大人のこころに 専門家/識者:小島よしお先生
年末からメンタルのお薬を増やされてついに
おかしくなったか〜、
え?誰それ?
と思われそうなタイトルですが
違いますね。
(私のメンタルのお薬は今もそのまま。今回はお笑い芸人 小島よしおさんです!)
先生を心に効く記事を書く天才だと私は思っています
先生の記事は分かりやすい、だからこそ
子どもだけに留めるのは勿体なすぎる
一つの記事に対して勝手に書評
「心の握手」
小学校という社会の中で担任の監視とクラスメイトの視線に晒されながら関係を築いていく、まだ、幼く、経験が浅く、大人に嗜められながら。
そんな環境の中、仲違いをしてしまったとしたら。
執着せずにいられるだろうか????
執着とはある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。
愛する人間との密接した関係による身体的・心理的な距離感の近さの中で尊い相手を私たちは簡単に忘れられるのか、
はたまた、距離を取ることはできるのか。
距離を取ることが愛なのか
関係の再構築が愛なのか
忘れ去ることが愛なのか、
けれど、、、
「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで…」(千と千尋の神隠し より)
簡単には忘れられない、
だから深く傷つく。
子どもだろうと大人だろうと
執着することへの度合いは生育歴や遺伝や環境の影響に左右され、その影響をモロに受けながらどうする、か?
その仲違いにどう行動するか
一石を投じたのがこの記事である
質問者の気持ちに同調しつつ、自身にも似たような経験が小学生の時、大人になってからも同様のことがあったことを伝え、優しく寄り添う。
質問者に対して、仲違いの"その後"を語る、『仲良しだった人と一度関係が遠くなったとしても、何年もたってからまた仲良くなることもあるんだ。』と。
執着を心の握手が強すぎる、と表現し、さらに執着した握手は相手の手を痛めてしまうだけでなく、振り払われたたときに自分の手も痛めてしまうという。
手を痛めず、緩めた状態で手を握れていたなら、また、握れる可能性があることを諭す
また、親友というベストという状態は苦しくないか、と疑問を呈する。数が限られること、ふるいにかけられたか、まだふるいの中か確認しなければならない、
苦しくないか?と。
友達関係をそれぞれがタライに乗って海に漂う状況、と表現し潮の流れによっては近づくことが互いを危険に晒すことになる、と。
グッドな友達、近くにいる人に目を向けて1人の人間だけど親密になりたいという欲求を分散させてはどうかと提案
1人の人間と親密になることを諦めたのではなく、人生に新しい発見をもたらし、
何年後かに1人の人間ともう一度、関係の構築できる可能性を示す。
随、随、随〜!!!と流れに身を任せて執着を解きほぐすおまじないを質問者へかけて、質問者へ君はどう思う、と結んで質問者とのやり取りは続く。