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【短編小説】~復讐~娘を返して

「手術は無事、成功しました」


「本当ですか?」


「本当です。成功です。本当に成功、ですぅ」


良かった。


「麻友子……」


私はベッドに寝ている麻友子に声をかける。


麻友子は安らかにまだ眠っている。


「まだ麻酔がきいてますからねぇ」


あ、そっか。


「先生、先生になんていったら。本当にありがとうございます」


私は先生に感謝の言葉をのべならが、涙ぐんでしまう。


本当に、良かった。
奇跡って本当に起こるんだという喜びと、今までの不安がきえて安堵にかわり、涙が止まらない。


「すみません」


「いえいえ。麻友子ちゃんが目覚めるまで、少ひお話しませんか? 空中庭園で」


「は、はい」


 ◇ ◇ ◇


病院の中三階には、こじんまりとした庭園がある。


空中庭園と呼ばれ、色鮮やかな花が、少ないながらも患者や、その家族たちを癒してくれる。


何度、ここのベンチで泣いた事か。


娘の麻友子は難病にかかり、手術も厳しく、治ることはないと言われていた。


いつも座っていたベンチに、その手術をしてくれた執刀医の先生と並んで座る。


「本当、先生には、なんていったら……」


「いえいえ、私はただ、自分のできることをしたまでてすから」


先生はマスク姿のままだ。


でも、目元は下がり、笑顔なのはわかる。


優しい女性の先生だ。


そんな先生の笑顔を見て、さらに私は、安心する。


本当に良かった。


「かわいい盛りですもんね」


「え? えぇ、それはもちろん」


私は麻友子の思い出話を語る。


誰かに聞いてほしかったのかもしれない。


病気のせいで、他の子とは比べ物にならないくらい我慢していて、頑張ったことを。


それは、堰をきったように。
長々としゃべってしまった。


「あ、すみません。つい、こんなことまで、先生に……」


「いえいえ、お母さんが、麻友子ちゃんを大事にしてるのが、よく、わかりました。ほんとっ」


「えぇ」


「これからは、学校でも、みんなと楽しく遊べますよ」


「本当ですか? あぁ、こんな日がくるなんて、今でも信じられない」


「でも……」


「でも?」


先生が、急にトーンを変える。


とたんに私は不安になる。


心の底からは喜んではいけないのだ。
そんな気がしていた。


それは私の癖にもなった。
まだ安心してはいけない。


やっぱり、まだなにか、病気の後遺症か何かが残っているのでは?


それとも、手術は本当には成功してはいないのでは?


もしかしたら
将来、生活していく上で何か重大な制限でもあるのだろうか?


だから、先生は、私をここに呼び出して、落ち着かせてから話をし始めたのでは?


私は、息を飲んで、先生の続く言葉を待つ。


それは、まるで、診断結果を待つかのように。


「……でも、心配ですよね、学校生活も」


「え?」


「年頃の女の子ともなると、いろひろと……」


「あ、あぁ、そうですね……」


予想が外れ、拍子抜けした。
なんだ、そんなことかと。


もう、先生ったら、そんなトーンで話さないでよ。


「えぇ、心配は心配ですけど、学校生活できること自体が信じられないですから」


「そうですか? いじめられたりとか?」


「いじめ?」


確かに。
ずっと学校を休んでいて、うまくなじめるだろうか?


そんな事、考えもしなかった。


いや、考えられなかった。


「そうですね。もしかしたら、いじめられるかもしれませんね」


「心配、ですよね」


「はい」


私のかわいい、かわいい娘。


命よりも大事。
それは、この闘病生活の中で、この上なく感じていた。


ここまで頑張った麻友子をいじめる奴がいる?


それは絶対に許せないことだった。


「でも、麻友子なら大丈夫ですよ」


「え? それは何故?」


「今まで、ずっと、病気と戦ってきたんですから、きっと、いじめかえしてやりますよ」


「それはそれは、心強い。お母様譲りなのでしょうか?」


「えぇ。そうですね。私も、どちらかというと、いじめられるというより……」


「いじめていたほうですか?」


「え? まさか、本当にいじめてたりは……」


「……しなかったんですか? いじめ」


え?


先生は、冗談っぽく、私を追及してくる。


それは、いじわるな目。
こころなしか睨まれているような気もする。


「ま、まさか、楽しい学校生活でしたから、みんな仲良しでしたよ。本当に」


それはまるで、弁明するかのようだった。


命の恩人である先生に、何か自分のダメな所を少しでも探られていけないような気がした。


「それはそれはよかったです」


先生の目はまた、優しい笑顔に戻った。


「私の学校では、ありましたよ、いじめ」


「えぇー、そうなんですか?」


先生は笑顔のまま話す。


「けっこう、陰湿でしてね」


笑顔のまま、声のトーンも、明るいまま。


「無視はもちろん、殴られたりもしてましたよ」


だから、それが先生自身のことだとは思わなかった。


ポツリポツリと、いじめをたんたんと説明する先生に、私は相槌がうてなくなっていった。


「いじめって、いじめている方は、案外忘れているもの、なんですかね」


そして、私はだんだんと、不安になってくる。


「ねぇ、そうだと思いませんか?」


「せ、先生?」


「覚えてませんか?」


「なにを、ですか?」


「わかってるんでしょう」


「いえ」


「ねぇ、本当は覚えるんでしょう」


先生は笑顔のまま。


両目は垂れ下がっていて。
細く閉じられている。


そのため黒目はどこをみているのかはわかりにくい。


「な、なにを言ってるんですか?」


「思い出したよね? 麻衣子。久しぶり。私だよ~?」


「え?」


「ひひひひっ。会いたかったんだぁ」


「だ、だ、だれ? 覚えてない」


あぁ、頭が痛い。


「なら? これは?」


先生が


いや、女がマスクを取る。


すると、その口元には真っ黒な闇が。


「ひひひひっ、びっくりした? あなたに殴られて、なくなったの、歯、全部」


だから、どこか、空気が混じった、変なしゃべり方だったんだ。


めまいがする。


「さすがにぃ、思い出したよねぇ」


「そんな、わたし、そこまでは……」


「したんだよお。殴られた弾みで、コンクリートに顔面きょうだっ。顎ごと粉砕骨折ぅだよ?」


細く閉じられた目が、ゆっくりと開かれていく。


しかし、その目も、黒目が多く、闇が広がっていた。


息ができない。


「な、な。なんで、あんたが、ここに? ほ、本当の、先生は? はぁ、はぁ」


「なにを言ってるの? 私が先生でしょ?」


執刀医の先生はずっと、マスク姿だった。


優しくて、笑顔が素敵な先生だった。
だから、今、目の前にいる女と同一人物とは、どうしても思えなかった。


「ひひひひっ」


女が歯のない口で、不気味な笑いかたをする。


「ずっと、待ってたぁ。この時を。復讐する時を、ずっとぉ」


「ふ、復讐?」


「そう、復讐。あなたに復讐するため、必死に、必死に勉強して医者になったの」


「ま、まさか、ま、ま、麻友子を? どうして?」


「だからぁ、復讐だってばぁ」


女はベンチから立ち上がり、私の目の前に。


女が私に覆い被さるように顔を近づける。


私は、逃げるようにベンチからずれ落ちる。


立とうとしても、力がはいらない。


「はぁ、はぁ、ひ、卑怯よ、ふ、復讐なら、直接私に、しな、さいよ」


「卑怯? よくそんなことが言えるわね。自分が今までしてきたことを思い出してよぉ」


あぁ、なんてことを。
命よりも大事な麻友子のすべてを、こんな女に預けていたなんて。


「なんでよ? はじめから麻友子に? 麻友子に、なにをしたの?」


「ひひひひっ、だから、手術は大成功したっていったじゃない。これで、わたしぃの復讐も、大成功ぉ。麻友子ちゃん、元気に目覚めるといいわね。元気に」


「あ、あんた、ゆ、ゆるさないからね。麻友子に、なんかしたらっ」


それは怒りではなく、不安で一杯の気持ちをただぶつけただけだった。


目の前の女を今すぐぶん殴ってやりたい。


しかし、それは気持ちだけで、私はただ立つこともできずにいた。


やがて、まわりの景色は色彩を失っていく。


気づくと、涙があふれてだしていた。


「なにかって。遅いわわよ。もう手術は終わってしまったんだから」


「ごめんなさい。ゆるして、私のことは殺したっていいっ。なにをしたっていい。でも、麻友子だけは、お願いします。麻友子だけは……」


私は、地面に頭を擦りつけて懇願した。


この女に、少しでも、良心が残っていたなら。
一縷の望みにかけるように謝り続けた。


「だから、もう遅いの。私の復讐、手術は終わって、これ以上はすることないの」


そんな……
麻友子だけは


「お願いします。なんでもします。あの時のことはあやまりますから。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


私は謝り続けた。


「その言葉を、あの時に聞きたかったわね、ひひひひっ」


女は笑いながら、歩いて去っていく。


ひひひ、と、不気味な笑いがこだまする。


「待って、娘を……麻友子を……


かえしてぇ


 ◇ ◇ ◇


いったい、どれくらいがたったのだろう。


やがて、地面に倒れていた私の姿を看護師さんが見つけて助けてくれる。


すぐにでも麻友子の元に駆けつけたいが、恐かった。


看護師さんは車椅子で私を病室へと連れていく。


会いたい。


麻友子に。


でも、いや……


「いや、病室に戻りたくない」


「どうしたんですか? 麻友子ちゃんが待ってますよ」


「麻友子はもう目覚めない……」


「麻酔で、寝ているだけですよ」


麻酔が覚めることはない。


「だって、先生が先生が、麻友子を……」


殺してしまったのだ。


私へのいじめの復讐のため。


私から大事な娘を奪った。


私のテンションとは真逆にウキウキしている看護師さんは、私の言葉を、無視して、どんどん、病室へと向かっていく。


何も知らないで。


お願い。


やめて。


「はいっ、病室にとうちゃく。麻友子ちゃんが待ってますよ」


見たくない。


もう、目覚めることのない麻友子の現実に直視できない。


会ったら、私の、精神は崩壊してしまう。


それで、あの女の復讐は完成するのだろう。


〈ママっー〉


麻友子の、あの満面の笑顔で、私のことを呼んでくれる、あの姿は、もう……見られない。


〈ママっー〉


あぁ、麻友子。
麻友子の声が、幻聴が聞こえる。


「ママっー、ってば」


え……


「どこ、行ってたの?」


「ま、麻友子……?」


「目、覚めた時いるって、約束してたのに」


本物?
夢じゃないよね。


目の前には、麻友子が
いつもの麻友子が……


あぁ、あぁああ……
私の精神は崩壊してしまう。


「ママったら、泣きすぎ」


「だって、だって」


信じられない。


「手術は失敗したんじゃ……」


麻友子の顔が、一瞬曇る。


「え?」


「あ……」


「そんなことないですよ。大成功ですよ。もちろん、しばらくは様子を見ないといけないですが」


病室には、主治医の先生がいた。


あの女ではなく、男性の先生で、手術まで、ずっと診ていてくれた先生。


「本当に? だって、執刀医の先生が……」


「あぁ、藤崎先生ですか? 藤崎先生はすごかったですよ」


「え」


「実は、藤崎先生には口止めされてたんですが、彼女はアメリカの有名な大学の先生なんですよ。今回、本当に特別に来てもらったんです」


「ほ、本当ですか?」


「えぇ。麻友子ちゃんの手術は本当に難しくて。この手術ができるのは、世界で五人いるかどうか……」


「そんなに」


「すみません。手術の難しさは事前に説明させていただきましたが、その一人が藤崎先生だったので、必要以上に驚かせることはないと、先生に口止めされていたんです。
絶対に成功させるから言わない方がいいと」


「絶対に成功させる? 本当なんですか? 藤崎? 先生が? でも、なんで」


藤崎……
そうだ。私は、ようやく彼女の名前を思い出す。
ずっと、そう名乗っていたのに。


「えぇ、私も、それが不思議で、聞いてみたんですね。世界的にも活躍されている藤崎先生が、何故、こんな地方の病院に来てくれたのかと……」


「それで……」


「リベンジなんだそうです」


「リベンジ? ふ、復讐」


「あぁ、直訳すると、復讐ですが、まぁ、日本語にすると、再挑戦、ですかね」


「再挑戦?」


「なんの、リベンジなんですかと聞いたんですけどね。笑って教えてはくれませんでした。きっと、先生にもいろいろあったんじゃないのでしょうか。
どうしても手術を成功させるんだと、すごい熱意でしたから」


「では、ではでは、麻友子の手術は本当に……」


「みごとでした。いや~本当に、完璧です。今まで、あんな手術、見たことありません」


「あぁ、藤崎先生に、謝罪を、いえ、お礼をもう一度言わないと」


「実は、すぐにアメリカに戻らないと、と言って今しがた」


「そんな、わ、私は、なんと言えば」


〈ひひひひっ〉


彼女の笑い声がこだまする。


そうだ、彼女の笑いかたは、昔のまんまだった。


それを昔の私はバカにした。


〈気持ち悪い笑いかた、なにそれ〉


ごめんなさい。


ごめんなさい。


リベンジ。


それは再挑戦なんかではない。


復讐だ。


まぎれもない復讐。


とんでもない、復讐なのだ。


私は、彼女から、とんでもない一撃をくらった。


どんな暴力よりも
強く、美しく、私を殴り倒した。


ごめんなさい。


ごめんなさい。


本当にごめんなさい。


彼女の笑い声が頭から離れない。


ひひひひっ


ひひひひっ


ひひひひひひひひっ……




彼女は空港に向かう道を立ち止まり
振りかえって優しい笑顔で笑う。


ひひっ




(おわり)

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