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山本坊役僧・福寿寺暠憲の動向と地位
はじめに
埼玉県鳩山町小用の本山派修験寺院福寿寺は、毛呂山町西戸の本山派先達修験寺院山本坊の役僧を務めた。
福寿寺の初見は永正14年(1407)の聖護院奉行による奉書である。同文書は山本坊所蔵である。
福寿寺は山本坊役僧を務めた履歴があるので霞支配・配下寺院の進退に関連する文書も所蔵する。
千代田惠汎氏による「鳩山町の修験」の調査成果によって福寿寺の史料が整理された。現在、千代田氏の『村と修験』に掲載されている。福寿寺の史料は、霞支配関連・福寿寺住職が聖護院から受給した免許状、住職が伝授された作法・儀式次第も含めて80点存在する。
免許状の宛名に登場する住職は、福寿寺村信・行法院・暠憲・観応・暠憲・宝寛である。永正期が初見であるも村信以前の系譜は明確ではない。
筆者は福寿寺のある小用地区をフィールドワークして同寺境内地で暠憲の宝筐印塔を実見した。暠憲は、役僧に位置するだけあり寺院で山本坊配下山伏・地域の僧侶・医者に学問を教授したのが宝筐印塔の記銘から確認できた。そのうち、ときがわ町桃木の本山派修験寺院妙覚寺住職妙覚寺義全が暠憲の弟子であった。妙覚寺は、note投稿で触れているので参照されたい。福寿寺と妙覚寺の調査ができたので史料を照合しながら福寿寺暠憲の地位・系譜関係・動向を検討するのが主題となる。
(1)本山派修験寺院福寿寺の系譜
福寿寺の史料で住職名が確認できるのは村信・暠憲観応・暠憲・宝寛である。
福寿寺は、山号は恵日山、寺号は福寿寺、坊号・院号は、住職によって異なった。住職は、寺号である福寿寺を用いており、筆頭正年行事職大徳院住職大徳院周応・周乗も福寿寺または在地名の小用を日記に記述した。
村信は、寛文3年(1663)に「金襴地結袈裟着用免許」を聖護院から受給した。
村信の後継と見られる住職が元禄2年(1689)付けで「桃地結袈裟着用免許」・「僧都免許」・「金襴地結袈裟着用免許」を受けたのも確認できる。
正徳3年(1713)には、行法院を称した住職が「権大僧都免許」・「三僧祇免許」を受給した。
元禄2年・正徳3年は24年の開きがある。正徳3年時点で院号を称しているので「院号免許」も受給したのは確実である。さらに、同年の免許状は「僧都」より上位の「権大僧都」、僧祇免許で最上位「三僧祇」なので行法院を称した住職は元禄2年時の住職と同一人物と見られる。
次に登場するのが暠憲である。元文5年(1740)に「一僧祇免許」・「金襴地結袈裟着用免許」・「権大僧都免許」を受給した。宝暦3年(1753)には大覚坊の坊号で「僧都免許」、大学院の院号で「院号免許」・「桃地結袈裟着用免許」を受給した。まとめると暠憲は、坊号は大覚坊、院号は大学院を称したのがわかる。
文化8年(1811)には、観応が免許状を受給した。観応は、「桃地結袈裟着用免許」・「貝緒両緒免許」、宝山坊の坊号で「僧都免許」・福寿院の院号で「院号免許」を一括受給した。観応は、坊号は宝山坊、院号は福寿院を称したのがわかる。
文政10年(1827)には本稿で検討する暠憲が免許状を受給した。本覚坊の坊号で「僧都免許」・「桃地結袈裟着用免許」、福寿寺の寺号で「法印免許」・「権大僧都免許」・「貝緒両緒免許」、福寿院の院号で「院号免許」を一括受給した。
嘉永2年(1849)には宝寛が免許状を受給した。観音院の院号で「院号免許」・「貝緒両緒免許」・「桃地結袈裟着用免許」を受給した。愛宕坊の坊号で「僧都免許」を受給した。大徳院周乗の日記では「小用佐中」で当初、登場して周応の学問講義に参加するなど、同僚山伏との交流も深めた。実務面では父暠憲と共に法会に出仕して経験を積んだ。
以上が、福寿寺住職の免許状受給状況である。系譜を整理すると、村信ー行法院ー暠憲ー観応ー暠憲ー宝寛の順で継承されたと想定できる。暠憲を法名とした住職が2名いたのが確認できる。本稿では、文政10年に免許状受給して宝筐印塔が存在する暠憲を取り扱うのは再度記述しておきたい。
(2)「中興開山」福寿寺暠憲
この項目で述べる暠憲は、観応の父にあたる人物である。福寿寺が所蔵する作法儀式次第に暠憲の活動時期にあたる明和2年(1765)が記される。同次第の宛名は暠憲ではなく「應長」と記述される。應長とは暠憲の「字」と見られる。伝授者は、吉田神道衆合流の永命山覚温である。
覚温を師として暠憲は、各作法儀式を取得していった。以下列挙する。
史料1「福寿寺暠憲が取得した作法儀式」千代田惠汎『村と修験』所収
①「斎元衆合道」
②「神拝式」
③「常世祓解く・二鎮心小祓・三心月輪祓・大師授与祓・神道六根祓」
④「護身法」
⑤「静心傳」
⑥「神道傳授壇荘厳図附法度書之事」
⑦「神拝護身並極秘」
⑧「鎮」
以下、明和3年(1766)付け
⑨「日参大事」
⑩「幣帛之大事」
⑪「衆合流法状」
⑫「祝言大事」
⑬「拍掌祝言併平産符」
⑭「護神修持」
以上、14点が暠憲が覚温から伝授された神道儀式作法次第である。
明和7年(1770)には本山派山伏で傳燈大阿闍梨法印から「金結秘法」を伝授された。
安永3年(1774)には権大僧都法印傳栄から「諸神佛入佛事・遷宮大事」を伝授された。
安永7年(1778)には順栄から「野狐加持・呪詛還加持作り様」を伝授された。
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