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円空、蝦夷を北上。


円空が蝦夷に来た頃の、松前の宗教観を「福山町史」で見てみます。

中世の時代、修験者や遊行僧によって創建された社寺は、住民の屋敷神も、村中の中心となった氏神に併殿もしくは摂社となって祀られるようになり、各村の氏神社としての威厳を持つようになった。
道南地方の口碑のなかでは、松前藩の政策として、武の神様としての八幡信仰の八幡神社(社)は庶民には関係ないとして、伊勢皇大神宮の分霊を祀る神明社(のちの大神宮)の創建を奨励したといわれている。
これは庶民の本当の意味での生活を守ってくれる神様だという、認識のもとに進められた藩の政策である。

蝦夷での宗教は、修験者達が社寺を創り、展開していった事が分かります。
前回記した松前城(福山館)下の寺町では、山岳信仰における神仏習合の名残が今も感じられました。

龍雲院は箱館戦争で焼失を免れた寺町
唯一のお寺で、本殿に神社が併設!
どうぞYouTubeで🙇


また、松前藩主は確かに、当時居城としていた徳山館に神明社(後の徳大大神宮)を、唐津内浜より遷宮しています。

※唐津内浜=松前道の駅を含む現在の松前町唐津。
ここで秋田や津軽から出稼ぎで来る漁民達により祀られていた伊勢堂を、徳山館に遷座したと「北海道神社庁」HPに書かれています。

神明社(現在の徳山大神宮)
裏山は大館、後の徳山館
福山館(現在の松前城)の
鬼門を守っていました
境内社の羽黒社
その他、たくさんの御祭神と
合祀神社は以下参照

徳山大神宮
【御祭神】
天照大御神・豊受大神・譽田別命・天児屋根命・宇賀之賣命・武御名方神・大國魂命・大名持神・少彦名神・倉稲魂神・猿田彦神・大宮女神・菅原道真・柿本人麿・市杵島姫命・菅原道眞・菅原道眞・武彦命・醫彦命・興彦命・水波廼女神・彦大々出見命・手置帆負命・彦狭知命・倉稲魂命・上筒男命・中筒男命・底筒男命・菅原道真・源為朝・級長津彦神・級長津姫神・大物主神・崇徳天皇・倉稲魂神・宇迦之御魂命・大山咋神・天之御柱神・國之御柱神・天御中主神・髙皇産霊神・神皇彦霊神・伊弉諾神・伊弉冊神・松前平治衛門廣峯ノ霊・火産霊神・経津主命・武甕槌命

【合祀神社一覧】
古館稲荷神社・天満神社・人麿神社・奇音神社・北ノ丸稲荷神社・小松前稲荷神社・豊照神社・久須野神社・諏訪神社・北ノ丸天満宮・八幡宮・金刀比羅神社・全生室神社・磐舩神社・匠工祖神社・水神神社・三彦神社・天満神社・祓岩稲荷神社・住吉神社・天満神社・八郎神社・風神神社・琴比羅神社・天星宮稲荷神社・稲荷神社・千軒神社・狩場神社・利尻山神社・厳島神社・風神神社・日枝神社・廣峯神社・北野神社・船玉神社・稲荷神社・天満神社・稲荷神社・稲荷神社・二柱神社・妙見神社・馬形神社・徳山稲荷神社・天満神社・榊神社・琴比羅神社・春日神社

「北海道神社庁」HPより


松前には、修験者や漁民達が建てた神社がこんなにも祀られていた事が分かり、同時に藩が神社を建立していなかった事も分かります。

蝦夷地(アイヌの地)に占める
和人地
「八雲町史」より

1669年のアイヌの蜂起(シャクシャインの戦い)の際、密偵として松前領内に潜入した津軽藩士の報告書『津軽一統志巻第十』があります。
そこには、熊石と亀田(斜線部分)では現地のアイヌ人と和人が混住していたことが記されています。

※円空の来た3年後の記録です。
円空は、この様な状況下で松前からスタートして熊石へ向かい歩きます。

Wikipediaより

こちらは、松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に残る1400年代に築城された12の館跡です。上記の徳大神宮の裏山に残る大館も含まれいます。

大館は、1457年アイヌの蜂起(コシャマインの戦い)により陥ちます。
そこに松前藩主の先祖が1514年、上ノ国から移り、徳山館を築き拠点としていました。
※円空が来た1666年には、松前藩は幕府として認められ現在の松前城(福山館)の地に移り、60年が過ぎた頃です。

そこから円空は、北上します。
今回のYouTubeには、12館の他の2つの館跡も出てきますので、上図で円空の足取りを辿っていきたいと思いますが、続きは次回。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。🙇



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