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自分でやってみる楽しみ

炊飯器を使わなくなって15年くらい経つ。
それ以前は米は炊飯器で炊くのが当たり前で、暮らしに必須な道具だと思っていた。
ある日、土鍋で炊き込みご飯を作ってみたところ、簡単に美味しく炊けたことで、何で今まで炊飯器で米を炊くのが普通だと思っていたんだろう?と思った。
米を洗ってから浸水。30分後に火を入れて、沸騰したらかき混ぜて弱火にして数分。米が煮えたら、火からおろして30分ほど蒸らす。
炊飯器なら米を洗い、スイッチを押せば米が炊けるので楽ではある。
でも、炊飯器は部品が色々あって案外洗うのは面倒(今は片付けも楽なのがあるのかもしれないけど)、炊き始めから炊き上がり後の保温までずっと電気を消費していること、高いお金を出して買っても炊き上がりがいまいちなんてことがあることを考えると、鍋炊きは世話は増えるけど経済的で片付けも楽だし、いつも美味しく米が炊ける。
そして何より、炊ける喜びがある。

鍋で米を炊くこと、お菓子を作ること、作ったことのない料理を作ってみることなどはもちろん、日々の食事に慣れた料理することだって創造的な行為だと思う。
肉体感覚、想像力を働かせないと達成できない。
料理も暮らしの中の創造的な行為。
人間には心身のバランスを取るために創造的な活動が必要だ。

料理を例にあげたけれども、他にも大変な準備も必要なく自分でできることなのに、買う事が当たり前になっていることはたくさんある。
何かが必要な時に、自分で作れるか?自分でできるか?となどと考える人はそんなにいないと思う。
先ず、どれを買おうか、どういう機器を買おうか、誰に頼もうか?から入る。
たくさん働いてお金を稼がないと生活できないし、いちいち自分でやってみる暇なんてない。
それもすごく分かる。
でも見方を変えると、自分でやることで創作意欲が刺激されて楽しさを得られたり、気分転換になることもある。
内心、余裕があればちょっとしたDIY的なことをしたいと思ってる人も少なくはないのでは。

何から何まで既製品やサービスに任せてしまうことで、自分の暮らしの美味しいところを手放してしまうなんてもったいない。
でもって、そこにかけるお金を稼ぐという一番退屈な部分を自分が請け負っているって考えたらすごく悔しい。
美味しいところを人に渡している上に、その対価を支払うために自分は労働時間増やしてるのってすんごくつまらないことじゃないことじゃないか?と。
もの作りに執着が強い私は、ついそんな風に考えてしまう。

お金でモノや時間、サービスを買うのは悪いことなんかじゃない。
ただ選択肢はそれしかないと思っているなら、他にも自分でやってみるという選択肢もあって、そこで得られるものはまた別物だと意識しておくだけでも豊かさは変わってくるような気がする。

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