食べ物を写真で撮るということ

私は食べ物の写真を撮ることが好きだ。
携帯電話やスマホを手にする前から、フィルムカメラを持ち歩き、撮りまくっていた。

写真にこだわりだしたのは中学3年生の時、家の近くの花屋でフラワーアレンジメントを習い始め、雑誌「花時間」を購読し始めたあたりからだったと思う。
遠い記憶では、「花時間」の中に、読者が自身のアレンジメントを投稿するコーナーがあり、写真の講評も掲載されていて、カメラの機種などの説明もあり、それはそれはとても興味深いものだった。ー
早速、雑誌の中で紹介されていた、ペンタックスの一眼レフの初心者キットを近くのカメラ屋で購入し、フィルムを入れて撮りまくった。
フィルムは太陽の光や飛行機に乗るときの保安検査の光に弱いということで、専用保護ケースにフィルムを10本ほど入れ、予備の電池まで持ち歩いていたので常に肩掛けバックは怪しい袋と電池が半分以上を占めていた。

当時、普通のカメラで撮った写真と、一眼レフでとった写真では出来映えが全く違い、一眼にするだけでこんなにも素晴らしい写真がとれるのかと感動したものだった。
さらに極めている人には、「その写真はカメラが撮ってくれていて、君が撮った写真ではない」と言われたりもしたけれど、私にとっては、撮影技術よりも、今の自分満足できる記録を残したかったので、初心者用一眼レフで充分だった。

そんな中学生が高校生になって、行動範囲が広がり、友達と休日に出かけるようになった
私は、そんなときも一眼レフを持ち歩き、食事の度に机の上に一眼レフを置いて、店員さんに写真を撮っていいか確認して、写真を撮っていた。
時代は2000年代、店員さんにはたいてい撮影の許可をもらえるのだが、必ず同席した友達がその店員さんに「すみません」と謝るようになった。

最初は、店員さんに撮影可否を確認するために呼び止めることがダメなのかと思っていたので、気づいてからは注文時や料理が来たタイミングで聞くようになった。
それでも友人たちは「すみません」と謝っている。
全く意味がわからなかったので、なぜか聞いたところ、
「自分達が恥ずかしいから写真を撮るのはやめてほしい」ということだった。

女子高生が食事に行って、出てきた料理を写真に撮る。
2024年の今となっては、撮るために食事に行く人々まで出現した。
しかしほんの25年前は、それは風変わりな趣味であり、フィルムの一眼レフを取り出すなんて狂気の沙汰と思われていたのかもしれない。

時は流れて、あれは2018年、「恥ずかしいからやめてほしい」と言われた友達と食事をした。
その友達は、スマホで料理を次次と撮りまくっていた。
その姿を見て、なんだかすーと友情が引いていく気がした。

私はいまだに食事の写真を撮る。
ペンタックスの初心者キットから、大好きな「花時間」に掲載されていたお気に入りの写真が、ペンタックス MZ-3 43mm F1.9 Limitedだと知り、同機を購入、愛用していた。
その後、ミノルタやニコンなどいろいろなフィルムカメラで写真を撮り続けて、子どもの荷物が増えたいまでは、カメラへのこだわりは少しなくなり、手軽なデジカメが相棒になった。
スマホでも撮影するし、デジカメでも撮影する。
子どもの写真に加えて、食事の写真も楽しく撮影している。

ちなみにMZ-3 は夫と初めて出会い、意気投合したきっかけとなった、思い出も思い入れもあるカメラとなった。

いまでは、自分はちょっと時代の先を歩いていたのだと思い込むようにしている。



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