雑草魂、燃やしてけ。
おはようございます
最近はダイヤのAに再熱しているしとんです
私は小4〜高1の夏
3ヶ所の肉離れで野球をやめた時までの6年間
野球少年でした
もちろん高校野球の時は坊主にして
甲子園を本気で目指していたしもっと前の
小学校・中学校の時はプロ野球選手を目指しいていました
けども僕には野球の才能がなく
万年補欠のベンチ要員でした
けれども諦めなかった
どれだけ馬鹿にされて惨めな思いをしようが
どれだけ不甲斐ない自分に腹が立とうが
その思いを鎮めるように練習に打ち込み
必ずプロに入って見返す
その思い一心で毎日毎日一瞬のごとく
時が進んでいました
その後はあまりにも自分が野球”選手”に
向いていないと感じてやめた後
野球への思いは”監督”として甲子園を目指してみたい
そう思い教員になることが夢になりました
他の可能性も捨てたくなかったので
高校は教育の強い学校で教育学部もありましたが
あえて社会学部に入り教員免許を取りました
ただ日本教育の勉強を習うに従って
自分のやりたい教育は日本ではできないことを知りました
自分を潰してまでやりたいものではない
もっと自由に生きたい
その思いで現在に至ります
社会に出るとさまざまなモノや人と触れ合うことで
さまざまな世を渡るテクニック的なものを手に入れますが
いや、勝手に付加されていきますが
それは自分の呼吸を苦しめるだけ
いっときの楽ほど毒はない
地道な努力の積み重ねが未来の結果へとつながる
野球を通して学んだことが将来になって生きていく
あの血反吐を吐きそうになりながらも踏ん張った日々を
思い出して自分にもわからない更なる高みへと
もう一度踏ん張っていこうと思います