きみもと きょうや

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最近の記事

やっぱり!不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!

初めに今回のnoteでは、「自由意志は不自由である」という命題を、関係する言葉の定義なども含めて一から証明する。証明のイメージとしては、現実に即した自由意志のモデルを考えて、そのモデルについて自由意志が変化していく過程をいくつかのパターンに分類して、それら全てで自由意志が不自由に変化していくことを示す。 また、証明に用いられる数学は大学一年生レベルのものなのだけど(具体的には数学的帰納法とε-δ論法)、正しい議論ができているか不安なので指摘などがあったらお願いします。

    • Wordleの初手考察

      はじめに 今回の記事はタイトルにもあるようにWordleの初手について考察を行っていく。Wordleは非常に有名なゲームなのでそのルールの説明はここでは省略するが、Wordleをやったことがある人なら誰しも一度は「これ初手は何にするのが最適なんだ?」と疑問を覚えたことがあると思う。今回の記事ではそんなお悩みを解決するべくあやふやな議論でWordleの初手としてふさわしい単語とは何か、について考えていこうと思う。 Wordleというゲームの性質 まず、Wordleの著しい

      • 不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!改訂第3版

        はじめに 今回は自由意志の不自由さを、数学的帰納法を用いて証明していこうと思う。具体的には自由意志をA_n、自身を取り巻く環境をB_mという数列として見て、それらに数学的帰納法を用いることによって各項A_i,B_jが不自由であることを示す。  まず、ここでいう自由意志とは、人間が何かについて意思決定をする際に(意識的であろうと無意識的であろうと)最終的な判断を下しているものであり、何かについての判断をしているかぎり全ての人が持っているものだ。そして自由意志が不自由という

        • 不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!改訂第2版

          はじめに 今回は自由意志の不自由さを、数学的帰納法を用いて証明していこうと思う。具体的には自由意志をA_n、自身を取り巻く環境をB_mという数列として見て、それらに数学的帰納法を用いることによって各項A_i,B_jが不自由であることを示す。  まず、ここでいう自由意志とは、人間が何かについて意思決定をする際に(意識的であろうと無意識的であろうと)最終的な判断を下しているものであり、何かについての判断をしているかぎり全ての人が持っているものだ。そして自由意志が不自由という

          不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!改訂版

          はじめに 今回は自由意志の不自由さを、数学的帰納法を用いて証明していこうと思う。具体的には自由意志をA_n、自身を取り巻く環境をB_mという数列として見て、それらに数学的帰納法を用いることによって各項A_i,B_jが不自由であることを示す。  まず、ここでいう自由意志とは、人間が何かについて意思決定をする際に(意識的であろうと無意識的であろうと)最終的な判断を下しているものであり、何かについての判断をしているかぎり全ての人が持っているものだ。そして自由意志が不自由という

          不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!改訂版

          パンチラの双方向性

          初めに  人は社会的動物だ。多くの人は、他者とのコミュニケーションを通してより良い関係を気づいたり、相手と情報交換をして生存競争を有利に進めたりする。人間として生きる上で他者という存在を無視するわけにはいかないし、他者と何らかの形で繋がることは僕達にとっては本能に近く、その方法を充実させ、より良いものにしていく事は主観的幸福にとっても重要な課題になると思う。また、どれだけ気取っても動物の一種には違いない人間にとっては、性的行動もやはり同じくらい大切であると思う。もしコミュニ

          パンチラの双方向性

          NTRは悪か?

          まず初めに、僕はNTRが嫌いだ。ヒロインが他の男に抱かれていると心臓の位置が下がるような心地がするし、寝取らせなんてもってのほかだ。NTRとは少し違うのかもしれないが、人生で初めてカラミザカリの広告を見た時は本当にムカついたし、今でも「あー、入った♡」というセリフは脳裏に焼き付いている。見る側の感情やキャラクターの行動の整合性を考えても、やっぱり純愛が一番だと思う。しかし、そんな僕の好き嫌いを抜きにして、NTRという行為についてよく考えると、善い行いだとまでは言えなくても、道

          不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!

          この記事ではタイトルにもあるように、自由意志の不自由さについて考えていく。ここでの自由意志とは、僕たちが何らかの行動をする際にこれをしたいというアイデアを出したり、最終的な意思決定をしたりするもので、僕たちは普段これに従って生活をしている。この文章を書こうと思ったり、この文章を読もうと思ったりするのも、全て意識的かどうかには関わらず、自由意志の判断で決められている。逆に考えた方がわかりやすいかもしれない。僕たちは生活をする上で何らかの判断をし続けているので、その大元となるもの

          不自由すぎるよ自由意志(じゅいし)ちゃん!

          本当に自分の事が嫌いな人がすべき行動

          まず、この記事で扱う「自分の事が嫌いな人」というのは哲学的ゾンビなどと一緒で実際には存在しないものだと思っている。その理由をまず書いてみる。 確かに、自己肯定感の低い人が「自分の事嫌いなんだよね」といったセリフをよく口にしているけれど、ほとんどの場合、これで言及されているのは「現在の自分」だと思う。「人とうまく接することができない自分」とか、「勉強やスポーツなどがうまくできない自分」であって、「自分という存在そのもの」に対して嫌いという感情が向いているわけではないんじゃないか

          本当に自分の事が嫌いな人がすべき行動

          社会的動物にとっての逆張り

            古来より、生物は進化をすることで環境に適応していった。進化とは、遺伝子の(おそらく)偶然の変化による、ある個体に起こった身体的あるいは生態的な変化のうち、上手くその時の環境に適応することによってその個体が生き残り、後の世代へとその変化が受け継がれていったものだと考えると、進化の裏には膨大な数の失敗例が存在していたと考えられる。サイズを大きくしすぎてエネルギーが足りなくなったり、毛が生えなくなって寒さに耐えられなくなったりした動物がいたかもしれない。種の保存という観点からみ

          社会的動物にとっての逆張り

          自分の行動基準の操作について

          やりたいことが全く見つからない、大学生くらいの人たちに向けて、少しでも行動的になれるように書いてみた。 やりたい事を見つけるという目標を立ててから一年半ほど経過したけれど、いまだに何も見つからないので、せめてこの期間中に自分が考えったことだけでも残しておこうと思ってこの記事を書くことにした。とはいっても書こうと思ってからすっでに一ヶ月ほどが経過していて、ようやく重い腰が上がったところだ。それはともかく、この記事で考える「やりたいこと」とは、自分がお金や時間を費やしてでもそれ

          自分の行動基準の操作について