特集1:遠い世界へ【Good Vibration Magazine 】
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今あるもので十分なのに、新しい何かに触れたいと思うのは仕方がない。太古に人類がアフリカから世界中へ散って行ったように、そもそも人間にはこの場所から離れたい、どこか遠くへ行きたいという本能があるようだ。
その本能は時として、自らの身を削るほどに人を駆り立てることがある。英国の作家、ブルース・チャトウィンは強風と砂ばかりの不毛の大陸を歩き、紀行文学の名作『パタゴニア』を残した。その旅の中で、チャトウィンは馬から落ち骨に達するほどの怪我を負うが、それでも旅を続けた。彼は生涯のテーマとして「人はなぜ旅をするのか」を探求していたが、自身でその謎を体現する様にあらゆる場所へ旅を続け、その果てに、やがて自分の命もすり減らし、48歳の若さで夭折している。
また、自らの身を顧みず危険な旅程に挑み続けたのが、『星の王子様』の作者として知られるサン=テグジュペリだ。サン=テグジュペリは、当時まだ未発達だった航空機のパイロットでもあり、郵便配達便のパイロットを務めていた時の経験や僚友たちのエピソードを『人間の土地』にエッセイとしてまとめている。郵便配達とはいえフライトは常に墜落の危険と隣り合わせで、だからこそ危険を恐れず飛び立つパイロットたちの姿は、安寧に留まることのできない人の性を感じさせる。
どこか遠くとは、決して物理的な距離だけではない。既存の世界を脱して、発想や技術で新しい何かを生み出していくのも、遠くに行きたいという人の心の現れだろう。その点で、音楽では今、ロックやジャズ、クラシックなど既存のジャンルに収まらない音楽が、世界中で生み出されている。その傑作の一つが『マカシェイラ・フィールズ』である。ジャズともクラシックともポップスとも分類できない、現在進行形の新しい音楽であり、同時にブラジルという日本から最も遠い国の音楽の伝統も感じることができる。また同様に現在進行形の音楽を奏で、我々に見たことがない世界を見せてくれるのが、アルゼンチンの「アカ・セカ・トリオ」だ。高い演奏技術とコーラスワークを組み合わせた、常人には真似できない技術を積み重ねた演奏で、新たな音楽の形を見せてくれる。
発想を遠くに飛ばすことの面白さを感じられるのが、最近ブームの兆しも見える大喜利だろう。笑点でもおなじみの、お題に沿った回答の面白さを競う演芸の形式の一種だが、大喜利では、いかにお題を外さず意外性ある回答を出せるかという発想力が試される。この大喜利で抜群の面白さを発揮しているのが、若手芸人の『真空ジェシカ』である。普段は漫才師としてネタを披露することが多いが、漫才はもちろん普段の喋りまで、発想を飛躍させることの面白さを存分に味合わせてくれる。
世界にはまだまだ、遠くへ行きたいという気持ちを駆り立てるものがある。例えば、映画『シティ・オブ・ゴッド』はブラジルのファベーラと呼ばれるスラムの生活を描くが、そこにあるのは日本に住んでいる我々からは想像もできない世界だ。また、知ったつもりでいたものの実際の姿が、想像と異なることもある。香港の九龍城はアジアの魔窟と呼ばれ、今もフィクション作品の中で過激なイメージだけが残り続けている。この九龍城が取り壊される前に、内部や住人の取材を行い記録に残したのが『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness』である。今はもう存在しない九龍城が、どんな場所だったのか、イメージと実際の世界とのギャップを感じることができる。
遠い土地に行きたいなら、旅に出てもいいだろう。だが、遥かな場所を夢見ても、今すぐにというのは難しい。そんな時は、イサク・ディーネセンの『アフリカの日々』を読んで欲しい。『アフリカの日々』はデンマークの上流階級出身であったイサク・ディーネセンが、スウェーデン貴族の夫とともにケニアに渡り、コーヒー農園を経営した17年間の経験を記したエッセイだ。北欧を離れ、生活も自然環境も全く異なるアフリカの生活で体験したみずみずしい感動が文章から溢れ出ており、遠い世界への思いをかきたててくれる。
海外だけではなく、国内にも魅力的な旅行先はある。中でも、私は『別府』をお勧めする。別府といえば温泉地として有名だが、今は掘削技術の進歩で都心でも温泉が湧く時代である。しかし、ただ温泉が湧いていることと、別府のような温泉地には大きな違いがある。温泉地とは、地熱の力がむき出しになっている土地だ。ただ温泉が湧いているだけではなく、お湯や蒸気といった形で、エネルギーが地中から溢れ出している。しかもそれが絶え間なく続くため、温泉地では地熱を恒常的なエネルギー源として期待できる。実際、別府では、民家でも源泉から温泉を引いていることが珍しくなく、また古くから温泉を利用した染物や調理なども行われている。ある意味、生活の前提が異なるのだ。そんな場所に生まれていたら、あなたの人生や価値観もまた違うものになっていたかもしれない。