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九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness/書籍(解説付き写真集)/著者:グレッグ・ジラード、イアン・ランボット、訳:尾原美保、監修:吉田一郎

 九龍城という名前は聞いたことはあるだろう。香港にかつて存在したその土地は、漫画やアニメ、ゲームの中である種のアイコンとして扱われてきた。コンクリートのビルが一体化したように隙間なく建ち並び、その中は官憲の手も及ばない、犯罪者が跋扈する魔窟として。そのイメージは援用され続けているが、実際の九龍城は香港返還前の1993年に取り壊された。『九龍城探訪』は取り壊し前の九龍城の姿を写真に残すとともに、当時の住人たちに、九龍城内の生活についてインタビューを行った記録である。

 そもそも、九龍城は、英国が清朝から香港を租借する際に、飛び地として英国領内に残った清朝の要塞だった。しかし、清朝が滅亡し、その後の国共内戦を経て中華人民共和国が成立する中で、九龍城は英国側も中国側も手出しができない実質的な治外法権の地となってしまった。要塞自体は、第二次世界大戦中に、当地を占領した日本軍によって撤去されたが、戦後その跡地に難民たちが流入し、バラックが立ち並ぶスラム街と化す。

 九龍城の跡地は27,000平方メートル程度のわずかな土地だったが、流入が続いたことで人口密度が高まり、1970年代頃から無数のビルが建設されるようになる。建築法規などは完全に無視され、工法も未熟だったことから、ビルは互いにもたれかかるように建設されていった。結果として、無数のビルがまるで一つの巨大な建物であるかのように密集密接し、中の構造や街路は迷路のようになっていった。また、内部に官憲の手が及ばなかったことから、売春や薬物の温床となるだけではなく、中国マフィアのアジトともなった。

 ここまで聞くと、まさにイメージ通りの場所だと思われるだろう。実際、これも九龍城の一つの側面である。しかし、『九龍城探訪』の中で語られる九龍城の姿は、また違った面を見せる。『九龍城探訪』でインタビューを受ける九龍城の住民たちは、多くが普通の人々だ。その生活環境は決して良いとは言えないが、ほとんどが普通の職業を持って生活し、城内の住み家も不当に占拠したものではなく、真っ当な取引で購入したか、家賃を払って借りるかしている。城内では住民による自治も行われており、外よりも九龍城の中の方が安全だと語る住民もいる。少なくとも、フィクションの中でイメージされるようなカオスな世界とは、かなり違う状況であったことがわかる。

 また、九龍城中には工場も存在した。ゴムや定規、ゴルフボールなどの製造から、食肉、飴など食品の工場や製麺所も存在し、ここで製造されたものは香港の市場に出回っていた。例えば、香港の食生活に欠かせない魚肉団子は、一時その大部分が九龍城内で製造されていたと言われている。少なくとも『九龍城探訪』の中に現れる九龍城の姿は魔窟などではなく、人々が普通に生活する場所で、その特異な地位を生かして香港経済の一部を構成していた。

 ただ、これも九龍城の一部の側面に過ぎないのかもしれない。そもそも、『九龍城探訪』に収録された写真とインタビューは取り壊しが行われる前の数年間を映したものに過ぎないし、九龍城の中でも場所によって状況は異なっていた、と住民も語っている。また、インタビューを受けた住民の中には、ヘロイン中毒でかつて秘密結社の一員だった男もいるが、彼に割かれたページは多くはない。

 かつて存在した九龍城、その実際がどうであったかは、もう永遠にわからないが、この本は我々の幻想を打ち砕き、一方で新たな幻想を生み出してくれる。

九龍城探訪(amazon)(honto

この記事は以下の特集の一部です。
【Good Vibration Magazine 】⇒   特集:遠い世界へ

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