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佐野乾山を真作と考える理由


佐野乾山 越名窯

これまで佐野乾山のついていろいろと書いてきましたので、すでにお分かりだと思いますが、私は「真作派」です。その理由を書いてみます。
真贋は多数決で決まるものではありません。「誰が」判断したかが一番重要です。要はその当時の「目利き」が、佐野乾山をどう判断したかのか?という事です。

真作派の主なメンバーは以下の通りです。
バーナードリーチ氏 (イギリスの陶芸家)
これは、素晴らしい!とても現代人にこれだけのものを作ることは出来ない。ニセモノ説があると聞いて驚いている。彼の初期の作品と同じようにのびのびしている。
森川勘一郎氏 (古陶磁鑑定ではわが国第一人者:森川勇氏の父)
こんな立派なものが、どうしていままで発見されなかったのか。
森川勇氏 (収集家)
見事な出来栄えにほれこみ、つぎからつぎへと買った。
藤岡了一氏 (京都国立博物館工芸室長)
乾山を見直した。いままでの乾山研究を再考する必要がある。乾山の代表作。(同室の技官全員が佐野乾山と断定)
林屋晴三氏 (東京国立博物館)
まちがいなくいいもの(ホンモノ)。
水尾比呂志 (武蔵野美術大助教授)
乾山もまた、佐野のウメの絵において、かれの芸術の極地に達したということができる。(世界美術全集・9に佐野乾山を収録)
青柳瑞穂氏 (乾山研究家、作家)
疑念はどうしてもわいて来なかった。
小林秀雄氏 (作家)
ギブツの臭いなんかしないじゃないの...。
岡本太郎氏 (芸術家)
色が鮮やかなハーモニイで浮かび上がっている。筆捌きも見事だ。
米沢嘉圃氏 (京大美術史)
吉竹栄二郎氏 (京都工芸指導所)

それに対して贋作派のメンバーは、日本陶磁協会の会員(古美術商、陶芸家、研究家など)です。それぞれの詳細は、以前書いた「佐野乾山真贋論争の経緯」をご覧下さい。

この中で、私は真作派のバーナード・リーチ氏、森川勘一郎氏、森川勇氏の三氏が一番の目利きだと考えました。

バーナード・リーチ
ご存じのようにリーチ氏は六代尾形乾山に陶芸を学び七代尾形乾山を許されています。(のちに返上したようですが…)その意味で「乾山」に関しては一番物を言える立場にあったと言えると思います。
そして画家でもあるので佐野乾山の陶器と絵付けの絵画性を正当に評価できた人物だと思います。

以下の記載は、名古屋市博物館開館30周年記念特別展「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」のHPと図録を参考にさせて頂きました。(リーチ氏の絵、光悦の茶碗の画像を含めて)

森川如春庵画像 バーナード・リーチ氏筆 名古屋市博物館蔵


森川勘一郎氏(茶人如春庵
尾張一の宮の大地主であり、生涯働くことなく数寄者として過ごしたと言われています。16歳の時に本阿弥光悦作の「時雨」を手に入れ、更に3年後の19歳の時に同じ光悦作の「乙御前」も手に入れ十代にして2つの光悦茶碗を手に入れたすごい人です。また、陶器に関しては「志野 黄瀬戸 織部」という大図録を出しており、その図録は真贋論争当時かなりの権威を有していたと言われています。

重要文化財 黒楽茶碗 銘「時雨」 本阿弥光悦作 江戸時代前期 名古屋市博物館蔵

氏は如春庵と称し、中京の大茶人としても有名であり生涯に二千回の茶会を催したそうです。茶人としては、三井の鈍翁(益田孝氏)との年齢を超えた交流が有名で「佐竹本三十六歌仙絵巻」の売却の会にもかかわっていました。
また、氏は古筆古画模写の神様と言われていた田中親美氏に師事して古筆を学んでおり、それまで幻と言われていた「紫式部日記絵詞」(重要文化財)の発見者としても有名です。
以上のように氏は、佐野乾山の陶器やそこに書かれている賛や銘を評価するにはうってつけの人物と考えられます。

赤楽茶碗 銘「乙御前」 本阿弥光悦作 江戸時代前期 個人蔵

森川勇
父親の勘一郎氏から美術的な知識、経験を集中的に伝えられたと言われています。真贋論争当時、光悦茶碗の「乙御前」は、勇氏の所有になっていたそうです。林屋晴三氏は氏に何度か乙御前でお茶をたててもらったと書いています。

息子の勇氏も早大卒業後は古美術研究に凝り、その才腕を買われて、27年末から30年まで約3ヵ年、文部省文化財委の事務局に嘱託として働いた。調査員または修理監督官といった肩書きで、もっぱら京都博物館にあった名品の修理補修を監督している。たとえば、国宝の「金棺出現図」の補修だとか、仁和寺の「孔雀明王」など名品ばかりを、森川家出入りの経師屋を動員してやっている。国家予算の修理費は雀の泪ほどであったから、その補修は森川氏の自費負担が相当なものであったといわれ、事情を知っている文化財委の技官たちは何となく森川氏に一目置くようになり、嘱託でありながら森川氏の発言力は相当なものであったといわれる。

松本清張氏「泥の中の「佐野乾山」」

森川父子というのは、なにしろ、当代第一流の目利きだからね。本当のところ、5人や10人の業者が一しよになって当たってもかなわないくらいの男だ。それに財力があるから、業者たちの森川に対する怨嗟は非常なものですよ。

秦秀雄氏「珍品堂主人」松本清張氏「泥の中の「佐野乾山」」

以上、長々と書いてしまいましたが、要は森川親子のように家の中に重要文化財レベルの美術品が沢山あり、光悦茶碗でお茶をたてているような人が、贋作派の言うような誰が見ても「明らかな贋作」に騙される事はないでしょう、というシンプルな考えです。(あくまでの私見です)



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