妄想・本の雑誌編集部編『本屋、ひらく』(本の雑誌社、2024年)
古くからその町にあった本屋さんが、残念なことに次々と閉店に追い込まれる一方で、「独立系書店」という個性的な本屋さんが増えている、というのが、私の実感だし、この本でも述べられていることなのだが、ではなぜそんな現象が起こったのだろうか。
ここからは私の完全な妄想だが、その背景の一つは、多くの人が表現活動に目覚め、気軽に不特定多数の人々に自分の書いた小説やエッセイ、日記などを公開できる環境が整ったからではないだろうか。
私は1年ほど前からnoteを始めてみたが、ものすごくたくさんの人々が、noteというプラットフォームを利用して自らの創作活動や表現活動を披露していることにたいへん驚いた。
表現活動を継続していくと、次の段階は、どうしてもweb上ではなく紙の本という媒体で三次元的に残したいという欲求に駆られるのは、自然な流れだ。むかしでいえば同人誌、いまならZINEを作って、「文学フリマ」などで即売をするというのが、すっかり定着したのではないだろうか。私はタイミングを逸してしまい、まだ「文学フリマ」に行ったことはないのだが、聞くところによるとずいぶんと熱気に溢れているというではないか。むかしは大学の「文学サークル」といえば、どちらかといえば閉じた世界だったという印象があるが、いまは「文学」が開かれたものになっている。だれの手にも届きそうなところに「文学」が存在する。ヘンな言い方になるが、「文学」に対するある種の後ろめたさがなくなったのだ。
「ひとり出版社」に代表される、少人数の出版社が増えたことも、何か関係がありそうだ。「ひとり出版社」は、もともと出版社に勤めていた編集者が独立してはじめるというケースが多いのかもしれないが、なかには出版や編集の経験のない人が始める場合もある。実際、私の身近には、本の出版の経験がなくてふたりで出版社を始めたケースを知っている。「ひとり出版社」ならぬ「ふたり出版社」だ。ただし、厳密にいえばまったく経験がない、というわけではなく、ZINEを作って文学フリマで販売したり、一つのテーマに特化した期間限定の書店を開いたり、という経験を積み重ねてきたがゆえに、小さな出版社を立ち上げることに高いハードルを感じることはなかったのだろう。
そんなことをつらつら考えていくと、ここ最近、本のまわりで起こっている現象、すなわち、ZINEを気軽に作って販売する環境が整ってきたこととか、ひとり出版社が大手出版社では決してできないような本を出すとか、そういった現象と独立系書店とは、親和性が高いように思うのである。
では、「町の本屋さん」は「オワコン」になってしまったのだろうか?決してそんなことはない。「本」というものとの最初の出会いの場としては、これほど適した空間はない。独立系書店がどちらかといえば主張の強い本屋さんであるとすれば、町の本屋さんは「サイレント読者」にとって居心地のよい空間である。どちらもなくてはならない。人は成長するとともに個性を獲得していくように、本屋さんもまた、人の成長に合わせてその場を提供してくれるのが理想的だ。だから私は、本との出会いのきっかけを作ってくれた町の本屋さんがいまでも大好きで、できればそのままで居続けてほしいと切に願っている。