは既に虫の息

最近やばいんよ、日本。
最近というか今に始まったことではなく、もう数年前から存分に兆候はあったのだけど、とにかく「自分(自社)の目先の利益さえ確保できればいい」みたいな精神性でプロジェクトやコンテンツを展開する事業者がここ4~5年ほどで加速度的にめちゃくちゃ増えた。

つまり、合法的な労働搾取をフラットな前提条件として設定する性悪グレーゾーン事業者が増えた。

直近の原因はコロナ禍。

コロナ禍の影響はでかかったな。これは日本に限らず皆様ご存知の通り世界的にそうで、どうやっても縮小せざるを得なかった企業が事業規模を問わず多かった。最短で煽りを食らったのが飲食業界。次点でカスタマーセンター。

さまざまな業界が即効性&遅効性のコロナ不景気の煽りを受け、既存のワークフォースを刷新せざるを得ない局面に差し掛かった。経済の骨子を支える不動産業界や保険業界も例外ではなかった。

コロナ禍のリスクを逆手にとって形勢逆転した企業もある(海外の先進企業には)。この辺については、先ほどリリースを宣言した有料記事で具体的に言及している。

この現状な。やばいんだよ。あまり可視化されない領域だけど、なかなか深刻だと思う。特に日本は予後が悪い。

一昔前の「ブラック企業的な労働搾取モデルが蔓延った日本社会」とは少し様相が違う。

しかし、暴対法の施行でヤクザや暴力団など反社界隈が鳴りを潜めて地下に潜った90年代から現在までの社会情勢の変遷と構図が似ていて。脱法ドラッグと法令のいたちごっこと構図が同じで。つまり不況の加速により民間の倫理が死んだ。

職務上の倫理が死んでいたのは、目に見えてわかりやすかったのが昔はヤクザのフロント企業とかブラック企業くらいのものだったんだけど、今は「法の抜け穴を通ればいいでしょ」「最終的に裁判で負けなければ回収できるでしょ」みたいな反社会的な倫理観やセオリーが、民間企業で当たり前のように運用されるようになってしまった。なんなら大手や官民連携事業においても例外ではない。

日本はそんなビジネス的倫理観が低い下品な体質にとっくになってしまっていた。各々の企業体質というより主には経済的な事情である。

一昔前のブラック企業の悪質な労働搾取モデルが、今は法令の更新により厳しく規制されるようになった。労働時間や勤怠管理もそうだし、事業者(雇用者)側からすれば責任限定契約などの課題もそう。30年前はこんなめんどくせぇことに知見を深めたがる社長連中など皆無だったはずである。これも時流だ。

結果、法令の穴を抜けてグレーゾーンで軽く甘い蜜を吸いたがる事業者なり企業などがめちゃくちゃ増えた。

「昔みたいに大きな蜜は吸えないけど、だったら今後は小さく吸ってこう」みたいな姑息さがある。

こんな精神性で生きる法人なり個人なりに、人生や倫理の矜持などねぇだろ。社員どこかてめぇの家族すら幸せにできないと思うよ個人的には。人生方針が下劣なんだから。

目を覚ませバカと思うけど、別に期待してはいない。

で、これって法令と脱法ドラックの関係性と似た「いたちごっこ」なんだよな。実にくだらんし低俗で品性に欠ける。

昨今話題の日本格闘技界のドーピング問題にも通じる。

「規約上の違反項目に抵触しなかったらドーピングしてもええんかい」、と。

そもそもドーピングがいけないのは、対戦する相手の生命に直接的に関わるからである。競技としての倫理に反するから規制するわけだ。

もともとはルールより先に「倫理」として運用されるべき領域である。

倫理を維持するためにルールを敷くわけだけど、順序として本来は「ルール<倫理」である。でも現状の日本社会は「倫理<ルール」だな。

そうなるともはや人間としての美しさがないシステマチックな世界である。

「検査に引っかからなければOK」「相手選手のリスクなど知らん」「ルール内で勝てば官軍」ってさ、そこに人間としてスポーツマンとしての倫理観なんて存在してないんだよ。スポーツマンシップ(対峙する相手への敬意や、相手の尊厳への尊重意識や、調和、フェアネス、そのために必要な謙虚さなど)がない競技なんて、そもそも「スポーツ」じゃねぇだろ。

でも、直近のオリンピックでもそうだったけど、現代はスポーツ業界にすらスポーツマンシップがないのは明らかである。

今に始まったことじゃない。

「法律に抵触しなかったら倫理的に難のあるビジネスモデルを運用してもええんかい」と問うと、「法に抵触しなければOKです」の世界線に今はある。

障害者雇用とか就労継続事業所なんかが典型的だ。

障害持ちとか就労が困難な個々の事情とか云々以前にな、そもそも「能力を問わず大の大人を拘束し労働させて最低賃金をぶっち切る雇用形態が法的に許容されている状況が既に人権侵害だろ」って話なんだ。

ガキのお使いじゃねぇんだから。

生産性など経営フローの課題ももちろんあるが、そもそもこの辺の「人権」や「尊厳」を蔑ろにし「法令に則り違反なく労働搾取させていただきまーす」みたいな腐れ法人がぬくぬくと経営を語れる現状はどうなん?倫理が死んどる。今回はそういう私の感情的な話。

「法的に「いじめ」と認定さえされなければ「いじめ」をしても許される社会、好きですか?」みたいな。

どこにもスポーツマンシップがないし、どこにもフェアネスがないし、どこにも尊厳や敬意や誠意や愛がない。

私が嫌いな方向に、日本社会が(昔から)どんどん加速している。

この辺についてはもっと具体的な論拠を提示して語りたいところだけども、とりま今日はいいや。

いずれにしても私は、昔からそうだったように、これからも視野狭窄的で情けない日本社会に喧嘩を売り続けるだろう。

逆にいうと、この精神性があるから幸せな人間関係を築けているのだと思う。

人間のQOLに直接的にコミットするのは、最終的には収益性や生産性やテクノロジーなどでなく、シンプルに「人の情」なんだ。

エクスペリエンスなんだよ。

エイゲージメントやQOLの話である。

時代がどう移ろおうともここは揺るがん。

だって俺達所詮は人間なんだもの。

時代の先を読む必要すらない。

我々が求めるもの、我々が必要とするものは、我々自身が既に持っているのだ。

それ(人間の真理や根源やセオリーのようなもの)を自覚できるか否か、気付けるか否かだけの話である。

こんな時代だからこそ愛と誠意で生きよう。

貫けたらかなり強い。

おやすみ。

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