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プロ搭乗客になりたいアラフォー主婦

飛行機が好きだ。
私が初めて飛行機に乗ったのは、小学生に上がる前の春休み、今の県営名古屋空港からソウルに行った時だった。乗った飛行機はJALだったということしか覚えていない。

その後、大学入学までに、サイパン、アメリカ西海岸、ヨーロッパ周遊(たしか当時のツアー名はロマンチック街道を巡るなんとか)、香港、と海外へ連れて行ってもらった。
大学生になってからは、アルバイトをしては海外旅行に行く事をライフワークにしており、深夜までのアルバイトのせいで、1限の講義には出たことがないし、レポートを出したり、講義の後に小さな感想を提出するだけで単位がもらえる講義ばかりで単位を取った結果、何のために大学に行ったのか分からないまま卒業した。私は将来のことなど何も考えていなかった、志の低いバカ大学生だった。

旅行のことばかり考えていた私は、いつの間にか、カバンの中に紙の時刻表を常に持ち歩き、時刻表の上で世界旅行できるようになっていた。
実際に飛行機に乗るときは、わざと遠回りの旅程を取り、乗り継ぎ時間をたっぷりとって空港内をくまなく歩くことが旅の大きな目的の一つになった。

そして私は、2012年にJGC修業した。

JGC修業のきっかけは、2010年にJMBツアーでアラスカに旅行した際、同じエコノミー座席にも関わらずラウンジでくつろいでいた家族を見かけたことだった。
なぜ同じツアー客で同じクラスの座席の航空券しか持っていないのにあの人たちはラウンジが使えるのか?じっと観察した。
その家族の手にはJALGLOBALCLUBのクレジットカードが握られていた。

アラスカ旅行後、JALの公式サイトで入会方法を調べ、当時ブログをされてる方の記事で、マイルを使いファーストクラスに乗りまくっているのを見て、まずはJGC入会を目指すことにした。

2010年は、今の夫に出会った年でもあった。
先のアラスカ旅行前に偶然出会い、愛用していたカメラが同じであったことで意気投合したのでその後ちょいちょい会って食事したりしていた。
JGC修業は年始からの計画が重要なので、2011年に向けて計画していた。

2011年、年始にまず、ニューヨークに行った。当時彼氏だった夫も大雪で遅延しながら到着し、短い時間だったが、ニューヨークの街並みを二人で楽しんだ。
いろいろ計画していた矢先、私は肺炎にかかりぶっ倒れた。当時やっと就職した会社の人事異動もあり、精神的に疲れていた。
その矢先、3月11日、東日本大震災がおきた。
肺炎の症状が出ていた私は、たちくらみがここまでするのはやばいなっと思いながら、会社の机に突っ伏していた。周りが「揺れてる!」となってようやく大きな地震がきていることに気づいた。私がいた名古屋は震度4程だったと思う。
夫の実家は仙台だったので、夫の実家は被災し、大変な思いをされたと思うが、すぐに帰れる状態でもなかったため、見守ることしかできなかった。

そんな中、肺炎を克服した私と夫は夏にサンフランシスコに遊びにいった。
ヨセミテのホテルアワニ―で毎朝食べた朝食は最高だった。
現地の人に「日本からきた」と言うたび、お悔やみとはげましの言葉をもらった。
私たちが考えるよりずっと日本は小さな国であると思われていて、日本でおきた天災についてこんなにも海外の人が興味を持っていることに驚いた。
がんばろう東北、と日本中がなっているのに、景気の先行きも不安になり、2011年は修業をやめた。

2012年、結局私はJGC修業を1月より開始した.。
1月初旬、ヘルシンキに飛び、ロシアのサンクトペテルブルクに特急アレグロで入った、サンクトペテルブルクの観光とボルシチ、バレエを楽しんだ後、陸路でヘルシンキに戻り、極寒の中イッタラの皿を購入した後、ロンドン、成田経由でセントレアに到着した
3月 一人でニューヨークに行き、ハンバーガーとミュージカルを堪能
5月 彼氏だった夫とシンガポールに2泊の日程で飛び、マリーナベイサンズが眺められるリッツカールトンシンガポールの部屋に泊まって、ラッフルズホテルでシンガポールスリングを飲んで帰ってきた
6月 ボーイング787の就航に合わせて初便ではないが、ボストンに一人で行ってMITやハーバード大学のツアーに参加した
以上で、50000FOPを達成し、無事JGCカードに入会申し込み書を手に入れ、審査に通って今に至っている

2012年当時、私の行動は、当時の自分の周りの人には誰にも理解されなかった。
SNSはあったけれど、2024年の今ほど、情報に溢れていたわけではなく仲間を見つける術も時間もなかった。
だれかと飛行機について、飛行機に乗ることだけについて話したかったけど、できなかった。

その後、たまたま本屋でパラダイス山元さんの『パラダイス山元の飛行機の乗り方』を見つけた。
本を読んだとき、やっぱり世の中にはぶっ飛んでる人がいたんだ。と思った。プロ搭乗客パラダイス山元さんの大ファンになった。

2014年に結婚するまで紆余曲折あったので、なかなか修行僧に身を転じることはできなかったが、新婚旅行はJALでニューヨークに行った。
その翌年に、貯めたマイルを使ってJALファーストクラスでニューヨークを往復した。
その後妊活を始めたので、プロ搭乗客への道からは遠のいているが、ココロは飛行機の中にある。
2018年に子どもを授かり、さあ旅行に出かけようと思ったら、2020年3月で世界が変わった。

そして今、平日はほぼワンオペ未就学児との毎日を楽しんでいる今は、年間100回搭乗は難しいが、近いうちに家族を巻き込んで、まず年間搭乗80回を目指そうと思っている。

子どもを連れての移動だからこそ、快適さを求めるならば、ステイタス付きの空路か自家用車の移動が一番だ。
新幹線なんかに乗ろうとして、遅延とかになったら、暑くて寒い駅構内で待つのは耐えられないし、焼身自殺に巻き込まれたらたまったものではない。
空港なら、ある程度空調とセキュリティがあるので安心できるし、遅延ならラウンジで待てばいい。私は、飛行機が大好きだ。

しかしながら、改めて2012年の行程を見ていると、しがない独身一般職OLにどこにお金があったか謎だ。当時のFacebookには宝くじに当たったのではないかとコメントされていた。
当たってないよ宝くじ。窮屈な実家暮らしでお金をセコく貯めていただけ。
そんな実家からも脱出したので、私は違う意味でも解き放たれ、ココロは毎日空を飛んでいる。





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