忘れ得ぬ人々・第18回「SLOW hairworks」(前編)

私が山形の職場からいまの職場に変わったのは、2014年4月のことである。
引っ越した当初は千葉県のI市に住んでいた。
引っ越しするときにいつも困るのは、散髪屋問題である。引っ越すと、新たに散髪屋さんを見つけなければならない。
紆余曲折のあげく、ある散髪屋さんを見つけた。いわゆる理髪店なのだが、従業員がみな若くて、とても感じがいいのである。
その年の6月のこと。
担当してくれたのは、30代前半のGさんという男性店員さんだった。
髪を切りながら、雑談する。
「先週まで、里帰りしていたんです」とGさん。
「ご実家はどちらです?」
「山形県です」
「山形県!」
私は驚いた。私が3月まで住んでいた県である。
「山形県のどちらです?」
「S市です」
「S市!」
私が仕事で何度も通った町である。
「実は、近々、この店をやめて、故郷に店を構えることにしたんです」
「ほう…それはまたどうしてです?」
「この業界では、私くらいの年齢になると、お店を持ちたい、と思うようになるんです。で、不思議なことに、東京を出て、実家の近くで店を開きたいって思うんです」
「そうなんですか…」私は意外に思った。東京で働いている方が、いろいろと条件がいいだろうに。
「先月、お客さんの髪を担当したスタッフがいたでしょう?」
「ええ」
「彼も僕と同い年くらいなんですけど、来月にはこの店を出て、実家の理容店を継ぐそうです」
「そうなんですか。実家の近くだと、安心するんでしょうかね」
「それがそうでもないんです。僕は高校を出てすぐに東京に出てきましたから、もう15年も東京暮らしです。すっかり東京暮らしの方が慣れてしまって、故郷で暮らしたときのことは、もうあんまり覚えていないんです」
そういうものだろうか、と私は思った。
「だから、田舎でお店を開いても、上手くやっていけるのか、不安なんです」
「なるほど」
「妻にとっては、なおさら知らない町ですしね。いったい、どんなふうになるのか、想像もつきません」
「タイヘンですよ。冬になったら、朝一番で、まず駐車場の雪かきから始めなくてはなりません」私は少しおどかした。
「あ、そういえばそうですね」
「とくに、S市は雪深い町ですからね」
「やっぱり、東京と勝手が違うんだろうなあ」
ひとしきり、店員さんとS市の話で盛り上がった。
しばらくして、見習い店員の若い女性が手伝いに来た。
「この子も、この4月に岩手県から来たんです」店員さんが私に紹介した。
「よろしくお願いします」とその見習い店員さん。
「岩手県のどちらです?」
「O町です」
「O町ですか。沿岸部ですね。じゃあ、震災のときは大変だったでしょう」
「ええ」
「そのときは、学生さんだったんですか?」
「そのときは中三で、あの震災の翌日が卒業式の予定だったんですけど、中止になりました」
ご家族は、みなご無事だったらしい。
「不思議な縁でしてねえ」とGさん。「震災のあとに、うちの店の従業員たちが、散髪のボランティアでO町に行ったんですよ。そのときに、この子と会いましてね。『何かあったら、いつでもうちの店を訪ねてきなさい』と言ったんです。そうしたら3年後に、本当にうちの店に来ちゃった」
「ほう」
「彼女はこれから、この店で修業です」
人間のつながり、とはおもしろい。
いろいろあって今この瞬間、Gさん、見習い店員さん、そして私が、同じ空間にいるのだ。だがもうじきGさんは、私と入れ替わるように、北へ帰る。

同じ年の8月末。
夕方、行きつけの散髪屋に行く。いつものように担当はGさんである。
Gさんは来月から、いよいよ故郷の山形県S市に戻り、散髪屋を開業する。
「妻も子どもも、新しい土地でうまくくやっていけるか、心配です」とGさん。Gさんにとっては、大きな決断だったのだろう。
散髪が終わった。
「短い間でしたけれども、ありがとうございました」とGさん。
「こちらこそ。いよいよですね」と私。「S市のどのあたりに開業されるのですか?」
「RN中学校のすぐ近くです。店の名前はまだ決まっていませんが」
「機会があったら、散髪しに行きますよ」
「ぜひ来てください」
そう言って、散髪屋をあとにした。(続く)

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