心がなんのためにあるのか
三人でひとりの女性をレイプした男性たちに無罪判決が出た。三人で、「苦しい」「嫌だ」「やめてください」と訴えるひとりの女性をレイプしながら「お前の実力見せたれって」「素人感がいい」「フェラすればいいと思ってるところがちょっとかわいそう」「どういう調教されてんの? 謎調教」って侮辱して動画撮った男性たちが、高裁で無罪になった。男性たちのしたことの全部全部全部汚すぎて大袈裟でなくヘドが出る。複数人で合意なく性行為を強要したことはもちろんクソの欠片ほどもおもんない侮辱の言葉も想像を絶するひどさだ。「女性は抵抗せずに部屋に入ったから同意があった可能性がある」って、じゃあこれから入った部屋全部で暴行されても文句言わないでください。あ別に言ってもいいですよ。証拠出してくれても構いませんよ。だってどうせ裁判官は信じないから。
抵抗する怖さを想像したことない? 抵抗して恨まれて危害を加えられる恐怖と、抵抗せず耐える恐怖をわずかな時間のうちに天秤にかけなきゃいけなくなったことない? ない? ない?ない? ないなら、ないで、どうしてその現場を見てさえ、被害者の気持ちを想像することができないの? 自分が目の当たりにした痛み苦しみ屈辱をどうして信じないの? 痛みが苦しみが屈辱がたしかにそこに「ある」ことには変わりないのにどうして疑うの? 私は、バカな女で、わからないからわかる言葉で説明してください。賢い、賢い、裁判官のおじさん。AVいっぱい見て、女より女の心がわかる、賢い男の人たち、教えてください。
人間に価値で序列をつけることはしたくないですけどこれだけは確かだから言うけどレイプ犯の、せっまい世界から出てきた言葉、行為、全部、被害者の女性の千分の一の価値もない。女性が、どんなに壊されたと思ってももうダメだと思っても、あなたは絶対にあいつらよりすばらしい。敗北していない。あなたの勝ちだ。あなたの尊厳も思い出も毎日の買いものも好きな食べものも好きな動物もよく使う自販機も漫画も友だちも毛布も音楽も全部、あなたから離れていったりしない。あなたのすばらしさは一ミリも、一ミリの一億分の一も損なわれていない。最初から最後まで、ここからそこまで全部あなたの味方です。
権力のある人が容認したらどんな酷い行為もまかり通ってしまうのか? と絶望することばかり起こっている。でも冷静に考えてそんなこと絶対許したくない。だから許さないって決めた。決めて、もしかして心というのは「感じる」ためだけのものではなく、むしろ「決める」ための器官なんじゃないか? と気づいた。つまり、世界が権力がYESと言っても、個人が個人の感情に従ってNOの態度を選び続けるための。許さないための。レイプ犯が無罪にされてることに私たちは直接はなにもできないんだって。でも許さないことはできる。許さないことを選び諦めないことを決めることはできる。それをしなければならない。異常な世の中を、しょうがない、そういうもんかって受け入れてはいけない。私の心はこれから、許さないために存在します。