連想読書・笠井瑠美子他著『本を贈る』(三輪舎、2018年)
あれからひとり出版社のことを考え続けている。そういえば本の編集、構成、装丁、印刷、製本、書店営業、取次、書店員、本屋といった、本の制作から販売までの一連の流れを、それぞれの専門家がリレー形式で書いた『本を贈る』という本を以前に読んだことを思い出し、あらためて手に取ってみると、布張りの手ざわりで、タイトル「本を贈る」の「贈」の字を金字で箔押しした、丁寧な作りの本だった。
この本には夏葉社の島田潤一郎さんも編集者の立場として一文を寄せておられるが、そういえば島田さんの『あしたから出版社』(ちくま文庫、2022年、初出2014年)に、『昔日の客』という本の制作に関わるエピソードとしてこんな一文があった。
「『昔日の客』の本作りのイメージは、最初からあった。国立国会図書館で受けとったときのあの感じを、大切にしたかった。つまり、布張りの装丁(布製)で、つくりたかった。
本づくりの常識では、布製にした場合、だいたい箱とセットで考える。箱に入れずに、布製のまま、書店店頭に長い間置いておくと、布は、蛍光灯の光によって色あせてしまう。
もちろん、色あせるのは、布だけでなく、すべての紙がそうなのだが、布の装丁の場合は、箱やカバーと違って、あたらしいものに取り替えることができない。一度色あせてしまったら、それはほとんど再生不能なのだ。
それでも、布製でつくってみたかった。どんなにお金がかかっても、関口さんの魂がこもった本なのだから、それに相応しい形であたらしい読者に所有してもらいたかった。
(中略)
さらにその布に箔押しをし、裏表紙には、小さな複製の版画も埋め込むことを決めた」(146~147頁)
そこでハタと気づいた。布製で箔押しの本は、むかしはよく見られたもののいまではほとんど見られない。それはそうとうな手間とお金がかかる装丁だからである。『本を贈る』の装丁をわざわざ布貼りの手ざわりにして文字の一部を箔押ししたのは、文字通り本を贈ることを意識した特別な本にしたかったからではないか、と。
先日ある友人が、いま蔵書を少しずつ整理しているとのことで、古書店で購入した福永武彦『藝術の慰め』(講談社、1970年)を私に譲ってくれた。
「この本は三上さんの手元に置いておいてもらった方がいい」
と、私が福永武彦の作品を好んで読んでいることを知った上でのプレゼントだった。『藝術の慰め』はまだ読んだことがなくて、何よりも嬉しい贈り物である。
しかもその本は箱に入った布製の本。そして中身を見ると、福永武彦がとりあげた芸術家たちの美術絵画が所々カラー頁で収められていて、なんとも贅沢な作りの本である。そればかりでなく本文中にも随所に挿絵がみられる。「装幀」は著者がしたとあり、こだわって作った本であることをますます実感させる。
この本の書き出しがいい。
「私がこれから書こうとするものは、芸術についての私の取りとめのない独白である。といっても相手のない独白であってはならない。私はあなたにそれを聞いてもらわなければならないし、自分勝手な議論をあなたに押しつけるつもりはさらさらない。従ってこれは芸術論でもなければ批評でもない筈だ。まあ一種の挿絵入りのエッセイである」
こういうスタンスで文章を書くことに、私は憧れる。そういう文章を書いてみたいと常々思っていることを、福永武彦がすでに実践している。手元に置いておきたいと思う本は、こういう本のことをいうのだろう。